ローカルの寂れたエリアに行くと、監視員やスタッフばかりがウロウロしている観光地や遊園地というのが多数存在しています。

平日に訪れてみると、お客さんはほとんどいないけれど、「どうぞここで遊んでいってください」とオープンになっているような場所。

大体の人々が、そこを横目で見ながら素通りしていきます。

それは、決してつまらなそうだなと感じているわけではありません。

自分がその空間の中で、<見られる>対象になることがイヤだから、多少の興味があっても素通りしていくのです。

ジロジロとスタッフ(他者)から見られる対象として、一人孤独に遊んでいることほど人間にとって虚しいことはない。

それぐらい<見られる>対象になる状況に、人間は根源的な居心地の悪さを感じてしまう生き物のようです。

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これが遊園地や観光地という空間だと、誰もが理解や共感を示してくれるのだけれども、実際にこれと似たような状況が、企業が作り出そうとしているファンマーケティングやオウンドコミュニティにも起きている。にもかかわらず、誰もあまり問題視しないことの不思議。

百歩譲って一人でも勇気を持って、お客さんがいない観光地や遊園地に訪れるひともいると仮定しましょう。

それぐらい強い興味関心を持ち、孤独体制が強いひとも世の中に存在します。僕自身も割とそっちのタイプの人間です。

ただ、そうやって訪れた人間同士で、自分と同じように孤独そうに遊んでいるひとを遠くに見つけて、少しでも声をかけてLINEでも交換しようとしたものなら、すぐに注意されてしまいます。

「そういえば、あっちにも似たような場所があるから、あっちにも一緒に行ってみましょう!」と声をかけると「いや、あなた達はここで出会ったのだから、この空間の中だけで交流してください」と注意してくるスタッフが必ず存在するのです。

あっちに行ってさらに仲良くなったら、またこっちにも戻ってくるのにも関わらず、です。

しかも、もしかしたらあっちで仲良くなった別のひとをこっちの空間にも連れてきてくれるかもしれないのに。

そのようなマニュアル通りのスタッフの行動は、本当にもったいないなあと思います。

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多くのひとは、楽しさやおもしろさを共有する「友人」がいれば、もっと全力で遊べるのにと思っている。

現代人は、そうじゃなくても常に孤独を感じていて、とにかく他者と何かを「共有」したいと思っているのですから。

現代はみんなそれぞれが全く異なる趣味に没頭してしまっていて、ドンドン分断されていく世界の中にある。ちょうどよく同じタイミングで、同じテンションで遊べる「友人」がいないという、昔ならあり得ない状況に置かれている。

だからこそ、自分と同じテンションで遊んでいるひとが少しでも存在していれば、そのひとたちと一緒になって遊ぶのになあと、日々漠然と感じているわけです。

にもかかわらず、オンライン、オフライン問わず、一定の空間において、現場の監視員役のスタッフばかりを増やして、本当に余計なことしている場面ってあまりにも多い気がしてならない。

そんな余計なことは一切しなくてもいいから、現場スタッフの人間たちが全力で遊んでくれていれば、お客さんも一緒になって全力で楽しめるのになあと。

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だからこそ、いま大切なことは、運営側もお客さんと同じ目線で目一杯遊ぶことなのではないでしょうか。

そして、その場に訪れた人々と「友人」になること。「おもてなし」なんて気にしない。というか、それが一番の「おもてなし」になるのだと思うのです。

もてなす側と、もてなされる側の「境界線」をドンドン曖昧にしていくことのほうが現代においては、とても大切になってきているのではないかとさえ感じています。

もちろん、その過程で他社のコンテンツ(商品)を紹介する必要も出てくるでしょう。そのことに対しては、ある程度許容する必要も出てくるのだと思います。

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上司から任された仕事だけに没頭し、ヘタな責任感だけをこじらせて、目くじら立てて他社コンテンツを排除しようとするそんな「忖度」だらけで運営している企業担当者の怠慢は、本当に目に余る。

会社都合でつくられた空間を一方的に提示して「あとは、よしなにどうぞ」とするのではなく、つくり手ら自身が訪れる人々の「友人」のような存在となり、一緒になってつくりあげていく「楽しさ」を共有していく。

下記の記事にも書いたように、そこに現代の「感動」というのは存在しているのだから。

私が一番感動した「いい時間」を商品にして提供する。 

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。