ここ1週間は、各種マーケットの相場が大いに盛り上がっています。

米国株、国内株、不動産、仮想通貨、そしてフィナンシェなどなど完全にどの相場も上昇局面にある。

もちろん、バブル相場の懸念はあれど、基本的にはどの業界においてもスルスルと上がっているような状態です。

そうなってくると、もちろん世界や世の中における格差は大きく広がってしまう一方であることは必定。

資産を持つ人々は、それがどんどんと雪だるま式に増えていく一方で、資産を持たず、毎月の給与を月末まで使い込んでしまい、その日暮らしのような生活をしているひとたちは給与の上昇率もほとんどなく、さらにそこに物価も上昇して、ダブルパンチ。

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実際、アメリカの投資家ジム・クレイマーは「今のアメリカは完全に2極化している」と語っていました。

具体的には、日本円で50万円以上するApple Vision Proが飛ぶように売れていて、テイラー・スウィフトの数百万円以上するライブの席も飛ぶように売れている。

そのような出費を支払っても、まったく痛くも痒くもないひとがいるのだ、と。

一方で、4ドル程度のマクドナルドのハンバーガーを買うことに躊躇している層もいて、米国版の100均に行っている年収1500万円の層でも増えているのだとか。

なぜなら、日本円で年収1500万円を超えても、生活費を切り詰めないとやっていけない不安がアメリカではあるからなのだそうです。

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こうなってくると、変な話なのですが、労働の対価だけで生活できること自体が、ある意味では非常に恵まれたことになってくるのだと思います。

この点、従来の投資というのは、富裕層のみが行うことという認識だったものかもしれませんが、むしろそれが逆転して、庶民ほど資産インフレの恩恵を受けなければ、生きていけないような状態です。

本当に優れた才能を持ち合わせているひとたちだけが、その労働の対価だけで得られたお金を純粋に生活費に回して暮らしていけるというような、逆転現象さえも生じてくる。

で、そこから溢れた人たちは、補助金の対象になるわけです。ど

なたか忘れてしまったのですが「これからの世界は、補助金が中心の世界になる」と語っていて、それを聞いて本当にそうなんだろうなと思いました。

実際問題、すでに少しずつそうなっていますよね。結果的にその補助金自体が、ベーシックインカムのようなものにも変化して、ゆるやかにつながっていくのだと思います。

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現在はそれぐらい、AIの登場によってお金の流れにおいても大きな変化がある。

こうやって、どんどん資産がインフレしていって富が一部に偏るということは「再分配」こそが重要になっているわけですよね。

だから、いま一番大事な視点というのは、それをどうやって、そしてどのように分配するのかという話であるはずなんです。

ただ、現代の社会的な問題は、公共のお金に対しては、あまりにも規制が多すぎるということだと思います。

実際、世の中を見渡してみると、お正月に起きた能登地震に対しての地震被害にあったエリアで使われる補助金にも、ものすごく厳しい監視の目が存在している。

それは困っているひとに対し「お金を渡すな」という話ではなく、国民それぞれにそれぞれの思惑が存在しているため、みんな自分が思い描く理想に我田引水をしたいわけですよね。

まさに、昨日のブログにも書いた「リベラルと保守の違い、それは弱者を救うときに想定している範囲の違いに起因する」という話にもつながります。

もちろん、国や自治体にはその舵取りをなんとか頑張って欲しいとは切に願う。

ただ、そこには単純に行政や福祉の観点だけではなくて、選挙の票を得ることや政局の話も絡んでくるため、一筋縄ではいかずに、ずっとこのあとも後手後手にまわり続けるのだと思います。

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だから、本当の意味で、これからその分配する役割を担っていくのは国家でもなく、その言いなりになっている自治体や行政でもなく、たぶん各共同体やコミュニティ、あとは一部株式企業が、少しずつその主導権を握るようになるはずだと思うのです。

まさに、過去に何度もご紹介した宇野重規さんの『実験の民主主義』のような世界観ですよね。

また、以前も語ったとことのある「私有してから公共に開放していく」という方向性でもあります。

具体的には「所有するからこそ、共有することができる。時代は「DO」から「HAVE」の世界へ」というブログにも書いたとおりです。


真に共有したいひとほど、一度この私有の流れをつくるはずなんです。

なぜなら、これだけ大きくお金の流れが変化してきて、さらにコミュニティごとに経済圏を構築できるようになってくると、私有したからこそ、真に共有することができるという状態も生まれてくるはずだから。

いよいよ、その川の流れが、本当に実際に変大きくわりつつあるのかなあと。

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そして、コミュニティごとに、そこに所属している人間同士の関係性に大きな違いも生まれてくるはずです。

それは、先日のコミュニティマーケティングにお話した歴史の中における荘園領主と小作人の関係性なんかにも等しいんだろうなあと思います。(もちろん身分差別とかは全部抜きにして)

さらに、これは「にわとりとたまご」のような話でもあるんですが、理想的な再分配の形を実際につくりだすことができたところに、移住者やコミュニティメンバーがどんどん増えるような構造にもなっていくのだと思います。

そのような場に対して、キャパ以上のひとが集まり、そうすることで多くの注目も集まるから、より大きな「コミュニティマーケティング」を仕掛けることができるようになるという好循環が必ず生まれていきます。

ローカルにおいては、これが「土地」や「空き家」や「働き口」で顕著に現れてきて、ネット上においては本当に適切だと思うコミュニティメンバーの人たちを中心に、その利益を分配していく流れが生まれてくるはずです。

もちろん、コミュニティメンバー全員で経済圏を大きくしていき、その恩恵に全員が預かるような形だって、これからは必ず生まれてくると思います。

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そのような循環が繰り返していく中でコミュニティ独自の「文化」が培われることも間違いありません。

会社であれば、決算書だけを観て企業の業績が良さそうなところに就職をすればよかったわけだけれども、コミュニティはそれ以上に、どんな文化を標榜しているのかを、しっかりと見定めていきたいところです。

具体的には、ただバラ撒けばいいというわけではないわけですから。お金がバラ撒かれることによって、一瞬は人が集まっても、またすぐに元の木阿弥になってしまいますからね。

文化と持続性、その両方をしっかりと兼ね備えた場を、自分の目でしっかりと見極めていくことが非常に重要になってくると思います。

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最後にまとめると、地域もコミュニティも、志をともにする人々がその私有を公共財にして、みんなが安心して働き、暮らせる共同体を作り出していくこと。

それが本当に、大なり小なり実現できるような時代に入ってきました。ここがいま本当に重要な視点だなあと強く思います。

だからこそ、このタイミングにおいて、ひとりひとりが世界全体のお金の流れそのものも同時に理解していおくことが、とっても大事なことだと思っています。

それは自分だけではなく、まわりのひとびとを救うためにこそ、です。逆説的ですが、そのようなリテラシーや理解をちゃんと兼ね備えた人々が集うコミュニティの中で経済自体もまわっていくはずだから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。