昨日まで石見銀山に行っていたのは、以下のブログに書いたとおりです。

参照:大切なものを守るために変わり続ける町、石見銀山・大森町。

出雲市内と石見銀山の道中、車内の中で盛り上がった話を小倉ヒラクさんが、ツイートしてくれていました。

以下がその内容です。

この視点、とってもおもしろいなあと感じました。

そしてこのお話って、「ローカルでガンバっているヤツ」に限らず、ネット上においても今まったく同じようなトレンドが、生まれてきているように感じます。

今日は僕の視点から、そんなお話を少しだけこのブログに書き残しておこうかなと。

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ウェブ上においても、web2的からweb3的(コミュニティ・共同体)というのは、まさにこの「DO」→「HAVE」に移り変わってきている証だと思います。

参照:NFTコミュニティに移住する。
 
この点、話がわかりやすくなるように、これまでの歴史を少し振り返ると、過去15年ぐらいのウェブのトレンドは以下のような変遷をたどってきました。 


SAY(ブログ・Twitter)

メディアが民主化され、それまでの権威ではなく「何を言っているのか」が重要視されて、一般人からインフルエンサーがたくさん生まれてきた。

DO(You Tube・Instagram・ウェブメディア)

とはいえ、誰でもコピペすれば、似たようなことは言えてしまうため、実際に「体験」や「実践」してきたことを発信することに価値が移り変わってきた。

HAVE(NFT・web3)

みんなが似たようなことを実践して発信するようになってしまい、そこにAIも参戦してきて、完全に有象無象の状態がまさに今。そこにNFTのような「HAVE」の概念がやってきた。


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で、このような話だけを聞いてしまうと、「なんだ、また時代はシェアから所有の時代に逆戻りか…」って残念に思う方もいると思うのですが、それはお大きな誤解です。

実際にはむしろ、ここから本当の「共有(シェア)」に進んでいくために、「所有」という概念が非常に重要になってくるのではないでしょうか。

それは具体的には、どういう意味なのか。

これは、Web2的な文脈の中での「シェア(共有)」の意味を理解すれば、非常にわかりやすいかと思うので、今の一般的な「シェア」の概念を先に書いてみます。

思うに、今のシェアは、中央集権的なものの中における擬似的な「シェア」に過ぎなかったんですよね。それがコロナ以降は、はっきりとバレてしまったわけです。

いくらでもユーザーはバンできてしまうし、資本主義的に成功しなかったらサービスはすぐに終了してしまいます。つまりはサブスク(SaaS)の世界です。

結局のところ、そのコミュニティに集まる人々というのは、ただの「利用者」や「消費者」に過ぎなかったんです。サブスクは、言ってしまえば利用権の切り売り。

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でも、これからは意志のある人間、つまりファウンダー(創業者)が一度所有することによって、本当の意味で共有ができるようになるんだろうなあと。

その「所有権」自体が、分散化されていく方向に仕向けていくことができるようになるわけですから。

GAFAのような中央集権的な仕組みの中では、絶対に実現不可能だった独自の世界観で駆動する「ゲーテッド・コミュニティ」を作り出すことができる。

そこでは基準が「お金」だけではなく、掲げられた「哲学」や「思想」にそって世界観が構成されていて、そこに小さくても必ず経済圏が成立するし、最低でもそれがプラマイゼロで回っていれば、継続し続けていく。

そもそも、その世界の中では「資本の増殖」が正義(目的)ではなくなりますからね。

掲げている「思想」や「哲学」など、その使命感によって駆動する世界がやってくるわけです。

北海道のローカル・コンビニであるセイコーマートなどは、ちょっとだけそれに似ていると思います。

その運営母体がこれからは「企業」や「自治体」ではなく、「コミュニティ(共同体)」になるということです。全員が所有者であり、全員が利用者であるという真の意味での共有状態が生まれてくる。

そして、そこで生まれた広義の「利益」というのは、ちゃんと参加者全員にコミュニティを活性化させていこうという「一般意志」の発露として、しっかりと分配されていく。

これがより一層なめらかに、そしてトラストレスに行われていくようになると、お金も必要なくなってくる社会が本当に到来する可能性も出てくると思います。

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で、このときには「参加権」という概念が、非常に大事になってくるはず。

なぜなら、このようにして生まれるコミュニティというのは、誰でも「お金」さえ持っていれば参加できるようにしてしまうと、決してまわらない世界観だからです。

ひとりでもクラッシャーやクレーマーが存在すると、すぐに崩壊してしまう非常に脆いもの。

ローカルにおいては、これが「土地」や「空き家」や「働き口」がその具体的な「参加権」であり、それをファウンダーが一旦すべて「所有」して、本当に適切だと思う人たちを選別し、それを再分配していく。

Web3やNFTの文脈でも、それと全く同じことが起きていて、AL磨きをして、参加権を配るひとを徹底的に選別して、はじめて理想的なコミュニティが生まれてくるわけです。

こうやって眺めてくると、両者がやろうとしていることは、本当に全く同じだなあと。

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だから僕もいま、淡々とNFTを買い集めていて、他者の「参加権」を今から所有しているわけです。

これはローカルにおける「土地」や「空き家」、「働き口」の概念とほぼ同義であるわけだから。

一旦、所有してそれを志を共にする人々に分配してみんなが安心して働き、暮らせる共同体を作り出していくこと。

「参加権」として「コミュニティに参加できる権利を付与できる」ことが、これからはより一層重要になってくる。

参加できる人間は、その「人柄」や「人格」によって選別される世界線が本当に間近に迫っていて、それが「命の選別」のようなことがおこらないかどうか一方で恐ろしさも感じつつ、ここはもう不可逆なのだと思います。

参照:「人格」によって選抜される世界がやってくるときに、僕らが本当に考えておくべきこと。 

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だからこそ、本当の意味で「所有→共有」、この価値の真の意味を淡々と考え続けていきたいなと。

もちろん、ネットとローカルとは切り離されているものではなく、近い将来必ずここは合流していくことになるでしょう。

ローカルとネット、どちらの入り口からでも構わないから、良いコミュニティに今から所属しておくことは本当に大切で、これからは死活問題になってくるかと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。