Wasei Salonの初期メンバーのお一人でもあり、函館を拠点に全国で活躍されているライターの阿部さんが、先日とっても素晴らしいツイートをしていました。


これは、自分自身もインタビューする側される側どちらの経験も何度もさせてもらっていて、本当に強くそう思います。

僕は、ウェブメディア「イケウチな人たち」の取材などで阿部さんのインタビュー取材に同席させてもらったことも過去に何度かあるのですが、本当に惚れ惚れするほど、この状況を作り出すことが上手な方なんですよね。

たぶん、阿部さんに直接お会いしたことがある方であれば、誰もがそれは共感してくれるところだと思います。

そして、阿部さんがおっしゃる通り、まさに相手の頭の回転を促すのは、他者からの問いかけであり「ここではゆっくりと話してください」という歓待する態度。

それを、言葉だけではなく、話を聞くときの態度や姿勢など、ありとあらゆる角度から表現すること。

その信頼関係さえ構築することができれば、相手は自分から自然と話をしてくれるなあと本当に強く思います。

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で、僕はこの関係性をコミュニティという集団コミュニケーションまで広げたいなあと常々思っているんですよね。

内田樹さんが最近発売されたご著書の中で、アジールの定義を、「無防備であっても傷つけられるリスクのない場」だと書かれていましたが、まさにそんなアジールのような場所が、僕らには必要。

そして、そんな場があることによって、目の前の相手の潜在能力を引き出すことができるようになると思うのです。

そこに査定的な要素なんかが入っていて、自らが傷つく可能性があったら、人は自分の話をしようとは思わない。

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いや、何かしら建前では、話をしてくれるかもしれないけれどでも、僕が本当に求めているのは、阿部さんの言葉をお借りすると「ドライブがかかった」状態の言葉なんですよね。

それは決して、立て板に水のようなペラペラとたくさんの言葉が溢れ出してくるというだけではなく、深く深く潜りに潜って、たった一言でも、「これが私の本音だった」と思えるような何かを拾い上げてきてくれること。

それも、ある意味ではドライブがかかった状態だから生み出された真の言葉だと僕は思うのです。

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そして、そのために必要なスタンスというのは「上からでもなく、下からでもなく、横から支えるような関係性」なんだと思います。

これは先日、パーソナル編集者のみずのけいすけさんと、元スマートニュースの編集長であり、今はの松浦シゲキさんのVoicyの対談の中で語られていたお話の中から借りているお言葉です。

Voicyではみずのさんが公開コンサルを受けるような形で進んでいくのですが、その中でみずのさんがやられている「パーソナル編集者」という役割は、横から支えるような存在だと。

僕は松浦さんのこのお話を聞いた時に本当に強く膝を打ちました。


詳しくはぜひ本編を直接聞いてみて欲しいのですが、現代社会においてとっても大事な視点だなと。

そして、これはコミュニティの役割でもあるなあと強く思うのです。

つまり、支えられる側は、立場が固定化されるわけではなく、支える側だって同時に担えて、そこは何度でも、いくらでも、入れ替え可能だということです。

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どうしても、上からとか下からとかは、立場が固定化してしまいがち。

師匠と弟子が、明日からは立場が逆転するということなんてないと思いますし、もちろん教師や専門家と、クライアントの関係性もそう。

下からは、アーティストとファンの関係性なんかだと思いますが、それだって、明日から舞台に立つのはファンになってアーティストが下から支援するなんてありえないですよね。

でも、今必要な、そして多くの人が無意識的に求めているような本質的なエンカレッジの形というのは、まさにこの「横から支えるような支援」なんですよね。

それは、上からと下からが間違っていると言いたいわけではなく、それらはすでにこの世の中に多数存在しているし、たくさんの選択肢に溢れている。

でも横からの選択肢はまだまだ少ないし、それをどうやって持続可能性を持たせるのかという部分も、確立されていない。

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僕は、これが阿部さんの話ともつながってきて、まさにコミュニティが担う役割でもあるというふうに思うのです。

「あの時はあなたに支えてもらったから、今回は私が支えます。全力でドライブをかけてください」というふうに。

その入れ替え可能性と、横からの支援や純粋贈与の循環みたいなものを全員が心から大切にしているような関係性を作り出したい。

そして、これがまさにバフとデバフにおける、バフのような作用になると思います。しかも一人が負担するのではなく、場それ自体がバフをかける作用になる。

それが本当に今世の中において大切だなあと思っているので、たとえ小さくても、その萌芽のような状態を世間に提示したくて、Wasei Salonのような空間を運営しているだろうなとも思います。

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そして、ここからは完全に蛇足であり、ちょっとメタ視点にもなってしまいますが、まさに今書いているこの記事も、その1つの体現のつもりで書いています。

具体的には、僕自身、阿部さんもみずのさんも、松浦さんも、お三方にはそれぞれ20代の頃に何度も助けてもらって、僕は彼らにご縁や御恩のようなものを感じていて、だからこそ横から支えるように支援したい。

僕ができるような「横からの支援」はこのような形なんだろうなと思っていて、お三方に頼まれたわけでもなんでもないですが、ここで彼らのお話をご紹介させてもらっていたりもします。

もちろん、心の底から感動したという大前提はあるわけですが。

自分でもその話に何かを添えて、より一層加速度つけて、転がしていくことができる。そうやって少しでも言祝ぐことってできるなあと思うから、こうやってブログやVoicyの中でもご紹介しているわけです。

もちろん何かを見返りを求めているわけでもなく、こうやって身近な人が投げかけてくれた何気ない視点を、全力で一緒に面白がることが今とっても大事だなあと思うから。

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最近つくづく思うのですが、コミュニティ時代は、自分たちがおもしろいと思う者同士で、相手の中にある「種」のようなものを、いかにして共に育みながら、面白がるかが重要で、そのことによって、初めて自分たちの目の前に拓けてくる「未来」があるはずです。

そのためにこそ、相手の気づきや発見にドンドン積極的に乗っかって、雪だるま的に大きくしていくといいのではないか。

最近、よく発信する人よりも、「受け取る人」のほうが希少価値が高くなると語られることが増えてきたけれど、それをもう少し解像度高く理解しようとしてみると、この全力で乗っかる姿勢だと思います。

加速度をつけて、転がして、雪だるまを大きくして行こうとする作業そのものを指しているんだろうなあと。

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まだ、海のものとも山のものとも思えないような、でもその瞬間に直感的に「それだ!」と思ったものを「受け取る」作業。そして横から支える支援を提供する。

これもある種のブリコラージュのひとつだなと思います。客観的な有用性だけで判断しないこと。

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もちろん他者に優秀さや客観的な有用性を求めることは重要な場面もあるとは思いつつ、それはどちらかといえば病院の先生や優秀な弁護士みたいなもので、それよりも、やはり増やすべきは、相手の話が心からおもしろいと思える「友達」だと思います。

自分が、この人とは利害関係を抜きにして、友達になれるなと思う人の方を増やした方がいい。

そしてそれは、相手の話している内容の質とか希少性とかそういう話では決してなくて、全ては、こちらのスタンス、心の持ちようによって決まるものだなと思います。

「友達」と言えばやはり思い出してしまうのは、「あばよ、友達」ですが、まだ誰も注目してなくて、なんなら奇人変人の扱いを受けていた、宮崎駿さんを心底面白がったのが、鈴木敏夫さんだったように。

その関係性が深まり、時間が経てばお互いにドンドン才能を開花させて見事に成熟してくる。それは、やはり隣から支えるという、エンカレッジによって生み出されるもの。

ファンの応援や、師匠によるフックアップも大事だとは思うけれども、それ以上のパワーや原動力を持つのはやっぱり、友達となり、支え合うことだと思う。

奥田知志さんの「いい支援の話」にもつながる。


もちろん、友達ゆえに面倒なこともあるとは思いつつ、このお互いの「おもしろい!」を膨らませて、雪だるまのように転がしてきた関係性や信頼感が、生きる上でとっても大事だなあと思う今日この頃です。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。