(個人的な内容かつまとまっていません。すみません)
先日、鳥井さんがブログで語っておられた話にも繋がるのですが、
(引用)
つまり「目の前の相手に成長してもらわないと困る」と私の遺伝子が勝手に思っている。さもなければ、そのまた次の世代にも私が受け継いできたバトンが繋がっていかないから、です。
逆に言えば、この次世代のポテンシャルを最大限引き出すことに対して、何の愉悦も感じなかった人類(類人猿)というのは、とっくの昔に既に滅びてしまったということでもあるのでしょう。
これは本当、その通りです。
そしてそれに加えて、自分はたまたま縁があって自分にたどり着けたけど、目の前の志ある若者がこの世知辛い世界で苦しんでいたり、自分を諦めてこの世界に沈んでいくのを見たくない、という気持ちがあります。
(正直、若い頃は同年代の才能ある人間に対する妬みと自分へのコンプレックスしかなくて、誰かを応援する気になんてとてもなれなかった)
自分はたまたま縁があったから自分にたどり着けたのであって、決して実力があったからではない。
でも、その縁は自分の思いや行動がなければ生まれなかったのも事実です。
贈与論的な話でもありますが、いただいた縁で自分はたどり着けたのに、それを今思ったり行動している若い方に還元しなくて良いのか、という気持ちもあります。
なにより、中途半端な時の自分の辛さや、本当にたどり着けるかわからないのに努力を続ける時のオアシスのような出会いの大切さや、多くの自分を諦めてしまった大人のかなしさをたくさん見てきてしまっているというのもあるのかもしれません。
「世界は若者のためにある」
亡き祖父のことばですが、おそらく、セネカさんも似たような気持ちだったのではないでしょうか。
最後に、結論というほどまとまってはいませんが、実はそんな贈与が世界にはあふれているのだと思います。
受け取るつもりもないままに生の前提として既に受け取っているものもあれば、その存在に気がついてないものもある。
このよくわからないテキストも、もし何かのご参考になれば幸いです。
そんな素敵な読書会はこちら。
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2021/11/12 11:02