ひとはなぜ争うのか。

究極的には「有限なものを、奪い合おうとするから」ですよね。

だから常に人類は「需要」よりも「供給量」を上回らせようと努力してきた。そのために農業や産業を発展させてきただけではなく、他国の侵略も辞さない。

その結果、地球全体の供給量はドンドン増えて、人口も一気に増えてきました。

でもだからこそ、どれだけ生産しても最終的には生産量が追いつかない状況が続いてしまうのだと思います。

つまり、生産というのは人口に対して絶対に追いつかない宿命にある。

世界全体の需要で見れば、どれだけ生産性を高めてみても足りない状態が永続してしまうのです。

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一方で、供給が足りないことが必ずしも絶望的なことではないと僕は思っています。

最近、サロン内のオンラインイベントでみなさんと対話する中で、ものすごくハッとしたですが、人間を人間たらしめること、その性格や価値観、文化を形成する瞬間というのは、お互いがお互いに何かを分け与え合うときに発生する。

たとえるのなら、ひとつのパンを分け合うときに、初めてそこに人間性が生まれて、成熟した大人が誕生するのだと思います。

つまり、絶対的に供給量が足りないという有限性が、「人間社会」を生み出すのです。

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他者が有限なものを自己に分け与えてくれるときに、僕らは満足感を感じるようにできているということでもあるのでしょう。

それは、有形物に限らず「時間」や「お金」だって同様です。

たとえば、遠い将来に不老不死の人間が現れて、そのひとに時間を分け与えてもらっても、きっと僕らは嬉しくもなんともないはずなんです。

個人資産が数兆円ある人間から、100円だけ恵んでもらっても感謝することができなくて、むしろケチな人間だなと思うのと同じです。

それと同様のことが不老不死の人間の「時間」に対しても感じてしまうはずです。

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このように、人間の欲望に照らして絶対量が圧倒的に足りないからこそそこに希少性が生まれる。

その希少性を他者と分け与え合うことができたときに、はじめてそこに「価値」が生まれてくる。

しかも、一方的に他者から与えてもらうのではなく、お互いに自己の希少性を譲り合うことがとっても大事なことだと思うのです。

私という存在に他者から分け与えてもらって、私も他者に自己の希少性を分け与えることができたと思えたときに、ほんとうの意味で心からの満足感が訪れるのではないでしょうか。

まさに以下の記事で書いたお話です。

このWasei Salonのオンラインイベントは、基本的に90分という限りある時間のなかで、それをみんなで譲り合いながら進めていきます。

決して、誰かひとりが、一方的に話すわけではありません。

このような譲り合いの精神が、この空間に存在する唯一無二の「社会性」を担保しているのだと思います。

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ここまで読んでくださった方々は、ずっと何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれないですが(書いている自分でもそう思っています)僕にとっては、雷が落ちるぐらい衝撃的な発見であり、気づきでした。

これからの科学やテクノロジーの発展を待たずして、今この瞬間から人間は人間になれるし、心からの満足感を得ることができる。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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5月に開催されるWasei Salonの体験会はこちらです。