もう何度目かわからないですが、先日『エッセンシャル思考』を改めてオーディオブックで聴き返しました。

言わずとしれたビジネス本だと思います。最近は名著の風格も出てきましたね。


この本を読み返してみて、改めていま思うのは「今の自分にとって、本当にエッセンシャルなこととは何か」です。

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この点、過去の自分が決めた重要な事柄だったり、自分が決めたと思いつつ、実は世間一般の中における重要な事柄が、私のエッセンシャルな事柄だと思いこんでしまう罠って間違いなくあるよなあと。

自分が重要だと信じて絞り込んだことにもかかわらず、「なぜかそれらに前向きで取り組めない…」ってこと誰しも一度は経験したことがあるかと思います。

でも本来、本当に自分にとって重要なことっていうのは、それに全力で取り組めること自体に喜びを感じて、あまりにもワクワクしてしまい朝も飛び起きたくなるようなことが、本当の意味で自分にとってエッセンシャルなことであるはずです。

それに取り組んでいる時は、完全に時間の感覚さえも忘れて取り組んでしまえるようなこと。

参照:積極的にバランスを崩し、居心地の悪さを感じる自分を許していく。

逆に、見るたびに非常に重要だと頭では理解しつつも、なぜかうんざりしてしまって、身体が動かない場合は、きっとそれはエッセンシャル思考でたどり着いたと自分が勝手に思い込んでいる「偽りの重要事項」なのでしょうね。

過去のお行儀のよい自分や、世間が重要だと考えていることに引きずられて、自分が生み出してしまった「エッセンシャルもどき」なのだと思います。

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本来、この世界において、たったひとりである私にとってのエッセンシャルな事柄というのは、見れば見るほど、自然とよだれが出てきてしまうような事柄であるはずです。

他の「重要だと思っていること」を差し置いてでも、時には寝食の時間さえも削って、それだけに集中したくなるような事柄であり、それに取り組んでいる時に心からの喜びと安寧を感じられるようなものが、私にとっての本当のエッセンシャルなことです。

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これは先日、Voicy内でもお話したウォーレン・バフェットの「やりたいことを25個書き出して、そのうちの5個に絞れ」という話にもつながってくること。


たとえば、その絞りに絞って最後に残った5つの中に「英語、プログラミング、読書、運動、家族との時間」というような、どこかで見たことがある文字列が並んでいたら、きっと要注意だと思います。

本当に自分が好きで、そのことに取り組んでいるのなら、それはそれでいいかもしれない。

でも、これは本当に真面目な人ほど陥りがちな罠だなあと思います。

本当は「それだけやっていていいよ」と言われたら嬉しくてしょうがなくなるようなことが、ここには並んでいなければいけない。

だから、本来は「ゲーム、マンガ、アニメ」のような文字列が並んでいるほうが普通だと思うし、きっと一般的。

まわりは、「これが私にとってのエッセンシャルだ」と言ったらゼッタイに否定してくるはずだし、鼻で笑ってくるような事柄であっても、そのようなことにこそ、他のすべての時間を削ってでも専念する必要があるっていうことを、この本は必死に教えてくれているのだと思います。

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これからの世の中において、そんな他人からみたら「遊び」みたいなことに没頭していくことが非常に重要になってくるからです。

世間が提案してくる重要ごとに、決して騙されてはいけない。

私にとっての重要ごとに全身全霊をかけて取り組むこと。

この点、ニーチェの『ツァラトゥストラ はかく語りき』の中に「駱駝(ラクダ)→ 獅子 → 小児」という三様変化の話が出てきます。

詳しくは、以前もこのブログでご紹介した『「普通がいい」という病』という本を読んでみて欲しいのですが、本当に大事なことは、ラクダの段階である自分が決めたエッセンシャル事項に従わないことです。

もちろん、獅子の自分が決めたエッセンシャル事項でさえも本当の意味ではエッセンシャルではない。

一番自分にとって重要なことは、「小児の私」が決めたエッセンシャル事項であり、それは周囲から見れば完全に「遊び」にしか見えないはずで、自分にとっても、時間を完全に忘れて子どものころのように全身全霊で取り組めることです。

自分が決めたことにも関わらず、なぜか窮屈に感じて取り組めないという方は、一体どの段階の自分が決めたことなのかを、改めて振り返ってみることは、いま非常に重要なことだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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