最近、自分の中で「読み書き、対話」の3つのプロセスの重要性についてよく考えています。

先日もブログに書きました。


今日は、上記の記事にプラスして、「なぜ読むだけではダメなのか、なぜ書くだけではダメなのか」そんな理由について少し考えてみたいと思います。

ーーー

まず、読むだけで終わってしまうことの危うさは、「他人の頭で考えたことを、なぞって終わり」になってしまうからだと思います。

どれだけ素晴らしい本を読んでみても、自らの実戦を通して考え抜かないと、他人のありがたい意見を鵜呑みにして終わりになってしまう。

以前も、サロン内でご紹介したことのあるショーペン・ハウアーの『読書について』に書かれている、「博覧強記の読書家」になり下がる。

ーーー

一方で、何かを読んで自ら実践し、その経験を書いて(表現する)時間をつくってみても、今度は「自分の意見を表明して終わり」になってしまう。

確かに、自分の意見は明確になるのだけれども、言いっ放しになってしまいがちです。

その結果、自らが創り出した正義やイデオロギーにドンドン染まっていく。

まるで自己暗示をしているかのように、次第に自分の意見が先鋭化していきます。

そうやって先鋭化すればするほど、「教えてください」「どうすればいいですか?」というフォロワーが周囲に集まってくる。

こうして巷に溢れるインフルエンサーやセミナー講師の出来上がりです。

ーーー

上記のような状態に陥らないためにも、自分と全く異なる立場にいる人々、つまり「他者」と対話をして考える時間が、とっても大切になってくるなあと思うのです。

自分もフラットな立場でその対話の場に参加してみて、常に自らの意見に疑いの目を向けつつ、自分の考えが全てじゃないことに対して自覚的になっていく。

そうやって、他者の実践の話にゆっくりと耳を傾けていくなかで、他者のまなざしを通して、本当の意味で自分の意見に批判的な目を向けられるはずなのです。

ーーー

また、他者と対話を繰り返していくと、自分の中に新たな疑問点や矛盾点を発見することもできます。

つまり、「新たな問い」がそこに生まれてくるのです。

その問いが次の学びのタネとなり、新たに読んで、新たに書いて、次の対話の参加への機会にもつながり、さらに考えを一歩深めていくことになる。

ーーー

ただし、このように「読み書き、対話」の実践を意識すると、その歩みが一気に遅くなってしまいます。

これはスピード感を求める人にとっては、ものすごく辛い作業なのかもしれません。

しかし、大きな過ちを犯してしまうことは避けられる。そして、この一連の考える作業こそが自らを確かな場所へと連れて行ってくれるはず。

ーーー

スピード感ばかりが求められる現代ような社会だからこそ、この3つの循環が今ものすごく大切なことのような気がしています。

Wasei Salonでは、これらのプロセスを実践できる場として、これからもしっかりと運営していきたいなあと思っています。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの考えるきっかけにつながったら幸いです。