『冬のなんかさ、春のなんかね』は観ていただけたであろうか。
まだ第三話が放映されたばかりなので「興味はあるんだが、まだ観れていない」という具合であれば、すぐに観てほしい。まだ物語は全然進んでいないので、今からでもまだ間に合う。
「まだ物語は全然進んでいない」というのは少しだけ語弊があるが、まあ実際そうだ。主人公の文菜と、恋人のゆきお、友人のこたろう、浮気相手の山田さんとの関係性は全く変わっていない。
前回のブログでも書いたが、このドラマは「人とまっすぐ向き合えない主人公が、人とまっすぐ向き合っている人たちと向き合うことで、自分と向き合う」ドラマだ。
だから、
・文菜とゆきおの関係はどうなったの?
・恋敵は現れた?
・浮気相手の山田さんとは別れた?
みたいな、主人公の外側で起こる環境の変化(=物語の進展)を期待してはいけない。あくまでも、このドラマの主題は「主人公が自分と向き合う」ことだし、そんな「主人公の自分との向き合い方の変容」を見守る姿勢が視聴者には求められているのだ。
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となれば、このドラマは「恋愛ドラマ」のカテゴリーには当てはまらない。
どうしても、
杉咲花
成田凌
岡山天音
という名前が並んでいると、「恋愛ドラマ」を期待してしまう。
しかし、そのつもりでこのドラマを観てしまうと、スピード感が「めっちゃ遅い」と感じてしまうだろう。現代のドラマは、1話の中でどんでん返しがあって、「次が気になる」終わらせ方で視聴者の集中を持続させる方法が採用されることが多い。「考察物」なんかはほぼ全部その作りだろう。そんなドラマのスピードはめちゃくちゃはやいが、このドラマは「展開」を基準にしたらめちゃくちゃ遅い。多分、観ていられないと思う。
たとえ、その「遅さ」を受け容れたとしても、よくある恋愛ドラマの展開を期待して
「浮気が恋人にバレて、修羅場になるのか?」
とか
「浮気相手よりも恋人との間に『真実の愛』を見出すのか?」
「それとも、浮気相手になびくのか?」
とかいった何か心に強く印象に残る展開を期待していても、全然そうなる気配はない。主人公と周りの登場人物の関係性は、びっくりするくらい変わらない。
だから、このドラマは「物語の展開」を期待せずに「主人公の内面変化」を追いかけることが醍醐味なのだ。
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では、このドラマが「恋愛ドラマ」でないとしたら、いったいどんなカテゴリーに含まれるのだろう?と考えてみると、多分一番近いのは「少年漫画」なのだと思う。
少年漫画とは「努力・友情・勝利」のあれだ。夢に向かってまっすぐ突き進む主人公がいて、その主人公の前に敵が現れて、その敵を倒していくうちに仲間が増えたり絆が深まったりして、最終的に主人公が自己実現する。これが少年漫画なのだとしたら、「自分とも他人ともまっすぐ向き合えず、自分にも周りの人にも少しずつ嘘をついていて、そんな自分に嫌気がさしている」人間が主人公のこのドラマには少年漫画の要素が見当たらない。
しかし、このドラマと少年漫画の強くて大きな共通項がある。それが「主人公が周りを振り回す」ことと「それでいて主人公が周りからケアされている」ことだ。
現代を代表する少年漫画『ONE PIECE』の主人公ルフィの名言に、
おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!!
というセリフがあるが、概ね少年漫画の主人公は自分の自己実現のために周りからのケアを必要とする。
この点が、このドラマで描かれる主人公像と一致する。
文菜は「自分と向き合う」ために周りの人を利用している。今は、そんな自分にほとほと嫌気がさしている。「自分は結局、自分のことしか好きではないのでは?」と、周りの人は、他人とまっすぐ向き合っているのに、そうでない自分が嫌になる。
文菜とルフィは、自己実現の仕方が違うだけで、周りにケアされながら自分のしたいことを成し遂げようとしている点では共通するところがあるわけだ。
そして、このドラマの面白いポイントの一つが、文菜がケアのほとんどを「男性」に委ねている点だ。
小説の執筆というセルフケアと、大学からの友人でアロマンティックアセクシャルのエンちゃん(女性)との対話でケアされることはあるが、その他の物理的・精神的なケアは全て男性によってなされる。
恋人であるゆきお
古い友人のこたろう
浮気相手の山田さん
いきつけのカフェの店長と店員
実家で暮らす弟
そして、高校時代の元カレのしばさき
今回の第三話では高校時代の元カレに文菜がケアをされるさまが描かれる。どんなケアのされ方をするかは、実際にドラマを観てほしい。
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昨今は、「女性のケアができるのは女性だけ」的なシスターフッドものの作品が多い傾向にあったと思うし、そういった作品では男性は蚊帳の外に追いやられ「不在」の扱いを受けるか、敵として描かれて「打倒」の対象となることが多かったように思う。
そこへきて、このドラマは文菜という主人公が複数の男性からケアを受けているさまが刻々と描かれる。この点が新鮮だ。しかも、みんな文菜に対して優しい。決して家父長的に文菜を所有しようとしない。文菜はこういった男性からケアを受けながら、自分自身と向き合っていく。
その文菜の様子は一見すると「奔放」に見える。しかし、彼女の内面には「葛藤」が存在している。葛藤を抱えながら奔放に振舞う文菜のことを自分たちはどう見つめるのか。視聴者は、そんな文菜に向けている自分自身の眼差しと向き合うことになるのだ。

