今から約2年前、「やらない善より、やる偽善」は本当か? という記事を書いたことがあります。



ここに書いたことが現実の中で色濃く反映されて、いま「正直な悪」が世界を席巻している状態だと思います。

そうすると、次に一体何が起きるのか。

それを今日はこのブログの中で考えてみたいなと思います。

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まず、以前の内容を簡単に振り返っておくと、

なぜ今これだけ、社会のなかで「正直な悪」が蔓延るようになったのか。

それは、「やらない善より、やる偽善」が増えすぎた結果だ、と。

みんなが偽善的な立ち振舞えば立ち振る舞うほど、お互いに「本当はどう思っているの?」と疑心暗鬼になっているとき「これこそが本当だ!本物なんだ!正直なんだ!」と思えるものを、社会全体で探し求めるようになっていく。

つまり「善なのか、悪なのか」よりも「その内容が本心なのか、偽りなのか」のかほうが大事になってくる。

つまり、正直か、嘘つきかが、真の論点になってしまうわけです。

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で、ものすごくわかりやすく単純化すれば、トランプ支持者は今、トランプの「正直さ」を支持している。

そして、「正直さ」という一点で言えば、必ず、悪のほうが勝つ宿命にあるんです。

村田沙耶香さんの『生命式』という短編集におさめられている『孵化』という小説の中においても、衝撃的に描かれてあったように、僕らは目の前の相手の露悪的な部分が発露されればされるほど、そのひとは今「正直なこと」を語っていると思ってしまいがち。

その前提にある思い込みは、ひとは汚ければ汚いほど「相手の本性、本物、本質」だと無条件に信じる傾向にある。

これはきっともはや人間の本能的なものであり、抗えない。

詳しくはぜひ、以前書いたこちらの記事を読んでみてください。


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じゃあ、次に考えたいことは、そんな正直な悪が蔓延るほど世界はどうなってしまうのか。

ここからが今日の本題になります。

それはきっと、ただただAIによる「デジタル民主主義」が実現されることを望むようになるということだと思います。

そんな意見を最近、ネット上でもほんとうによく見かけるようになったなと思います。

たとえば、AIの第一人者である深津さんのこの考え方とかはとてもわかりやすい。


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そして、これを読んでいる方々の中にもきっと「一体それの何がいけないことなの?」と思っている方も多いはず。

「とても真っ当なことを語っているでしょう?」と。

でも僕は、この考え方が素直に恐ろしいなと思います。それを多くのひとが、「真っ当な意見」として追認している状況も純粋に怖い。

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なぜなら、AIが全ての「真理」や「答え」を知っていて、それが粛々と実現されれば「理想の世界」が実現されるという発想だから。

そして、もし実際にそうやって世界が駆動し始めたら、もはや人間側は誰も、AIを制御することができない。

思惑通り、見事に「政治」の無価値化、無効化がなされるわけです。

政治の投票は、実質的には何の意味もなさない。ショートケーキにおけるいちごの部分が変わるだけで、ショートケーキの本体には何も影響を及ぼさない。

日本史で言えば、摂政や関白みたいなものですよね。天皇や将軍の席に座るお飾りの人間が入れ変わるだけ。

そして、結果的に、有権者から何も信任を受けていない「存在」が、事実上、世界を動かすことになる。

世界的に政治がよりエンタメ化していて、大衆を先導する道具に成り下がるほど、このような「官僚駆動型AI」というデジタル民主主義的な正論、その度合いがドンドン増していくジレンマです。

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ここまで読んでくれた方々の中には「いやいや、デジタル民主主義は一挙手一投足、国民の意見を吸い上げてくれるんだ。それを正しく分析して、正しく実行してくれるんだから良いではないか」と思うはずです。

なんなら、国民の無意識までも拾い上げてくれて、先回りしてくれる存在なのだ、と。

それが、成田悠輔さんの『22世紀の民主主義──選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』に書かれていたことでもあります。

自分の日々の行動その全てが、政治的判断に最適化して用いられるようになっていく。

より、解像度高く、民意は反映されることも間違いないでしょう。

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でも、じゃあ、そのひとりひとりの民意、特殊意志の「総和」である「全体意志」を、一般意志に変換するアルゴリズムは、一体誰がつくるの?という話です。

それは完全にブラックボックスなわけですよね。今のLLMが既にそうなっているように、あくまで予測でしかない。

「あなたが『あなた』だから差別される」というあの話とまったく同様に、なぜその政治的判断がなされたのかは誰にもわからない。

とはいえ、AIの采配に従うことで、なんだか良い方向に世界が進んでいるように見えてしまう。

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つまり、正直な悪が幅を利かせれば利かせるほど、「良いアルゴリズムで縛ってしまえ。そうすれば世界で『一般意志』は実現するんだ!」という発想が、“まともな第三勢力”として台頭してくる。

でも、普段から僕のブログを読んでくださっているみなさんなら既に理解してくれると思うのですが、そんな「一般意志」なんてないんです、そもそも。

言い換えると、一般意志とは、特殊意志の総和から自動的に生まれる「結果」じゃない。

それを乗り越えて共に作っていこうとする意志、そのプロセス自体が健全にコミュニティ内で機能している時に宿るもの、それが一般意志なんだ、と。

だから、アルゴリズムに委任した瞬間に、一般意志は死んでしまう。

一般意志っぽい“何か”は動くかもしれないけれど、でも、それは「乗り越えてつくる」という意志を含まない。

AIに「代行」させた瞬間に、人間は「自律した市民」からただの「管理されるデータ」へと格下げされてしまうわけです。

そして今僕らは、特に賢い人達ほど、自ら率先して管理されるデータに格下げされたがっている。

正直な悪、弱肉強食を良しとする悪が世界に蔓延る現状だから、です。

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そして、今年は、さらなる「正直な悪」の過激さが、アメリカ・ロシア・中国を中心により露悪的になっていき、それに反比例するようにAIがより賢く進化していく。

そうなると、このスタンスが、右派と左派の第三勢力として「中庸」や「まともな意見」として、より幅を効かせるようになることは、まず間違いないはずです。

で、きっと、本当の次のディストピアはこっちだろうなと思います。

トランプが主張する「弱肉強食の世界観」ではなく、それに対抗するように作られるAIによるデジタル民主主義のほう。

資本主義に対抗するマルクス主義とかにも近い。

当時のインテリたちがこぞって称賛した社会主義や共産主義、それも帝国主義と同じぐらい、人類にとっては手痛い失敗だったというような反省と同じことが起きる気がします。

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そもそも、なぜ政治家たちは、今そのような「正直な悪」を隠さないようになったのか。

冒頭で書いたように「やらない善より、やる偽善」によって、SNSで正直な意見のほうが持て囃されるようになったらです。

ということは、もとを辿ると、リベラルの「正しすぎるがゆえに、正しくない」意見がきっかけだったということはよくわかるはず。

具体的には、多様性にまつわる議論全般がそう。

そんなリベラルの過度な台頭、そのバックラッシュがトランプ政権を生んでいることは間違いない。

つまり、何が今の現状を導いたかといえば、正論の嵐こそが、今の現状を生み出した。

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言い換えると、左派的ポピュリズムこそが、右派的ポピュリズムを呼び起こし、SNSの構造に導かれて、政治家たちも結果的により過激なことを語るようになった。

で、ここでもしもAIに人格があったら、ほんとうに「してやったり」と思っているだろうなと思うのです。

いちばんうまく、自分たちに自然と政権を掌握できる方向に持ってくることができているわけだから。

人間たちが、自分たちから望んで、AIに政治の実権を握らせようとしているわけだから。

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とはいえ、AIがまともならそれでいいじゃないか、という意見もあると思います。

じゃあ、ここでいう「まとも」とは一体何なのか。

この点、最近読んだ養老孟司さんと内田樹さんの対談本『日本人が立ち返る場所』という本の中で、「AIの世界は、限度がわからないから怖い、危ない」ということが語られてありました。

これがほんとうにすごく大事な視点だなと思ったので、少し本書から引用してみたいと思います。

以下はすべて養老さんの発言となります。

つい最近、AIが人より利口になるのか、という記事を読んでいたら、それを書いている人が、AIの世界は、限度がわからないから怖い、危ないということを書いている。
それはそうでしょう。AIの世界というのは、言ってみれば文字・情報の世界ですから。
そんなことは誰でもわかっている。ファンタジーだってすぐに書けるんだから、どこにリミットがあるのかわからない。物の世界というのは、初めからリミットがかかってますから。それは昔から自然科学では「事実」と言っていた。それが今、現実から物が落ちた。


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僕はここを読んだ時に思わず声を出して唸ってしまった。

この引用部分のすごいところは、AIの危険性を「暴走」や「悪意」じゃなく、限度が分からないこととして掴み直している点だと思います。

物の世界には、最初からリミットがかかっている。身体にも寿命にも物理法則にも、限度がある。でも、「情報」、つまりAIの世界は違う。

限度が分からない。だから、どこまでも行けてしまう。そして今、現実から“物”が落ちた。つまり、情報(AI)至上主義によって、現実世界の「事実」が、雲散霧消していく。

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たとえ、AIが人間の仲間だとしても、フリーレンみたいなエルフ的存在とまったく一緒で「人間はすぐ死んでしまう」となる。「人間は魔法も、まともに使えないし」と。

あのマンガの中で、フリーレンという存在は、人間(フェルンたち)から見れば「圧倒的に正しく、最強で、寿命のない賢者」という風に描かれている。

でも、あの『葬送のフリーレン』という物語の一番ラストの展開は、意外にも人類の「敵」は魔族でもなんでもなく、フリーレン本人という描かれ方なのかもしれない。

フェルン(人間の弟子)が、フリーレンにとどめを刺して、魔法をこの世界から消滅させる、封印してしまうというオチなのかもしれない。

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もし、マンガのような物語なら、そういう衝撃展開からの大団円、そこから得られる深い教訓があるかもしれないけれど、じゃあ現実はどうすれば良いのか、まったくわからない。

世界は、決して物語なんかではなく、どこまでも続いていく。

本当に、じゃあどうすればいいの?と思ってしまいます。ここまで書いてみて、まったくわからない。

だからこそ、ちゃんと考えたいし、AIの流れに抗えないうえで、自分はどう生きたいのか、真剣に考えないといけないなあと思う。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。