埼玉県には長瀞という、自然の美しい小さな町がある。そこにアトリエを持ち、木彫をしているのがWasei Salon最年長メンバーの前沢泰史さんだ。
前沢さんは大手衣料品販売会社に新卒で入社し、今年で34年が経つ。その長い年月の中、鬱になり会社に行けない時期もあった前沢さんは「木彫を通じて、世間の正解から解放された」と語る。彼にとって木彫とは何なのか、仕事や人生にどのような影響をもたらしたのか。お話を聞いた。
前沢 泰史(まえざわ やすし)
大手衣料品販売会社のブロックマネージャー。複業彫刻家。埼玉の長瀞と熊谷の2拠点生活をしている。
世間の正解と自分の答えは違った
衣料販売を手掛けるチェーンストアでマネージャーとして5店舗を統括する仕事をしています。人事管理や売場管理が基本的な仕事ですが、レジに立って接客することもありますね。転職することなく34年間勤めてきました。
ーー34年間って、すごいですね。
たまたま新卒で入社した会社の成長が凄くて、ダイナミックな変化の中にいたから長く続けられたのかもしれません。入社当時と比べると今では店舗数が20倍にもなりました。だから、転勤も山ほど経験しましたね。これまで、遠くは愛知、長野、静岡ほか、色んな地域で働きました。
ーー異動があると、働く環境も生活環境も大きく変わりますよね。大変ではなかったですか?
異動がある度に新しい発見があったので辛くはなかったですね。むしろ、異動よりも本社で勤務する方が大変でした。鬱になり、会社に行けなくなったこともあります。
ーーどうして会社に行けなくなったのですか?
真面目に働いていたら運よくというか、不運というか、全店舗分の仕入れをするバイヤーの仕事を任されたんです。「自分には向いてないだろう」と思いつつも、バイヤーは花形的なポジションだったんですよね。世間的には、いわゆる出世ルートでした。それで断りきれずにやってみたら、1年弱で鬱になってしまいました。
ーー何が向いていなかったのですか?
求められる業務や成果と自分の性格が合っていなかったのです。
仕入れにかけるコストを可能な限り下げることがバイヤーには求められるので、メーカーに対して「沢山発注するから、安くできないか?」と交渉しなければいけません。しかし、私は「目の前のお客さんに喜んでもらえること」にやりがいを感じるタイプでした。
世間にとっては出世ルートを歩むことが正解の道だとしても、自分にとっての正解ではなかったんです。世間の正解と自分の答えを混ぜてはいけないんだと気づかされました。
ーーついつい、世間の正解に流されてしまいますよね。その出来事があってからは、特に問題なく会社を続けられているんですか?
そうですね。店舗運営のポジションに戻してもらってからは順調に働けています。当然、仕事がしんどく感じるときもありますが、趣味というかライフワークである木彫に癒してもらっていますね。
木彫が世界を広げてくれる
作品名 オットー・ディクス自画像1912年
ーー木彫をされているんですね。木彫とは、どういったことをするのですか?
言葉にすると当たり前に感じるかもしれませんが、木材を彫刻刀で彫って、色を塗って作品をつくる。わたしはよく人物像を作っています。
ーー木彫を始めるきっかけって、あまり身近には存在していない気がします。どのような経緯で始められたのですか?
初めて長野に単身赴任をして、仕事以外に何にもやることがなくて、寂しさを感じていたときがありました。長野オリンピックが開催された年なので、1998年のことですね。
それで打ち込めるものを探さなきゃと思って。もともと美術や仏像が好きだったので、自分で仏像を粘土を使って本物そっくりに仕上げるのを趣味にして、仏像好き仲間に作ってあげたりしてました。でも、そのうち、やっぱり彫刻をやるなら木を使いたいな、と木彫教室に通って木彫を始めました。
ーー木彫の時間は、前沢さんにとってどういう時間なのでしょう?
仕事では、求められる正解を追求しないといけない。でも、木彫には正解どころか、そもそも答えがありません。木という素材に向き合ってひたすら彫っていると、自分が解放されるのを感じます。それで自然に続けていくうちに作品数が増えて、作品を人に見てもらう機会が出来て、そこでも新たな発見があったりして、世界が広がっていきました。
ただ、一度、作品展を見にきたお坊さんに、仏像を彫ってほしいと頼まれたことがありました。真剣に取り組んで完成させたのですが「私は誰かに頼まれたものを作りたいわけではない」と痛感しました。
私にとって木彫はセラピーのようなものかもしれません。仕事終わりでくたくたでも、気づけば2〜3時間も木を彫り続けている。彫りたいものを彫っていると、すべてを忘れます。
正解のない働き方を
難しさはありますが、工夫次第だと今では思えています。
私が働いている会社はチェーンストアなので、お店を運営するマニュアルが用意されています。マネージャーの仕事も、極端に言えば、マニュアルに従っていればいいんです。
でも、地域やお店によって効果的な演出の仕方も、役に立つ商品も違ってきます。今、ここではどうしたらお客さんの役に立てるのか、細部まで突き詰めると自分にしかできないことは沢山あります。
人事管理も同じです。「こう働いてください」とスタッフに正解を提示するのではなく、「このお店にはたまたま、この人たちの組み合わせがある。だからこそ、このメンバーを生かして、ベストな店にしていきたい」と、今ある素材で工夫しながら、自分がいるからこそ出せる答えを見つけていく姿勢でありたいんですよね。
作品名 横に長いひと
ーー素敵な考え方ですね。
この考え方を持てるようになったのは木彫のおかげだと思います。2011年から6年間通ったワークショップがありました。東京の青山「DEE'S HALL 」で作家の前川秀樹さんが半年に1度開催していたのですが、そこでの学びが大きかったですね。
前川さんが近所で伐採したいろんな枝と、作った不思議な生き物などが並べられていて、最初に道具の使い方だけ教えてくれます。そして、「あとは、自由に好きなものを作ってください」みたいな。自分で好きな枝を選んで、その形から発想して、丸一日かけて参加者それぞれ違うへんてこなものを作って、最後にみんなで見せあって感心しあう。
ーー参加者それぞれ違うアウトプットになることが良かったのですか?
それも面白かったですし、正解がないことが好きでした。
木の形から、そこに何かを見つけて彫り出す。「自分だからこそ見つけた何か」を彫り出す喜びを知ったのだとと思います。加えて、ワークショップの最中はみんな黙々と彫っているのですが、いざ終われば、なぜか仲間意識が芽生えているんですよね。「みんな、昔から仲間だったんじゃないの?」といった感覚になっていました。
ーー材料も人もバラバラなところから、ワークショップが終わる頃にはいい関係性が築けている。
そうそう。その感じを仕事でも実現したいんですよね。
当たり前を疑っていく
そうですね。毎日普通に過ごしていると職場の人と家族しか会わないじゃないですか。でも、作品を彫って、作品展をやって、今では自分がワークショップを主催するようになって。いろんな人に接していると、違う世界への扉が開いていくんです。
Wasei Salonも私にとって同じような存在です。価値観が近い人がいて、世代や空間を超えて、色んな人と話せて、発見が沢山ある感じがいいと思ってますね。
ーー自分と違う人たちと出会いたいのは、なぜですか?
価値観や選択肢が狭い環境で、イライラが募ったり、悩んでたりすると、なかなか抜け出せないですよね。そんな時、職場でも家族でもない、色々な思考や価値観に触れられる開いた場があれば、自分の考えも相対化できます。そういう場で、急に深い話になったりするのが、好きなんですよね。
ーーWasei Salonでは「前部屋」というオンラインイベントを開かれていますよね。どんな場なのか、教えていただけますか?
「前部屋」ではテーマを設けず、ただただ、雑談をしています。最初は大人数で開催したのですが、参加者が多いと疲れるので今では気楽に3人くらいでやっています。テーマもない適当なことをイベント化できるのもWasei Saronの良いところですね。
ーー「前部屋」は37回(2022年3月時点)も開催されているんですね。
正直に言えば、誰も来ないときもあります。ただ、ずっとお店をやっているからか、お客さんが0人でも「この日のこの時間には、必ず開いている」ということが、大切なことだと思っているんです。誰が来るかはわからないけど、開けておいて、地道に続けているのは自分っぽいなとも感じてます。
ーー地道に続けたからこそ、気づいたことはありますか?
世代や環境や性別などが違ういろんなメンバーと雑談をしてみたことで、自分の当たり前を疑ったり、自分には無い視点に自分を自然に開いていく感覚が磨かれていってる感じがしています。
続けていることで自分の風通しが良くなって、これから楽しいことが色々できそうな気持ちになれてます。
木彫の伝道師になりたい
今、仕事や家族、木彫、友人との時間など、バランスよくやれている自分がいます。「それでいいじゃん」と思うこともありますが、その中途半端さが木彫の作品にも出てしまっているんです。
私はどちらかと言えば、自分の癒しのためにやっています。その部分に共感してくれる人もいますし、作品でも時々光るものを感じるのですが、もっと突き詰めて、いい作品を作っていきたい。
ーーいい作品を作るために、大事なことって何でしょう?
私に足りないのは「何を表現するか」の部分ですね。木彫で立体化する技術はあるのだと思います。ただ、表現に関してはこれまで鍛えることを怠ってきた気がしています。そこをしっかりやらないと作家としては失格だなぁと。
あと、木彫の伝道師になりたいと思ってます。
ーー木彫の伝道師?
木を彫るって、心と体にすごくいいと思うんですよ。だから、木彫を趣味にする人が増えてほしい。実家のある長瀞は、東京から自然に触れるために来るのに非常にいい場所なんですよね。
この長瀞という場所で、木彫を教えることは面白いんじゃないかと思ってるんです。今、すこしずついろんな場所で教える機会を作っています。
ーー長瀞に伺う際は、ぜひ木彫を教えてください。
もちろんです。いつでも、お待ちしていますね。
「わたしの一歩」を支えるもの
東京南青山の「DEE'S HALL」というギャラリーへの憧れをこめつつ自分でリノベして作ったアトリエですかね。私が6年通った木彫ワークショップは、その「DEE’S HALL」で開催されていました。初めて参加した日の夕方、オーナーさんが喪服を着てご主人の写真を抱えて、そこに帰ってきました。
「どうされたんですか?」と聞くと、何年も前からここでやっているこのワークショップが好きだったご主人が急に亡くなり、葬儀の日とワークショップの予定日が重なってしまった。でも、中止することなく、ご自宅のギャラリーを解放されていたんです。世間一般で考えたら中止するに決まっている。もしそうしてたら、私はこの場に居なかったんだと思うと、「人生、世間の正解に合わせてちゃだめだ、答えは自分で出そう」と本気で思いました。
だから、というより、ただ好きで真似したんですが、「DEE'S HALL」を模して白い陳列棚を作りました。この空間は、私が新しい一歩を進めるのを後押ししてくれています。
編集後記
私たちは自分なりの答えを出すことではなく、その場で求められている正解を出すことにずいぶん慣れている。会社での業務や学校の試験、友人との会話ですらよくあることだ。そうして慣れてしまえば、少しずつ自分の感性を閉じ込めていき、自分の価値観や存在意義を薄れさせるのかもしれない。だからこそ、「もっと、自分を解放していきたい」と話す前沢さんは、答えすらない、自らの手でつくっていく木彫に救われてきたのだろう。
この記事が、自分なりの答えを求める人に届きますように。
執筆:張本 舜奎
写真:長田 涼