最近、Voicyで配信されていた近内悠太さんと矢萩邦彦の対談や、Podcast番組『水星移住計画』で龍崎翔子さんたちが配信していた「京都のいけず文化」に関するPodcastなど、割とニッチな音声配信を聴いていたのですが、どちらも対話内でド直球の本音が語られていて、本当によかったなあと思います。

これぞ音声の魅力、という感じ。決してTwitter上では語られるような話ではない。

VoicyやPodcast、ラジオなど音声だけの世界では、みんなとっても楽しそうに本音をぶちまけているから、本当にいいなと思ってしまいます。

それゆえに、ニッチだけれども切り口のエッジが効いているものは、積極的に聴きたくなる。

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これがもし、YouTubeのように映像付きだったら、恣意的に切り取られることを恐れてしまって、たぶんここまで赤裸々には語ってくれないはずなんですよね。

音声のみで、映像がないことの価値というのは、こういうところにあるんだろうなあと思います。言い換えると、パノプティコン的なまなざしが向けられていないこと。

そして、これからの世の中においては、そんなまなざしを内面化していない状態をいかにつくりだすのか。

それがより一層重要になってきているなあと思うので、今日はそんなお話です。

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この点、たとえば最近、山口周さんが新刊『人生の経営戦略』を出されて、様々な媒体に出られているけれど、やっぱりいちばん本音ベースで語られているなと思うのは、ご自身のVoicyのプレミアム配信だなと思いました。

出版記念で、ご出演されているYouTubeはいくつか実際に観てみたけれども、基本的には書籍のダイジェスト的な構成になっていて、これなら最初から書籍を読んだほうがいいと思えるような内容。

でもVoicyのプレミアム配信だけは違う。

実際に本を読んだ方こそ、最近復活した山口周さんのプレミアム配信は必聴だと思います。

プレミアムの内容なので具体的にここでご紹介はできないですが、書籍に書かれてあるロジック部分と、Voicyで語られる感情の部分、どちらも両面から知ることで1冊が完成するなあと思います。

『人生の経営戦略』を読んでいる最中に感じるような違和感も、この音声を聴いて初めて解消される部分がたくさんありました。

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で、だとすれば、どうすればそうやって音声のみだからこその本音ベースで語ることができる空間をつくることができるのかのほうが、これからは圧倒的に大事になってくるんだろうなあと僕は思います。

AIがドンドン浸透していく現代だからこそ、ここだけのムードや、ここだけの話など、ちゃんと求めているひとのもとのところに、インターネットを介して直接音声で本音が届く仕組みに価値がある。

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ただし、この点、くれぐれも誤解しないで欲しいのは、僕らはもうAIの追跡、その追手からは音声だろうと逃れられない。

AIの監視や世間の監視、そんなパノプティコン的なまなざしからは、もう決して逃れられないと思います。

この点で最近、僕がAIの進化でとっても驚いたのは、『映像の世紀バタフライエフェクト    映像の世紀×AI    ヒトラーの隠された素顔に迫る』という番組で用いられていたAIの技術。

当時、絶対に自らがプライペートは取材させなかったヒトラーが、その愛人と過ごした別荘での映像がいまも残っていて、その映像をAIで解析するという内容でした。

その映像には、音声は残っていなくても、映っている映像の唇の動きだけで読唇術を用いて何を会話しているのかまで、ハッキリと分かってしまう。

なかなかに衝撃的な内容なので、この番組はぜひとも実際に各人で直接観てみるといいと思います。

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そして、いまその読唇術のAIは、ドンドン進化をしているそう。

そうすると、近い将来は、死角がないように各所に監視カメラさえ設置しておけば、そこに映る人間の話したことすべてが、原理的には文字起こし可能な世界線がやってくる。

音声を拾うマイクなんて、もうまったく必要ない。

たとえば、渋谷駅を降りた瞬間から、AIによって友人と話した内容が、すべて勝手に文字起こしされる未来がやってくる。本当にすごい世界だなあと思います。

もちろん、たとえ死角に入ったとしても前後の文脈だって簡単に想定できてしまう。AIがそのような話を語っていただろうと高確率で判断したら、それが証拠として用いられる日もきっと近い。

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少し話が逸れたのでもとに戻すと、これからは、このようにパノプティコン的なまなざし、どこかにカメラがある世界、話したことすべてが書き起こしされる世界を、僕らは想定して生きることになるはずです。

そしてそれが切り取られたり、思いもしない形で用いられる世界線を生きることになる。

でも、音声配信にはそれがない風を装える。だから、直接話せることがあるよなと思うのです。でも、繰り返しますが、それはもはや錯覚なんです。実際はそういうわけじゃない。

文字起こしされて、テキストで世界に届けられてしまう可能性を秘めている。

でも、そんなふうに「まなざし」は存在しないかのように感覚がバグるようなステージというか舞台、そんな空間を一体どうやってつくっていくのかが重要であり、そこで話される原液のような本音のほうが大事になる。もちろん、それは当然リスナーも共犯関係になって、です。

そしてそこで語られた本音が、AIによってまた新たなコンテンツを生んでいくわけですから。

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逆に言えば、僕らがいま一番懸念しなければいけないことは、そうやって、他者やAIのまなざしを内面化し、自己の本音が書き換わっていくことだと思います。

今日から、日本でもApple Intelligenceが使えるようになったらしいのですが、この機能が一般的になってくれば、余計にメッセージのやり取りのなかで用いられているテキストは、本人が書いた本音なのかどうかは、疑わしくなってくる。

そして、その場で発言するべき建前としての理想は、AIがつくったほうが圧倒的に上手い。誰も傷つけずに、なおかつ一番仕事や人間関係が円滑になる文章を生成してくれます。

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で、きっとそうなれば、数年後には、表で語られる話はもはやすべてAIで書かれているという予測が働き、よくも悪くも、僕らの中にAIでつくられた建前を内面化していく。それが、どんどんと伝染していくはずです。

最近、僕が若い人と話していて驚くのは、建前で語っているのかと思いきや、それこそが自分の本音だと思い込んで話していること。

本人がそう思っている以上、こちらもそれを相手の本音として受け止めるわけだけれども、でもそれは世間や他者につくられた本音であって、それこそが「テクノ封建制」の罠そのものでもあるなあと思います。

クラウド領主によって都合よく行動するように捏造された本音であることに、本人自身も気がついていない状態。

洗脳というと言葉はとても強くなってしまうかもしれないけれど、神風特攻隊に向かう若者たちが、自己の本音だと信じて飛び込んでいったように、本音こそが都合よく書き換えられた言葉だったりするから恐ろしいなと思います。

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これからはきっと「この瞬間だけは、本音が語られている」というコンテンツに価値が生まれてくると思います。

でも同時に、それは常に録音・監視されているから、あとからいくらでもコンテンツ化できるという状況が生まれてもいて、そこにこそ価値が生まれてくる。

監視カメラが、奇跡的瞬間の映像を捉えていた、みたいな話です。

もちろん、それはコミュニティ内のやり取りがアニメ化されるみたいな話にも非常によく似ている。


この点、僕は最近、Voicyの中でおのじさんと雑談を収録する中で、若い頃に印象に残っている出来事について語りましたが、あれだって、あの内容をもとにアニメ化なんかができると思うんですよね。

前後の文脈もAIが勝手に予測してつくってくれる。それが他者にメッセージとして届くうえでは、僕の「本物の記憶」である必要はない。

物語というのはそもそも、そういう宿命にあって、それは先日ご紹介した「葬送のフリーレン」みたいな話です。

でもきっと、あの場でおのじさんが聞き出してくれた僕の本音によって、AIが汲み取ってできるコンテンツは、僕がうわべや建前だけで書かれたものとは、まったく異なるものになるはずで。

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AI時代だからこそ、僕はこのバグみたいなものをつくりたいと思うんですよね。そうやって、思わず、本音がポロッとこぼれてしまった瞬間をつくりたい。

それは間違いなく、人間同士の信頼関係の土台の上に成立するのだと思いますし、きっと音声だけの世界のほうが、そのような状況は起こりやすい。

何度も強調してしまいますが、くれぐれも誤解しないで欲しいのは、そこにも既にAIの魔の手は忍び寄っていて、どこにも逃げ隠れすることはできない。

だけれども、いい意味で人間の認知的バグは引き起こせるなと思います。

場の作り方、その文化づくり次第で、いくらでも。それぐらい人間というのは良くも悪くも空気や雰囲気で行動している生き物なわけですから。

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すべてがAIに監視されて、そのまなざしをパノプティコン的に僕らが勝手に内面化してしまう時代だからこそ、そんなバグから生まれる奇跡的な瞬間を少しでも多くつくり出していきたい。

そして、その瞬間が生成AIによって、良い感じにコンテンツ化・作品化されていくというような循環を生み出していきたいなあと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。