先日、オシロの中で新しい挑戦的な機能「リアルタイムあいさつ機能」が追加されました。

予想通り、サロンメンバーのみなさんからも「自分には必要ないかも?」という声が。

ただ、僕は、このちょっとしたハレーションがとても大切だと思っていて。

これは先日のVoicyの明らかな改悪問題にもつながる話だと思うので、今日のブログの中でもこの件についての自らの私見と、いま本当に大切なプラットフォームと、パーソナリティやコミュニティオーナー、そしてユーザーさんたちとの関係性について考えてみたいと思います。

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まず、リアルタイムあいさつ機能とはなにか。

うまく説明できる自信がないので、オシロさんのリリースの一部を、そのまま引用してご紹介しておきます。

コミュニティサイト上で「偶然のつながり」や「ライトな交流体験」を促進するリアルタイムコミュニケーション機能。具体的には同時接続しているユーザー(最大2名)がホーム画面に表示される設計。そのメンバーのアイコンをタップすると「あいさつ」ボタンが表示され、挨拶スタンプをお互いに送信することができるというような機能です。


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で、この同時接続機能に、違和感を感じられて「なんか違う…」と思われる方がいらっしゃった。

僕もこの機能について、最初にお話を聞いたとき「本当に導入したほうがいい機能なのか…?」と正直思いましたし、実際にコミュニティ単位での導入のオンオフの意思決定がコミュニティ運営側に任されていたので、僕も最後までかなり逡巡しました。

とはいえ、オシロさんが社内で検討してくれた新しい挑戦には、しっかりと乗っかっていきたいなとも同時に強く思っています。

なぜなら、そこには必ず何かしらの思想背景があるはずだから。そしてオシロさんは、その信頼に値する会社だと、長年のお付き合いをしてきて本当に強く思います。

さらに、僕が見えていない盲点もあるはずだから、その自らの視野の狭さに対して、謙虚さも同時に持ち合わせたいなとも思う。

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そして実際にローンチされてみて、しばらく僕が直接この機能を触ってみて思ったのは、これはSlackやDiscordのような「相互監視」でもないし、楽天トラベルとかにありがちな「同時接続◯人(だから急いで!)」というような「FOMO」を煽るものでもないということ。

もっと本質的な「共にいる」を目指してつくられた仕組みであると思いました。まさに「同時接続」の新たな意味合い、本来的な価値を積極的に模索されているなと思う。

ただ、それが成功するかどうかは、まだわからない。でも、スタートアップのチャレンジのいいところは、まさにこういうところだなとも思います。

少なくとも、これまでには存在しなかった「新たな価値」がここで模索され、試されているなと感じています。

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で、さらにもう一歩深堀りをして思うことがあります。それが今日の本題でもある。

まず結論から言えば、僕は、このような新しい施策が、実際に有益かどうかよりも、新しい挑戦を応援し合う関係性が、そこに存在していくことが、これからは大切だと思っています。

その背景にある意図をお互いに理解し、経済合理性だけで考えたり、正しさだけで考えたりした場合には、絶対にやらないほうがいいことであっても、どうやってそこを共に乗り越えていけるかのほうが、大切になってきているなと思うのです。

そもそも、そんな合理性の価値だけで見たら、Wasei Salon自体をやる必要も全くないし、やろうとするのは愚の骨頂。大して儲かりもしないのだから。

でもそんな合理性の価値観だけの世界だと疲弊するし、結局、勝者総取りの世界線になってしまう。

むしろ、そのなかでも合理的判断の外に一旦出てみて「本当に僕らが求めているのはなんだろうね…?」という新しい価値基準から、新しい仕組みを共につくっていこうと目指すことが、今とても大事だと思うんですよね。

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思うに、今のビジネスの世界(お金をやり取りする世界)の中でやられていない施策には、やられていないだけの合理的な理由が必ずそこに存在する。

でもそれは逆に言うと、様々な形において利益衡量された結果として、やられていない施策でしかないはずであるはずで。

過去に何度かご紹介してきた、山口周さんの「経済合理性限界曲線」の話にもつながります。

で、ここには、単純にお金のコスト面の話だけでなく、コミュニケーションコスト、つまりメンタル的なコスト面も多分に含まれる。

つまり、メンタル面のコスト計算をした結果、そこで起きるハレーションと見合わないから、やらないという決断。

ともすれば、ユーザーの反発を招き、離脱が置きてしまうから、そこまで考えると経済合理的には見合わない施策として、見送られてしまう施策もかなり多いということです。

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でも逆に言うと、ソレさえなければ意外と必要な機能だったりもするわけですよね。

言い換えると、本当の意味で「理想とする世界線」をみんなで迎えに行く場合には、必ず通らなければいけない道だったりもする。

多くの企業が避けているのは、その施策自体が悪だからではなく、ユーザーの反発や離脱というコミュニケーションコストが高すぎてしまうから。

だとすれば、そのためのメンタル的なハードルを下げることは、僕はとても大事だと思う。

そんな両者の歩み寄りこそが今求められている。

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具体的には「大丈夫、うまくいかない可能性があることも理解している。でも、それでもついていくよ。」というカウンセラー的な態度だし、

「ついていくなら、行きましょう」というクライアントの「勇気」にもつながっていくという、まさにあの話。


結果として、お互いに「ナイストライ!」と言い合える関係性がとても大事だなと思います。また、それこそが現代はコンテンツ価値になりつつある。

そして、このように「ついてきてくれるひとたちから、搾取をしない関係性」がいま本当に大切で、なおかつ、世間的にも求められているなと感じます。

逆に言えば、いつだってギブアンドテイクを求められてしまう世界だから「テイクできるときには、できる限りテイクしよう!」という思考が、勝手に働いてしまうわけでもありますから。

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Voicyの改悪問題も、一体何が問題だったかと言えば、施策の正当性(合理性)以前に、運営とユーザー側の信頼関係やコミュニケーションが欠如していたことに問題があると僕は思います。

合理性を中心とした論理から考えて「正しいかどうか」つまり「正論かどうか」はあまり関係がない。

つまり、あの問題はVoicy側だけの問題ではないということです。

パーソナリティ側やユーザー側の「期待」や「おごり」も含まれる双方向の問題だと思うんですよね。「国内サービスだから」というユーザー側の期待や甘えも間違いなく存在した。

結果として、Voicy社側にコミュニケーションコストに怯えさせてしまったことも問題で。

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もちろん、これは鶏とたまごみたいな問題で、そのような土壌や文化を築いてこなかったVoicy社の責任でもある。

でも、心を閉ざしてしまった、怯えさせてしまったのは、やっぱりパーソナリティやユーザーの問題でも合ったわけですよね。

ちきりんさんの有益なプレミアム配信だって、代表の緒方さんがその存在を知っていたことは間違いなくて「でも、聴きたいけれど、聴けない」という、そのアンビバレントな気持ちを抱かせてしまった次点でアウトだよなと思います。

というか、それこそが純粋に一番もったいないなと僕は思うのです。

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もちろん、スタートアップの経営者なんだから「それぐらいは耐えろ、ハードシングスなんだから!」というのはわかる。

でも、結局そんなマッチョさを追い求めてしまったら、やってくる未来はこれまでと変わらないわけです。

そして、そのハードシングスを乗り越えたマッチョな人たちが持ち合わせている世界観にすべて染め上げられてしまう。

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「それが生き馬の目を抜く、ビジネスの世界だ」と言われても、そんなものはつくりたくもないし、欲しくもない。

そもそもスタートアップが本当に持ち合わせるべき精神は「いま存在しないものをつくる」であり、それが実現されていないと意味がないと思います。

そして、いま世の中に、本当に存在しないのはこっちです。

従来のスタートアップ的な新自由主義的な世界観は既に存在している。そのためのエコシステムはもう整っている。

古くはITスタートアップから、SaaS系のサービス、そして今はAIとジャンルが変わっているだけで、やっていることは一緒。

でも、そのエコシステムとマッチョな経営者だけでは、決して生まれてこない価値があるわけですよね。

そして、僕らは今そこに猛烈にモヤモヤしているわけです。

「すべては豊かになって、便利にもなった。でも、この満たされなさ、一向に幸福だと感じられない、このジレンマは一体どうすればいいのか」その時に本当に必要な「場」とは一体何かを考えて創造するのが、本来のスタートアップ的態度。

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だとしたら、本当にこれから必要なことは、相互に支え合える場としての価値を体現することだと思います。

具体的には、一方通行ではない、敬意あるフィードバックループが循環している空間。

そして少しメタ的になるけれど、まさに今日みたいな話を、クローズドの中の「オープンな場」において、丁寧に語り合えることこそが、いま強く求められていると思う。

そして、それがオシロさんのようなプラットフォームを提供する会社や、僕らのようなコミュニティ運営側にも適切に意見として届くこと。

きっとオシロさんだって、今回のこの新しい機能が絶対に正解なんて思っていないだろうし、前向きで建設的なフィードバックを求めていることは間違いないわけですから。

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何よりも大事なことは、共に試行錯誤をしていくなかで、経済合理性の外にある「本当に迎えに行きたい価値」を共に考えていける文化づくりであり、共に応援し合えるそんな場づくりだと思います。

繰り返しますが「大丈夫、うまくいかない可能性があることも理解している。でも、ちゃんとついていくよ。」

そして「着いてきてくれるなら、行きましょう」というその「勇気」につながること。

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そんなポジティブな循環をこれからも大切にしていきたいですし、それがこの時代にコミュニティ運営をする意味や価値だと思っています。

「いいお店は、いいお客さんがつくる」それは間違いない。

だとすれば、どれだけその文化感をお互いに大切にする「場」を、関わる人間全員でつくりだしていくことができるのか。

持ちつ持たれつ、いつだってより多くをお互いに返し合う、そんな贈与の関係性が巡る場をつくり出していくこと。

そのときにはじめて、本当の意味で「経済合理性限界曲線」を超えた先の、僕らが本当の意味で求めている世界がそこに立ちあらわれてくるのだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。