先日、映画『プラダを着た悪魔2』を観てきました。

個人的には、めちゃくちゃおもしろかったです。まだ5月だけれど、今年いちばんと言いたくなるぐらい、本当に素晴らしい映画体験でした。

ただ、今日はできるだけネタバレをせずに書きたいと思います。

なぜなら、この映画は、あらすじや展開を先に知るよりも、自分の目で最後まで見届けたほうが絶対にいい映画だと思うから。

だから、具体的な展開にはなるべく触れません。

でも、ひとつだけ最初に言いたいことがあります。

できれば前作『プラダを着た悪魔』を必ず復習してから、その足で今作を映画館に直接観に行ってほしい。

これは本当に、映画館で観ないともったいない作品でした。

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前作を観直してほしいのは、単にストーリーを思い出すためだけではありません。

もちろん、登場人物たちの関係性を思い出すという意味でも、復習しておいたほうが楽しめるとは思います。

でも、それ以上に大切だなあと思うのは、あの当時の映画がまとっていた時代の空気を、もう一度自分の身体に体感しなおしておくことだと思います。

僕も、もし事前に復習をしていなければ、こんなにも楽しめなかったと思います。



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思うに、2006年公開の前作『プラダを着た悪魔』には、まだ雑誌が世界を編集していた時代の空気が濃厚に残っています。

当時は、何が美しかったのか、何が新しかったのか、何が時代の先端なのか。

そんな雑誌や編集長やファッションの現場が本気で選び抜いていた時代のまぶしさと、怖さみたいなものが同居しているような映画でした。

その中心にいる人たちの、圧倒的な美意識と、容赦のなさと、仕事への執念、前作には、そのすべてが詰まっていたように感じます。

だからこそ、今作を観るまえに、もう一度あの世界に触れておいてほしいなあと。

あの頃の空気を思い出してから今作を観ると、この20年という時間が、ものすごく深く意味あるものとして、グサグサと刺さってくると思います。

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で、今回の新作を観ながら、これはある種の「弔い」の映画でもあるなと思いました。

かつて強い力や権力を持っていたものが、もう昔のようには世界を動かすことができなくなっている。まさに盛者必衰の物語。

でも、その中にあった美意識や誇りや魂まで、すべてが無意味や無価値になったわけではない。

じゃあ、その衰退をどう見送るのか。何を手放し、何をどう残すのか。

この映画は、そんな問いを静かに抱えているように僕には見えました。

一方で、どうやって、プライドを持って、それらに「執着し続けるのか」も、同時に描いているように思います。

ただの懐古主義でもなく、プライドや矜持の話が中心だし、同時に無常観や「もののあはれ」の話でもある。

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この映画は、その盛者必衰の変化をなかったことにはしない。

とはいえ、もう古いから全部を捨てればいい、という冷たい割り切りをするわけでもない。

終わりゆくものを、ちゃんと終わりゆくものとして、真正面から見つめようとしている。

でも同時に、その中に宿っていた魂のようなものまでは、見捨てないためにはどうすればいいのかを、本気でド真剣に考えている。

その問い続けながら考えている姿勢自体が、なんだか本当に良かったです。

これこそ「もの」語りじゃないと描けない話だなと思います。ビジネス書的な「こと」わざ的なアプローチでは、不可能な学びと発見を与えてくれる。


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また、これは雑誌文化だけの話ではないと思います。

現代を生きる僕らのまわりには、似たようなものがたくさんある。

AIの波でありとあらゆるものが、いま実際にそうなりつつある。

かつて憧れた仕事や、その周辺に広がる信じてきた文化、大事にしてきた共同体など、もう昔のようには機能しないことは確定しているけれど、それでも簡単には手放せない。

きっと世界中の多くの人が、いまどこかで同じような問いを抱えているのだと思います。

自分が大事にしてきたものが、時代の中心から少しずつ外れていくし、自分が信じてきた仕事のやり方が、もう以前ほど通用しなくなっている、その現実。

憧れてやっとたどり着いた世界が、いつの間にか、少し古いものとして扱われるようになってしまっている。

でも、その中にあった美しさや誇りまで、全部なかったことにはしたくないし、することが正しいとも決して思えない。

そういう感覚は、きっと誰にとっても無関係ではないということなんだろうなあと。

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マスメディアのような出版業界だけでなく、音楽でも、ファッションでも、地域でも、コミュニティでも、ものづくりでも、同じような変化は起きていると思います。

世界がAIシフトに向かうことは必然、既に起きた未来だとどれだけ言われてみたところで、何か大事なものを見失う気がしてしまうのだから、そこにちゃんと目を向けたいという執着心。

そのときに、自分たちは本当の意味でどう執着しつつも、手放せばいいのかを、必死で試行錯誤してみせようとしていたなあと思います。

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そして、この映画がすごく正直でいいなと思ったのは、その問いに対して明確な答えを出さないところでした。

「こうすれば復活できる、こうすれば新しい時代に適応できる」そういうわかりやすい結論には向かわない。もちろん、古いものは捨てて、新しいものに乗り換えればいいと語るわけでもない。

終わりゆくものは、終わりゆくものとして依然として、そこに残酷にあり続けるし、そのときに、どんな顔でそこに立つのか。何を次の誰かに手渡そうとするのか。

この映画が描いていたのは、まさにそこであり、たまたま偶然ではありつつも、細木数子の生涯を描いた『地獄に堕ちるわよ!』とも、なんだか非常に似たテーマを描いているなと思いました。


言い換えると、問いに答えがあるから励まされるのではない。問いに答えがないまま、それでもその問いから逃げない人たちがいる。

その答えのなさに立ち向かう様子に、僕らは今、なんだか逆にものすごく励まされるのでしょうね。少なくとも僕の場合はそうでした。

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特に最後の場面に、僕は大きく心を動かされました。

あえて、具体的なことは一切語りません。

でも、これから観る人には、ぜひ最後の場面を楽しみにしていて欲しいなあと思います。

何かが劇的に解決するわけではない。冒頭部分に描かれた大きな社会問題そのものが、きれいに消えてなくなるわけでもない。

でも、それぞれの人が、それぞれの場所で、その問いに向き合っている。その姿を見たときに、ああ、これは本当にいい映画だったなと思いました。

答えがないまま、それでも人は働いていくし、生きていかなければならない。

そして、「いまここ」において、アンディとミランダたちはこうしましたよ、と、観客にそっと手渡してくる。

その姿が、ものすごく静かに、そして着実に胸に残りました。

さて、君たちはどうする?と。

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観終わったあと、これもまた「君たちはどう生きるか」と問われる映画でもあるなと思います。

少なくとも僕は、観終わってしばらく、そんなことを深く考えさせられました。

そして繰り返しますが、この問いは世界の誰にとっても無関係ではない問題なのだと思います。

それぐらい世界は本当につながっている、つながってしまっている。

アメリカのファッション誌を舞台にした映画の話なのに、日本で暮らし、日本で働いている自分たちにも、まっすぐに響いてくるメッセージ。

みんながそれぞれの場所で、似たような変化の中に、否応なく立たされている。

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僕自身、今作を観終わったあと、20年後に、またこの二作品を同時に観てみたいなと思いました。

そのときに、僕らの仕事も、メディアも文化も、今とはまったく違うものになっているかもしれない。

いま大切にしているもののその多くも、もう完全に姿を変えて消えさっているかもしれない。

でも、そのときの自分がまだ自分がここで描かれている内容を美しいと思い、何かを手放さずに、誰かに何かを必死で手渡そうとしている人間であれたらいいなあと。

そんなことを素直に思わせてくれる、本当に良い映画体験でした。

ぜひ、前作を復習してから観てみてください。

前作を観直すと、あの頃の空気が真空パックされた形で味わえると思いますし、その空気をもう一度味わい、思い出してから、今作を観ると、20年という月日の残酷さと今作の優しさが、きっとより深く伝わってくると思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。