先日、イケウチオーガニックの東京ストアで開催されたトークイベント「心地よい空間とタオルのお話ーAI時代の心地よさー」。
このイベントの中で、建築設計士の黒木さんが何気なくお話してくれた内容が、今もずっと強く印象に残っています。
それが、
「キレイにできたようなものが、実は一番進まない。」
というお話。
今日は、この意味するところを改めて説明をしつつ、先日配信した黒木さんがゲスト回のプレミアム配信の内容も踏まえながら、「本当の意味で人間がつくりあげる必要があるものとは何か」について考えてみたいと思います。
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さて、黒木さんの「キレイにできたようなものが、実は一番進まない」という言葉は、会場のみなさんにも刺さったようで、この言葉が出てきた時に多くの方が大きく頷くなど、反応が非常に大きかったです。
この点、僕らはどうしても「完成品」が大好きなわけですよね。
なぜなら、それを一生懸命つくろうとすることが、仕事の目的そのものだと感じるから。AIはそんな完成品を、魔法のように一瞬でつくってくれる。
そうすると、「あ、もうこれでいいじゃん!」「これで決まったことにしよう!」と言いたくなるわけです。
そして、その完成品をクライアントにも提案しようとしてしまう。
でも、黒木さんは実はそのような完成品が実は一番進まないのだとおっしゃっていました。
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それは一体なぜなのか。
たぶん、僕らが本当に欲しいのは、そんな完成品ではないからなんです。いや、もちろん完成品を目指すことは間違いないのだけれど、むしろそれを「ともに立ち上げていく過程」のほうが大事。
具体的には、両者の意見をすり合わせて、行ったり来たりして、ときには戻っては、また進むというようなプロセス。
そんな共時性を味わったときにだけ、僕らは腹の底から「できた!」「完成した!」ってお互いに思い合えるということなんだと思います。
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にも関わらず、AIがそこを全部端折ってしまって、完成品だけを持ち込んで、その完成度でねじ伏せてしまったら、完成した気にはなるけれど、実際には何もできていないに等しいわけです。
誰ひとり当事者感覚を持たないまま、そういうハリボテだけが量産されてしまう。
たとえどれだけその完成度が高くても、そこに魂は一切こもっていないという状態になってしまう。
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で、このような帰結から、僕らは次に「じゃあ、やっぱり対話が大事なんですね」「お互いに理解し合うことが大事なんですね」と思うわけです。
それゆえに「相手の事情や感情も汲んで、丁寧にやりましょう」となりがち。
もちろん、それも大事なんですが、でも、ここにも明確に落とし穴があるわけです。
このあたりは非常にややこしくて申し訳ないのですが、そうやってプロセスのほうをあまりにも重視すると、今度はお互いに過度な「忖度」合戦が起きてしまう。
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この点について、黒木さんが、イベント前に収録したVoicyのプレミアム配信で語ってくれていた内容が僕にとっては、本当に目からウロコのお話でした。
僕は、黒木さんに広義の「翻訳」について、ずっと聴いてみたいなあと思っていました。
先日、Wasei Salonの中で読書会を開催した翻訳家・鴻巣友季子さんの本の中に出てきた「翻訳」の話があまりにも大事な視点だなあと思ったことが、そのきっかけです。
あの本の中で鴻巣友季子さんが語られていた「翻訳とは、架け橋であり、同時に、特異なもの同士がぶつかり合う衝突の場であり、摩擦の場でもある」という視点が非常に印象に残りました。
そして、その衝突や摩擦も受け入れながら、理想的な形で架け橋をつくられているのがまさに黒木さんだと思ったから。
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で、この質問を実際に黒木さんにぶつける前までの僕の仮説は、良い意味で丁寧に根回しをして、双方の要望をいい感じにつないでいる、それが黒木さんが行われていることだと思っていました。
衝突も未然に防ぎつつ、空気を整えて、角を取って、やさしく橋を架けているのだと。
でも、実際には違ったんです。
黒木さんの答えはむしろ真逆で、翻訳しようとする時に心がけていることは「カラッとしていることが大切」だと。
さらに続けて「事情や心境を汲まない」「両者の言っている言葉だけを扱う」と語られていてそれも、本当に意外でめちゃくちゃおもしろいなと感じました。
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先回りして事情を汲んでしまうと、そこで対話が終わってしまう。優しさが逆効果を及ぼすわけです。
だから黒木さんは、まず表面に出ている言葉だけを受け取るように意識されているんだ、と。
建前でもいいから、とにかく言葉を並べてもらう。そしてその言葉に、それぞれちゃんと責任を持ってもらう。
聞き取ったうえで、違う場合には取り消してもらうし、足りないなら自分の言葉で足してもらう、それが重要なんだ、と。
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そして、黒木さんのやり方は、Aと言っている人と、Bと言っている人がいる、そこで両者の気持ちを先回りして調整しすぎないこと。
まずは、言葉としてのAとBを共通項で接続してしまう。
「共通しているのはここですよね」「じゃあCなら一緒にいけますよね」と淡々と論理によって、ぐるっと一回転させる。
そうすると、NOと言いたい人は、NOと言うための別の理由が必要になる。
「本当はここが問題だった」「本音はこうだった」と、本音がそこに露出してくるわけです。
そこまで出てくると、次第にほどけていく。ちゃんと衝突もできるし、そのうえで擦り合わせもできる。
だからこそ、一歩ずつ着実に前にも進んでいく。
つまり、このお互いの「本音が露出する瞬間」こそがプロジェクトが真に動き出す着火点なのだと気づかされました。
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で、ここまで聴いていて、僕は思ったんです。
狭義の意味での「翻訳家」もまさにこれをしているんだろうなあと。
良い翻訳家の方は決して行間は訳さない。あくまで、書かれているテキストだけを翻訳する。
たとえ著者のその真意がわかっていたとしても、先回りして補わないわけですよね。そうすると余計な忖度がそこに働いてしまうから。
書かれているテキストを、Aの言語からBの言語へと正確に翻訳して移すだけ。
黒木さんがやっていることも、たぶんそれとまったく同じなんです。
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じゃあ、こういう「表面の言葉を扱う」ような仕事であれば、AIが一番得意なんじゃないか、そう思う方もいるはずです。
もちろん、整理だけならば、AIは強いかもしれない。
でも、AIに任せると、すべてが機会的になりすぎて冷たくなるんですよね。
一方で、人間が先読みしすぎると、感情的になりすぎて忖度過多となり、熱くなりすぎてしまう。
その冷たさと熱さの間に、緩衝材が必要になるんだろうなあと。
その緩衝材としての役割、責任を引き受けてくれるような信頼できる生身の人間の存在や器が必ず必要となる。
それがまさに人間としての翻訳者の役割。
その存在がいてくれるから、僕らは「立ち上げていく過程」を丁寧に味うことができるし、その過程を味わうことによって、「完成した…!」と全員が本当の意味で思えるわけです。
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そして、そこに携わったひとりひとりの人間がちゃんと当事者意識をもって、これは「私(たち)の作品である」と心から思ってくれる。だからこそ、それが長いあいだ、人々から愛されるものとなっていく。
言い換えるとそこに、携わる人々の「誇り」や「プライド」も生まれるわけです。本当の成果物は、まさにこのひとりひとりの誇りやプライドのほうなんだろうなと。人はそれを魂がこもった完成品と呼ぶ。
逆に言えば、それがしっかりと構築できるのであれば、「完成品」なんて、正直なんだっていいと言い切ってしまっても、いいのかもしれない。
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今日のこの話って、子ども同士の喧嘩の仲裁なんかにも似ているなあと思います。
親や教師が介入しすぎると、子どもたちは「自分たちで仲直りした」という実感を持てなくなる。外部から与えられた「正解」や「正論」で終わる。
でもそうすると、当事者感覚が育たないわけです。親や教師の仲裁は、ぐうの音も出ないほどの正論だから、お互いに謝りはするのだけれど「ごめんなさい」という言葉にまったく想いがこもらないのと、非常によく似ている。
そして、だからこそまた、似たような喧嘩が繰り返されたりもするわけですよね。
もしくは、賢い子は先回りをして、親や教師の正論に合わせて、ずる賢くハックしていじめ始めたりもする。
今のAIの回答や完成品というのは、まさにあの子ども同士の喧嘩における、親や教師の仲裁、そんな正論にすぎないんだと思います。
でも、誰もが体験したことがあるように、本当に大事なことは子ども同士の仲直り、その信頼構築のほうだと思います。
「きれいにできたようなもの(完成品)が一番進まない」 というのは、たぶんそういうことです。
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そして、遠回りに見えるプロセスのほうが実は最短であり、急がば回れ、ということなんでしょうね。
お互いにちゃんと衝突して、すり合わせて、言葉を出し合って、表面上の言葉にちゃんと責任を持ち合い、そのプロジェクトや事業に携わった人間全員が腹の底から「完成した」と思えるようになること。
その秘訣というのは、完成品ではなく、ともに立ち上げていこうとする「時間」の中にあるし、AIを使いすぎてしまうと、そこに一生たどり着けなくなってしまう。
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決して「AIを使うな」というわけではなく、こっちこそが本当の成果物でもあるのだから、その時間やプロセスに寄与するような形で、AIを積極的に活用していこうということです。
ものすごくややこしい話であり、行ったり来たりするような話を書いてしまった自覚はあるのですが、今のAI時代においていちばん大事なことだと思ったので、今日のブログにも書き残しておきました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
