最近、密かに注目している方がいます。

NPO法人「抱樸(ほうぼく)」の代表で、牧師でもある奥田 知志さん。

抱樸は、北九州市のホームレス支援を行なっており、33年間に3600人以上が路上生活から自立してきたそうです。

初めて拝見したのは、若松英輔さんと対談していたこちらの動画。


その後、内田樹さんや釈徹宗さん、水野敬也さんなど、僕が気になる方々と対談をしていて、次々と動画を観てしまいました。


そして、お話を聞けば聞くほど、とっても興味深い方だなあと感じるようになりました。

同時に、底が知れないひとだなあとも感じます。

何を原動力としているのか、その欲求がある程度把握できれば、なんとなく理解した気にはなれるのですが、それが全くもって掴めない。

そんな中、先日NHKでドキュメンタリー番組が放送されていたので、早速観てみました。
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番組内で特に印象に残っているのが「助ける側が助けられているのが、良い支援」というお話。

もちろんこれは、支援者側の話でもあるし、支援される側の話でもある。

支援される側も「あの人にはお世話になった!」という一辺倒だったらそんなに元気はでないのだ、と。

支援してもらいつつも「実はあいつのことを支援していたのは俺なんだ」と思える、そんな関係性がこそがもっともいい支援だと。

似たようなお話は、最近読んだ河合隼雄さんと鷲田清一さんの対談本『臨床とことば』の中でも語られていて、このお話は本当に同意です。

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どうしても僕らは、何か支援したり、労働を通して支えたりするとき、契約関係における「債権・債務」のような構造で捉えてしまいがち。

「ギブアンドテイク」や「御恩と奉公」のような関係性と言い換えても構いません。

つまり、二項対立のような形で捉えてしまいますよね。

外形的に見れば、確かにその通りではあるのだけれども、内実もそのように判断してしまうと、必ず見誤ってしまう。

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「ボランティア」という概念でさえも、「何か本来相手から受け取れるはずの弁済義務を、私は放棄しているだけにすぎない」と捉えてしまう。

だからこそ、相手よりも優位に立ったような錯覚に陥ってしまい、「私がこんなにしてあげているのに」という感情になってしまうのでしょう。

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でも、本来この矢印は同時に成立しうるもので、そもそもひとつなのではないかと思うのです。

我々が言葉を用いて勝手に文節し、誤った理解をしているだけなのではないでしょうか。

自分自身のこれまでの経験(相談や成長支援など)を振り返ってみても本当に強くそう感じます。

相手の相談に乗りながら、自分自身の相談に乗ってもらっていたような気持ちになっていたし、

相手の成長を促しながら、自分自身が成長させてもらっていたように感じていた。

それはきっと相手にも伝わっていて「私が、鳥井を成長させてやった」と思ってくれているはずですし、そう思ってくれていることが僕にとっても本望です。

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自分が相手よりも優位に立たなきゃいけないという気持ち、しっかり債権回収しなきゃいけないという気持ち。

現代におけるそんな誤った価値判断が、僕らをどんどんこの純粋経験から遠ざけてしまっている原因のようにも思います。

ここまで書いてみても、言いたかったことの10分の1も言葉にできなかったので、ぜひ上記の番組や動画も合わせて観てみてもらえると嬉しいです。