昨日、こんなツイートをしてみました。
もし、自分が満たされるために他者を求め続ければ、側室や執事が何人いても、その欲望は決して満たされません。
でも、過酷な戦場を共に生き抜くための戦友であれば、どんな存在だって心強い。そして戦場を共にした「記憶の共有」が、目の前の他者をこの世界でたった一人のかけがえのない他者へと変えてくれるのだと思います。
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最近だと、マンガやアニメだと『SPY×FAMILY』なんかもそうですよね。
もちろんこれは最近、僕が至るところで言及している朝井リョウさんの『正欲』を読んで感じたことでもあります。
『正欲』はまだ読んだことがない方もいると思うので、あまりネタバレをしないように書きますが、これも似たような構造の物語になっているんですよね。
そしてもちろん、往年の名作であるサン・テグジュペリの『星の王子さま』なんかも参考にしています。
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僕は6年以上この話をずっと考え続けていて、当時ブログにも書いたりして、なんとか伝えてみようと努力してみたのですが、この話というのはなかなかに伝わらなかったです。
でも今回は、このことを理解してくれる方が以前よりもまた少し増えたみたいで、純粋にとても嬉しいです。時代が変わりつつある証拠でもあるのだろうなあと。
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で、これは当時もそうだったのですが、このような内容の話やブログを読んでくれた方々の中には、ちゃんと共感をしてくれる方もいてくださって「だから私も戦友を見つけたい、探している」という意見があります。それは今回も多く寄せらている。
でも、それはそれで違うと思うのです。せっかく賛同してくださっているのに、このあたりは「面倒くさいヤツで本当にごめんなさい」という気持ちです。
なぜなら、それはそれでまた「目的」を持ってしまっているから。
つまり「私が満たされるために」という状態には大差がないんです。そして、そうやって捉えてしまいそうになることに、この話の大きな落とし穴があると思っています。
無意識ではない分、ちょっとは異なるのかもしれないけれど、どちらにせよ、その矢印(ベクトル)の方向ではないってことをここでは強く伝えたい。
この伝え方が、いつも本当にむずかしいなあと思うポイントでもあります。
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思うにきっと、順序が逆なんです。
以前もご紹介したことのある喜多川泰さんの小説の中に出てくる言葉「好きだから大切にするのではなく、大切にするから好きになる」ということにも、構造的にはよく似ている。
あと、以前ブログにも書いた伊集院光さんの「ネタ集めのために、旅をしてはいけない」という話にも非常に近い感覚です。
https://wasei.salon/blogs/fd61930f5562
言葉にするのは本当にむずかしいのですが、いま、私の目の前で起きていること、自らのところに巡ってきた縁起をあるがままに受け入れて、そのままを愛することの重要性が、これらすべてにおいて語られているように思います。
そこに何か、私の欲望を満たすような「目的」を持って作為的になり、自ら能動的に歩み寄ってはいけないのです。
むしろ、自分のなかに立ちあらわれてきた、他ならぬ他者としての存在をこんなにも愛してしまう、そんな目の前の他者と紡がれた私との関係性の意味、その「意味」を丁寧に考えるということが、本当に大事なんだろうなあと思うわけです。
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この点、最近、哲学者・苫野一徳さんの講談社現代新書から出ている、その名も『愛』という新書を読んでいます。
https://amzn.to/42aCByX
この本は本当に素晴らしい本で、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』に匹敵するぐらい『愛』について本質的に探求されている本だと感じています。
ぜひみなさんにも、一度手にとってみて欲しい一冊。
で、この本の中で今日のお話に関連して、ものすごく大事なお話が語られていたので、以下で少し引用してみたいと思います。
恋をした時、わたしたちが知りたいのは、なぜこのわたしが、ほかならぬこの人に、「この人でなければダメなんだ」と思うほど恋焦がれているのかということだ。この感情はいったい何なのか?
わが子への愛を全身で感じ取っている時、わたしたちが知りたいのは、「ああ、今オキシトシンが分泌されている」などということではなく、なぜわたしは、ほかならぬこの子をこれほどにも愛しているのかということだ。この感情は、いったい全体何なのか?
つまりわたしたちが知りたいのは、化学物質がどうといった科学的な現象説明ではなく、この恋や愛の本質的な〝意味〟なのだ。
さて、いかがでしょうか。何か私の欲望を満たしてもらうかのように「目的」的に捉えることの危うさというのは、ここで必死に苫野一徳さんが制してくれていることに、とてもよく似ている。
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僕らはどうしても、現代社会を生きている以上、そのような科学的解釈における脳の用い方、その構造的な理解に無意識のうち染まってしまっていて、現代社会の構造上、それは仕方のないことだとも思うのですが、実際はそうじゃないのです。
これは、現代のハック思考なんかもまさにそうですよね。
理想的な状態を分析して、その科学的な現象として説明し、あたかもそれが再現可能であるもののように捉えて、その方向に作為的に仕掛けようとすること。
でも、繰り返しますが、そうじゃないんですよね。
そうしてしまった瞬間に、スルスルと私の手からこぼれ落ちてしまうような類いの話が、この話なんです。
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その矢印の方向だと、一生見えてこないものがこの世にはある。
それが「愛」のような類いの話なのだと思います。
僕らが感じている、いつの間にか自らに宿してしまったこの「愛」の本質とは一体何かを、未来から過去に向かって、遡及的に考えることが本当に重要で。
世間の常識や「みんながそれを求めているから当たり前だ」と思われていることこそ疑い、逆の方向から考えてみて、初めて見えてくることがある。
そして、それこそが現代を生きる僕らに本当に大事なことなのだと思います。
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この点、朝井リョウさんの『正欲』は、今年映画が公開されることが決まっていて、ネタバレになるのであまり深くは語りませんが、この映画の主演は、また「逃げ恥」と同様、新垣結衣さんが演じられるようです。
そんな新垣結衣さんが映画に寄せていたコメントが素晴らしく良かったので、ここでも少しご紹介してみたいと思います。
「原作を読んで、何かを問われたような気持ちになりました。それは、「何が正しいか」とかそういう単純なものではないような、でも実はとてもシンプルなことのような気もしました。考え続ける事、想像し続ける事をいつも以上に大切にしながら、制作に臨めたらと思っています。」
引用元:
今回も、彼女が似たような役を演じることになったのは、決して偶然ではないかと思います。そして、彼女の演技の魅力、その「現代性」ってきっとここにある。
それまでの世間の常識から考えると、どう考えても多くのひとたちの頭の中に「???」が浮かぶのだけれども、意外とシンプルなことで、それこそが本質的なことだったりする。
それをずっと考え続けて、問い続けながら彼女が演技という形で表現しようとしてくれるから、彼女の演技は、現代を生きる多くの人々の心を打つのだろうなあと僕は思います。
一見すると突拍子もない関係性であっても、それを観せられている観客は何か自分の中に存在している本質を突かれて、ハッとさせられてしまうということなのでしょう。
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まずは、自らに巡ってきた縁起の観念をすべて、あるがまま受け入れることから、すべてが始まるような気がしています。
そして、僕自身、これからもずっと問い続けていきたいことのひとつです。
映画の公開も本当に楽しみです。また、『正欲』はオーディオブック版も素晴らしいのでぜひ合わせて聞いてみてください。
今年はまだ残り半年近くありますが、間違いなく今年一番の現代小説のオーディオブックだと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。