年末のまとまった時間を使い、先日フジテレビ系の連続ドラマ「silent」を一気観しました。


涙あり微笑みありと、最後まで楽しく観続けることができて、とっても素晴らしいドラマでした。

今日は、このドラマを観ながら自分が考えてみたことを少しだけ、このブログにも書いてみたいと思います。

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まず大前提として、僕は普段、あまり民放の連続ドラマを観るということはしません。

ただ、社会現象のようになっているドラマやアニメというのは、なるべく目を通すようにしています。

なぜなら、そこには「社会的性格」が反映されている可能性が非常に高いからです。(社会的性格については後述)

だからこそ、普段自ら積極的に情報収集していないのにも関わらず、その作品の名前を各方面から耳にする場合は描かれているテーマ関係なく、無条件に観るようにしています。

『silent』は、まさにその条件を満たすドラマだと思ったので、この年末の時間があるタイミングで一気観してみました。

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まずは、僕がこのドラマを観て一番強く抱いた印象は、主要な登場人物全員が「とにかく他人想いで、優しい。あと、ちょっと幼い」ということでした。

きっと、これだけ人気を集めるということは、今の20代の若者の「社会的性格」にこれが近いのだろうなあとも思っています。

じゃあ、さっきから何度か言及しているこの「社会的性格」とは何か?

これは各人の「個人的性格」とはまた大きくことなるもの。

以前もご紹介したことがある『今を生きる思想    エーリッヒ・フロム    孤独を恐れず自由に生きる』という本から、少し関係する箇所を引用してみたいと思います。


子どもの性格の核は、自分が生きている社会や文化に属する大多数の人が共有しているものである。性格がある程度まで社会や文化の典型によって形作られるということは、社会や文化に属する大多数の人が、一定の性格要素を共通して持っていることに示されている。

だからこそ、「社会的性格」について語れるのだ。この社会的性格は、同じ文化の中にあっても個々人で異なっている個人的な性格とは区別しなければならない。フロイトは個人の性格を問題にしたが、この社会的性格はフロム独自の見解である。


その世代のひとびとが無意識のうちに身につけてしまっている性格が、まさにエーリッヒ・フロムの言う「社会的性格」です。

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じゃあなぜ、特定の世代の人々だけが身につける、そんな特殊な性格というものが存在するのでしょうか。

引き続き、同書から引用してみたいと思います。


フロムは、この社会的性格がマルクスのいう社会の経済的基礎(下部構造、土台) と政治的経済的制度、哲学、芸術、宗教などのイデオロギー的上部構造を結びつける媒介としての働きをすると考えた。すなわち、下部構造がある社会的性格を作り出し、そこから理念が作り出される一方で、いったん理念が作り出されると、それが今度は社会的性格に影響を及ぼし、間接的に経済的基礎にも影響を及ぼすと考えたのだった。マルクスは下部構造がどのように上部構造に転換されるかを示さなかったが、フロムはこの問題に、このような形での回答を与えたのである。


ここで言うマルクスの「下部構造が、上部構造を規定する」という話は、以前ブログでもVoicyでも丁寧に語ったことがあるので、ぜひ合わせて読んで(聴いて)みてください。

参照:「Web3的」とは何か?



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さてここで話は少し逸れて、一気に卑近の例になってしまい申し訳ないのですが、僕が小・中学校のころの幼馴染と集まって飲み会をすると、必ずと言っていいほど話題にあがるのが、

「もし、自分たちが10代のころにスマホがあったら、地獄だったよな」ということ。これは必ず満場一致の意見になります。

でも、今の若い子たちにとってSNSやLINEが当たり前のように存在する世界は、本当に地獄として映るのでしょうか。

たぶん、そうではないと思います。あくまで、当時僕らが観ていた「無色透明の世界」と同様。

それは、太古の昔の人間が森やジャングルが「世界」だと認識していたように、現代を生きる僕らが「コンクリートジャングル」を「世界」だと認識する違いなんかと、まったく一緒です。

両者の時代の人間からすると、相手側の「環境(下部構造)」はどうしても地獄に見えるのだけれど、その時代にたまたま生まれ落ちた人間からすると、それが「普通」であり、それが「世界」なんです。

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さて、そのときに人間はどうするのでしょうか。

もちろん、まずはそれこそがこの「世界」の有り様なんだと信じ込みながら、その中でどのように生きると、「結果的に自らが一番快適に過ごすことができて、不快を避けることができるのか」を考えるようになるはずなのです。

この時にあらわれてくる性格的な傾向がまさに、今日ひたすら言及し続けてきた「社会的性格」そのもの、になります。

そして、今の若者にとってそれが「他人想いで、優しくて、ちょっと幼い」っていうことなのでしょう。

なぜなら、それが今のスマホやLINE、SNSが当たり前のように存在する世界では一番快適に過ごしやすいから、です。

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このある種の逆転現象を、しっかりと理解しておくことができるかどうか。

つまり、人間は特定の性格を自ら選んで身につけているわけではなく、その時代の「下部構造」によってある程度規定されて選ばされてしまっているわけです。

そのような人間が、だんだんと社会の中に増えてきてある程度の地位を確立してきて、世代交代をすることで、その上部構造(精神やその在り方を決める倫理、宗教、法、哲学、文化)のパラダイム・シフトが起きる。

変化は常に、この順序なのです。

だからこそ、少し前の時代の人間のほうが実は共感しやすかったりするんですよね。

なぜなら、その時代の変化は、常に振り子のように揺れつづけているから。決して一点に定まることはありません。

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この事実を本当の意味でちゃんと理解していないと「これだから、今どきの若者は〜」となりかねません。

そうすると一瞬にして老害の完成です。

自分が年齢を重ねれば重ねるほど、今の下部構造で繁栄する時代の中で生まれ育った10代の子たちが、一体どのような「社会的性格」を身につけているのか、それを積極的に理解しておこうとする姿勢は、本当に大切だと思います。

ドラマ『silent』は、そういう意味でも、非常に参考になると思うので、自らがもう「おじさん」や「おばさん」だと自覚する方々は、ぜひ観てみるとたくさんの発見や気づきを得られるかと思います。

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そして、もし更にご興味があれば、合わせて映画『Coda あいのうた』もぜひ同時に観て欲しいです。

日本と海外の「聾者」の描かれ方、その価値観の違いや、胸に秘めている想いのようなものが真逆であって非常に興味深いですし、自らの学びもより一層深まるかと思います。

「優しさ」の価値観って、国によってもこんなに異なるんだって思わされて、本当に勉強になります。

今日のブログが、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんの何かしらの参考となったら幸いです。

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