先日、IKEUCHI ORGANICの東京ストアで「心地良い空間とタオルのお話」というトークイベントが開催されました。

IKEUCHI ORGANICの池内代表と、京都で建築設計士をやられている黒木さんの対談イベントになります。

このイベントで僕はファシリテーション役を務めさせてもらいました。

東京ストアの会場に、パンパンに人が集まっていて、とても大好評のイベントでした。

今日はこのイベントの中で、僕がなんだかとてもハッとさせられたお話について、このブログの中でもご紹介してみたいなと思っています。

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さて、それがどんなお話だったのかと言えば、「心地よさを大切にするために、これだけはしない!」というトークテーマの中におけるお話で「自分のつくりたいものは、決してつくらない」という話を黒木さんがされていたことです。

黒木さんは、以前も何度かこの場でご紹介してきたように、様々な地域に実際に入って古民家再生事業などを手掛けられてきた方なのですが、その時は決して自分がつくりたいものをつくろうとはしないのだと。

それよりも、その町の人々と、その町に本当に必要なものは何かを時間をかけて丁寧に町の方々と対話しながらつくっていくことを、とても大事にされていると語っていました。


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で、このトークセッションのあとの質疑応答の時間に、Wasei Salonメンバーでもある三浦さんが一番最初に真っ先に手を挙げてくださって、その時に聞いてくれた質問がとても素晴らしかった。

それがどんな質問だったのかと言えば、「自分がつくりたいと思うものはつくらないと語る黒木さんが、もし今すべてが自由になったら、何をつくりたいと思いますか?」というような質問です。

黒木さんは、普段から行政や個人のクライアントさんの意向に沿うようなお仕事をしているからこそ、その枠や予算を完全に取っ払ったら、さぞや何か壮大なつくりたいものがあるかと思いきや、黒木さんの答えは意外にも「それは、特にないですね」というような答えでした。

その理由もまた大変素晴らしくて、その町に暮らす人たちにとって必要なものとはなんだろう?喜ばれるものとはなんだろう?かつ、その空間で働きたいひとが働きやすいように考えていくと、自然とそこにクリエイティブが生まれてくるのだと。

逆に言うと、そのような制約がないと、つくりたいものも浮かんでこないのだ、というような趣旨のお話を語ってくれました。

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この黒木さんの質疑応答を聴き終えた池内代表も、「ものをつくるひとは、自由度があると意欲がわかないんだ」と語られていて、そちらの回答も非常に印象的でした。

「自由よりも、むしろ規制があるほど、制作意欲がわいてくる」というお話をされていて、こちらも本当に素晴らしいお話。

池内代表は、もともと松下電器(現パナソニック)のオーディオ部門にいらっしゃった方なので、オーディオについても非常に詳しい方なのですが、オーディオというのは、基本的には小さいほど、音が悪くなる代物だそうです。

でも、僕らが普段から触れているように、オーディオ機器は常に小ささ、つまり軽薄短小に向かうわけですよね。

だからこそ、優秀な技術屋さんほど、その制限の中でいかに良い音をつくりだすのか、そこに意欲ややりがいを見出していて、大きくて、高価で、良い音というのは、当たり前過ぎて逆につまらないのだ、と。

これは本当に示唆深い話ですよね。なんだかとても感動しました。

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僕たちは、目の前の厄介な制約やルールがなくなったら、もしくは自分に対して課せられている「悪条件」がすべて「好条件」に変わったら、どれだけ最高のものがつくれるだろう…!と夢想しがちです。

でも本当は、そんなルールがあるからこそ、その中での意欲や向上心が生まれてくる。

そしてその葛藤や苦悩こそが、実は「クリエイティブの源泉」だということですよね。

つまり、いま置かれている状況こそが、あなたにとっていちばん最良の環境なのかもしれないよという黒木さんや池内代表からのメッセージでもあるわけですよね。とても励まされるし、勇気づけられるお話だなあと思いました。

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この点、最近読んでいた『小林秀雄の「人生」論』という本のなかでも、ちょうど似たよなことが書かれてあって、とても共感しながら読みました。

この本はNHKブックスから出ている比較的読みやすい「100分de名著」的な本なのですが、著者の浜崎洋介さんは、この本をNHKブックスの編集者の方の要望で比較的短期間のあいだで書き上げることになったと、あとがき部分に書かれていました。

そして、この点に関連して、あとがき部分で紹介していた小林秀雄の言葉が非常に印象的でした。

そのまま少し本書から引用してみたいと思います。

『ゴッホの手紙』のなかで小林自身が言うように、人は「悪条件」の中でのみ、「人生の評論化を全く断念する」ことができる、つまり、人生を意識的にコントロールすることを諦めることができるのです。しかし、だとすれば、その「悪条件」は、そのまま、私が私の無意識と出会うための”最良の条件”にもなり得るはずです。


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このお話はとても共感します。

僕が普段から手掛けているコンテンツ制作の仕事で言えば、「締切」などもわかりやすい。

締切がなければ、いつまでもコンテンツのクオリティを高めていけてしまうから、ありがたいとは思いつつ、逆に、先に明確な制約を設けることによって、そこに創意工夫が生まれてくる。

そして、その中でなんとか良いものにしようとするから、創作意欲も湧いてくる。

僕が毎日ブログを書き続けている理由なんかも、まさにここにあります。毎日締切がやってくるから、その中で生み出せる最大限のブログを書きたいと毎日頭を捻る。

これが締め切りもなく、好きなように書いていいと言われても、逆に何も書けなくなってしまいそうです。

また、Wasei Salonメンバーや、Voicyのリスナーの方々に何か少しでも「考えるきっかけ」のお役に立てたらと思うからこそ、生み出せるコンテンツでもあったりもします。

つまり、明確に読み手の顔が見えていることも、非常にありがたいわけです。

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あとは、たとえばどこの業界にもある「予算」の話なんかもまさにそうですよね。

「湯水のようにお金を使えたら」と、制作者であれば一度は誰もが願ってしまうのだけれど、意外とそのような状態が存在してしまった場合においては、良いものにはなりにくい。

「ヒト・モノ・コト」そして「お金・能力」といったリソースが足りないこと自体が大事な要素なわけですよね。これは、諦めやルサンチマンのように聞こえてしまうかもしれないけれど、それこそが真実。

そして、その最大の制限が何よりも「時間」だと僕は思います。

人間の1日は誰にとっても平等で24時間しかない。そして自分の寿命がどれぐらい続くのかもわらかない、どれだけ長くても100年前後でしかない。

だからこそ、より自由度を求めて、生産性やタイパ・コスパの論理に向かって「少しでも自由を!時間を!」という話になるのだろうけれど、

でも本当は、その「限られた時間」という悪条件と徹底して向き合うこと、また自分がどのようなルール、そして悪条件に立ち向かっていくのか、その前向きに立ち向かう姿勢のほうが大切なんだろうなあと思います。

しかも、その場にいるひとたちのどんな顔を、どんなふうに明るくしたいと思うのか、という視点なんかも非常に重要になってくる。

対象となるお客様(ペルソナ)がハッキリしていたほうが良いものになりやすいというのもきっと、ここに大きな理由があるのだと思います。

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「本当にすべてが自由だったら、何をつくりたいと思うか?」という夢想にふけてみて、思考の中で遊ぶことは悪くないとしても、小林秀雄が語るように、様々な「悪条件」こそが。実は私が私の無意識と出会うための”最良の条件”なんだと、捉えてみる。

それは、お客様や観客になってくれる人々、はたまた仕事仲間や生産者さんなど、さまざまな人々とのあいだにおいて初めて立ちあらわれてくるものなのかもしれない。

つまり、自分自身の中に存在するのではなく、その関係性のなかに立ちあらわれてくるものが、自分にとっての本当の無意識のクリエイティブだと信じることができたら、不自由のようでいて、より自由になれるんだろうなあと。

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いま置かれている条件の中にこそ、自分自身の創意工夫が最大限に発揮される空間があると思って、日々の仕事や活動に取り組みたいものだなあと、改めて痛感させられました。

黒木さんと池内代表、またこの質問を会場で直接してくださった三浦さんには本当に感謝しています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。