昨夜、Wasei Salonの中で開催されていたドストエフスキーの長編小説『白痴』の全4回の連続読書会イベントがすべて終了しました。

https://wasei.salon/events/8b5c93653294

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』全5巻に続き、『白痴』の全4巻を1巻ずつ、毎回1時間の読書会を開催してきた形になります。

つまり、これまでドストエフスキーの長編小説シリーズだけでも同じメンバーで9巻分、合計すると9時間の読書会を開催してきたことになります。

1年以上かけてこの企画を行ってきて、とても長い長い道のりでしたが、この企画を続けてきて本当に良かったなあと思っています。

長い月日をかけてきたからなのか、そこにお互いの信頼感や同志のような感覚も芽生えてきて、回を追うごとに本当に楽しい読書会になっていきました。

また、ともに読んできているからこそ、本当にあけすけな感想なんかも気軽に語ることができるようになり、つまんないことに対してはハッキリとつまらないとも言える。

でもだからこそ「なぜ自分たちはそう思ったんだろうね…!?」というような深い問いにまで降りて考えてみることもできました。

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今日ここで、なにか一つでも共有できたらいいなあと思いますし、学びみたいなものを抽象化して、ブログに落とし込んでみたいと思ってみても、それは不可能だなあと思います。

たとえば、是枝裕和監督の映画『怪物』と『白痴』は非常によく似ていて、読書ガイドのようにこの映画を改めて観てみると良さそうといってみたところで、「いや、全然関連性ないでしょ!」と普通ならツッコまれて終わりそうです。

やっぱりそれは、繰り返してきた読書会で語られた内容を踏まえて、その真意をお互いに理解し合える部分があって真にわかり合えること。そう思うと、本当に貴重な体験をさせてもらったなあと思います。

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この点、今回に限らず、どんな書籍においてもそうですが、読書会の面白さというのは同じ作品を最後まで通読してきたメンバーが集まることによって、既にコンテキストを共有した状態で対話できることが、一番の魅力だなあと思います。

その本の中に出てきた話ならどんな専門用語であっても使うことは許されるし、小説の場合であればネタバレも許される。

ただの哲学対話や、お話会のような場合は、その場にこの話がわからないひともいるかもしれないという前提で話を始めるから、やっぱり前提共有するためにかなり丁寧な説明が必要になるし、それが結構面倒なところでもあったりします。

やっと、それぞれが抱いている前提条件が明確になってきて、足並みが揃ってきたなとおもうような場面で対話会が終了してしまうということもしばしば。

僕はいつも、読書会のこの状態を「最初から地下のフロアで待ち合わせができる。それが読書会のいいところ」と表現しているのですが、今回の『白痴』の場合においては、4巻を順番に読み終えてくきた結果、果たして地下何階で待ち合わせしているんだろう?と思わされます。

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ただ、一方で誰もメインでそのことについて研究していたり、専門性を持っていたりしないことも、すごくいいことだなあと思います。

極端な話、そこにいる全員が素人なわけです。

先日「生きるついでに、本を読む」という話を養老孟司さんの言葉をご紹介したことがありますが、全員が、まさに「生きるついでに本を読んできているような人たち」で集まっている。


本を読むのが好きだけれど、本業もそれぞれちゃんと別に存在している。

だから、1年間かけて少しずつ読んでいてペースもそれほど早くない。ちゃんと並行してそれぞれの日常生活が別軸で存在している。

一見すると、それはネガティブに思えるような状態でもありますが、それこそが心地よくて、まさに「生きるついでに、リベラルアーツ」という感じで、それを共有しあいながら、実践しているような空間がWasei Salonです。

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たとえるなら、副業のような感じ。

副業で取り組んでいる者同士だからこそ、お互いに共感できることってあるなあと思うのです。

そこに本業で取り組んでいる人や、プロがいると逆に落ち着きが悪くなるというような。

でも副業だからと言って、決して手を抜くわけでもないし、真剣じゃないわけでもない。

以前、自炊料理家の山口ゆかさんが、「私は、自分の素人料理にプライドを持っている」と語られていて、そんな自炊料理を実践する人を広く増やしていきたいと語られていて、僕はその表現に本当に強く感銘を受けたことがあるのですが、まさにそんな感じです。

一人ひとりが素人でありながらも、そんな自分なりの自炊料理のような読書の仕方に、引け目や負い目も感じずに、健全なプライドを持って、自らのペースやスタンスで読書をしてきているという感じ。

何かをお互いにひけらかし合いたいわけでもなく、ただこの世界の不思議や「生きる」自体のおもしろさみたいなものを共有し合っているというような。

Wasei Salonは、そんな意味で本当にすごく居心地の良い場所になっているなあと思います。そもそも、人間誰しも「自分の人生」のプロですから。

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そのような人々に囲まれていると、「自分はこの本はちゃんと読んできたけれど、ソレ以外のことは全然知らない…」みたいに、前提知識のマウント合戦に怯えることもなくなります。

はじめましての人同士で行う哲学対話と、大学のゼミのような本気の場所のちょうどその中間のようなイメージ。

これは例えるなら、昭和から平成にかけての「スポーツ」の変化の感覚にも近いかもしれない。

スポーツにおいても、勝ち負けのある本気の競争と、一方でプレー自体を楽しむという主に2つの視点があると思います。

競争にこだわり、勝ち負けを重視することは、それはそれでとても素晴らしいこと。プロの勝負は、観ているだけでも最高に面白いです。

でも、競技自体を楽しむ観点だってありますよね。

そして平成の後半から令和に入ってからは、このような楽しみ方の裾野自体も一気に広がってきている印象です。

その目的は、自らの健康のためだったり、人とのコミュニケーションだったり、そもそも生きるとは何か、人間とは何かと、自己の身体と向き合うためだったり。

そこに決して優劣なんてない存在しない。

でも平成の中頃までは、体育や部活の価値観が僕らに強く刷り込まれているため、やるなら一つでも上の順位に入るか、もしくは綺麗さっぱり足を洗って、大人になってからは一切スポーツには触れないということが、一般的だった気がします。

でも今は、生涯スポーツのように自分のペースでスポーツに関わるひとも増えたし、ジムだったりアクティビティの延長のような形でのコミュニティが各地に存在する。

僕らは、それの読書版やリベラルアーツ版みたいなものを、淡々とやっている感覚です。

まちなかにある、小さな風通しの良い気持ちの良いジムみたいな。ガチ勢なんて、いい意味でいない。

じゃあ片手間に実践しているのかといえば、決してそうではなくて、みんな本当に一生懸命に実践し、そして淡々と生きている。その生命活動のひとつのなかに「読書」が介在している感じです。

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冷静に考えて、おとなになってから勉強するひとはほとんどいないと言われている今の日本において、こんなにも日々淡々と本を読む人たちが集まっていることの凄さ、です。

しかも、それが研究とかではなく、一方で収入や仕事に直結するような内容でもなく、「生きるついでに本を読んでいるひと」たちが、こんなにもいることの凄さ。

改めてそれが本当にありがたいことだなあと思います。

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名著や名作は、ひとりで読んでいると孤独になるんですよね。

それは、心におさまらないから。心におさまらないから、みんな誰かに必死になって伝達しようとした結果、それが名作として時代を超えて残ってきたという経緯もある。

だから、自分も同じように他者に伝えようとしてみるんだけれども、周囲のひとびとには全然伝わらない。誰も同じタイミングでその本を読んでいなくて、コンテキストが共有できていないからです。

じゃあ、いま似たようなタイミングで読んでいて、話がわかってくれるひとがいるを探そうと思って、大学なんかに行けば、もちろん研究の目的として本を読んでいるひとにはたくさん出会えるかもしれない。

ただ、そっちはそっちで、あまりにも内容が空中戦すぎて、研究という意味では役に立つのかもしれないけれど、自分が話したいことはそれじゃない感がハンパないというひともきっと多いはず。

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僕らがやっていることは、繰り返しになりますが、良くも悪くも「生きるついでのリベラルアーツ」の実践です。

そんな市井の人々が集まるような空間です。

お互いに純粋な好奇心や探究心を持ちながら、問い続けるような姿勢を大切にして、読書や学びに対して新鮮に向き合っている。

昔はきっと、それを町中にある小さな書店なんかがコミュニティの役割を担っていたんだろうけれど、今はもうそのような書店もほとんどが潰れて消えてしまいました。

ただし、現代はインターネットで世界どこからでもつながることができて、オンライン上にWasei Salonのようにコミュニティを作ることができる。この幸運を生かさない手はないなと思う。

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はじめから、このような場ををつくろうと思っていたわけではなく、結果的にそうなっただけですし、本当に偶然ではあるのだけれども、唯一無二の空間が広がってきているなあと思っています。

本当にここに参加してくださっているメンバーのみなさんひとりひとりのおかげ。心の底からありがとうございますという気持ちです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。