以前書いたこちらのブログ。
「Web3的」とは何か? 人々の倫理や哲学、価値観や文化はこれから大きく変化する。
昨日Voicy内でも、半年たった今考えていることも含めて、改めてゼロから丁寧にお話してみました。
今日のブログは、この続きです。
具体的には「なぜ下部構造の変化によって、上部構造は変化してしまうのか?」ということについて、考えてみたいと思います。
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さて、その理由はきっと、従来では変化するはずがないと思われていた「思考の枠」が完全に外されてしまうからなのでしょうね。
僕の中では、パンドラの箱を開けてしまうようイメージに近いです。
実際に、いま「web3」界隈において議論されている話は一昔前だったら、完全にSFの世界だけの話であり、現実社会に暮らすまっとうな大人が議論するような内容ではありませんでした。
しかし、今はそのSFの中だけで語られていた話が、一気に現実みが増してきています。
遠くない未来に必ずやってくることは、もう間違いない事実なんだろうなあと。
たとえば、最近僕が一番ハッとさせられた考え方は『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』を書かれた佐藤航陽さんの「現実ネイティブ」という考え方です。
今を生きる僕らが、リアル世界が「本物」で、バーチャル世界を「偽物」だと思う理由は、ただ単に僕らが現実ネイティブ世代に過ぎないから、だというお話です。
これは本当にそのとおりだなと。
僕らがいま持ち合わせている「文明(良し悪し)」や「文化(好き嫌い)」の感覚は、「現実ネイティブ」だからこそ、たまたま全員がその「共同幻想」として持ち合わせているだけであって、そもそも現実と仮想現実が完全に同等の感覚となった場合には、それらの前提はガラガラと音を立てて崩れ去っていくに違いない。
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ゆえに、「私とは何か?」「世界とは何か?」を今から徹底的に考え抜いておくことが必要になってくる。
今、日本のNFT業界内において「仏教」の話が盛んに語られるのも、それが理由だと思います。
アートマン(自我)のようなものを想定して、そもそも人間が見ているこの世界というのは、映画(現実社会)と観客(私)のような関係性だと考えれば、複数の映画を同時に観ることだって可能となります。
そのときに一つの映画館で、スクリーンが一枚しか存在していない人生を生きていた私たちからすると、複数枚の映画のスクリーンを行ったり来たりするのは到底考えられない世界観です。
それは、昔の映画館と今のシネコンのような対比に近いですよね。
シネコンを知らなければ、映画館で上映されている映画は、つねに一つのスクリーンから映し出されるものだと信じて疑わない。
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さて、そのときの人間の価値感というのは、一体どのように変化するのでしょうか。
そもそも、「私とは◯◯である」というように規定できないことに、本当の意味で気づき始めてしまうのだと思います。まさにブッダが説いた「諸法無我」ですよね。
この点、今の僕らからすると「文字」や「心」「時間」というのは、もうソレらがない状態をまったく想像できないけれど、これらもすべて、いま盛んに議論されている「メタバース」や「ブロックチェーン技術」のように、あとから人工的に発明されたものであるわけです。
でも、2022年現在を生きる僕らからすると、到底そうとは思えないですよね。
「水」や「空気」「植物」が存在するように、それらはもともと存在していたものだと思ってしまう。
なぜなら、僕らが「文字」ネイティブであり、「心」ネイティブであり、「時間」ネイティブだからです。
たぶん、それらがない時代の太古の昔の人間からすると、僕らは世界の「本物」を知らない世代であって、後世に作られた人工的な「偽物」に騙されてしまっている人間のように見えるのだと思います。
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まさに、それと同じような変化がこれから起きようとしているわけです。
ちなみに余談ではありますが、この地球において、植物が「花」という機能を手に入れてから、一気に生物多様性が変化したという話も、ものすごくおもしろい話でした。
参照:NHKスペシャル 超・進化論 (1)「植物からのメッセージ ~地球を彩る驚異の世界~」 -NHKオンデマンド
いま、「web3」や「メタバース」という新たな人工物が生まれてこようとしていて、「ブロックチェーン」という刻んだら一生変えられないデジタルの情報技術が乗っかってきたときに、僕らの上部構造(倫理、宗教、法、哲学、文化)が変わらないわけがない。
過渡期にいる僕らには、どうしてもそれが危険で怪しく感じてしまうけれど、もう少しだけ長い時間軸で眺めてみたときには、文字や心、時間と同じぐらい一般的なものとなってしまうはずです。
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もちろん、今日のお話は、頭がおかしい鳥井の妄想話だと思っていただいて一向に構わない。
実際に、現段階においては、完全に妄想レベルの話に過ぎないのだから。
でも、不可逆的な未来というのは近い将来必ず訪れる。そのときに要求される「上部構造とは何か」を、今から淡々と考えておくことは本当に大切なことだなあと。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
2022/11/17 11:43