私たちの“はたらく”を問い続ける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」では、サロンメンバーが踏み出したさまざまな一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
今回のお相手は「わたしの一歩」の運営メンバーでもあり、フォトグラファーやライターとして活躍されている菊村夏水さん(以下、なつみさん)。Wasei Salon内での出会いから地元埼玉県浦和市について興味を持ち、2023年1月よりローカルメディア「うらみち 」を運営されています。
育った街や出会う人を通して「自分とはなにか?これからどんな人生を選択していこうか?」と問い続けるなつみさんの「わたしの一歩」をお届けします。
菊村 夏水(きくむら なつみ)
埼玉県浦和市在住。フォトグラファー兼取材ライター。東京の国立市で生まれ、3歳の頃埼玉県浦和市へ移り住む。大学卒業後はバックパッカーとして海外を巡り、帰国後フォトグラファーとし
て独立。Webデザインやコミュニティ運営などにトライする中で「自分を形成するものを知りたい」と、2023年1月より地元浦和市のローカルメディア「うらみち」の運営を開始する。
周りに流されて決めてしまっていたあの頃の僕
ーーまずはなつみさんの現在の活動について教えてください。
メインのお仕事は、法人や個人事業主の方の写真撮影です。あとは取材記事を書いたり、個人で「うらみち」というローカルメディアを運営しています。
もともと大学は経済学部に進学。当時はラクロス部に所属し、部活に熱中する日々でした。そんななか怪我が多かった経験から「選手を治療する側にまわりたい」と、鍼灸師の専門学校に大学卒業後通い始めました。
ただあの頃はなにかを決める際に、周りに流されて決めてしまうところがありました。「もっといろんな世界をみて、あらゆる選択肢を知ったうえで、それでもこれがいいと思ったら鍼灸師になればいい」、そう思い半年ほどで専門学校は退学。バックパックを背負ってインドやバングラデシュを巡りました。
海外での経験は、日本が本当に豊かな国であることを教えてくれました。帰国後は個人でできる働き方を模索し、会社には就職せず、フォトグラファーとしての活動をはじめました。
ーー今でこそ新卒フリーランスという働き方が増えましたが、当時はまだ稀有な存在でしたよね。フリーランスとして働きはじめた当初を振り返りいかがですか?
カメラマンを始めた頃は、「思っていたよりもいい感じにいけた!1人で生きていく分くらいなら稼げそうだ!」と思っていました。でも同時に、心のどこかで「なんか違うな」という気持ちもありました。
モヤモヤしながらも、その後フォトグラファーと並行してWebデザインを学んだり、海外留学に行ったり、コミュニティ運営に携わるなど、さまざまな経験を積みました。ただ、今思うと、当時の僕は目の前の選択肢を流されて選んでいただけ。あまり自分の頭で考えられていなかったからこそ、それが違和感に繋がっていたんだと思います。
ーーそんな違和感を持ちながら働くなかで、ローカルメディアを立ち上げようと思ったきっかけはなんだったのでしょう?
Wasei Salonで出会ったメンバーの詩歩さんが、「和歌山仕事時間 」というローカルメディアを立ち上げたんです。そのメディアは県外の人が和歌山を旅しながら、そこで出会った街の面白さを取材するというもので、僕も参加しました。
そのとき、詩歩さんが地元のことを誇り高く話している姿に衝撃を受けたんです。僕は地元のこともよく知らない。なんなら地元をそんなに好きと思えていない。だけど詩歩
さんの話す姿に、「自分を形成している育った街を知ることは、これからどう生きていくかを考えるうえで重要なんじゃないか。」と思ったんです。
そうして僕は、ローカルメディアの立ち上げを決めました。当時住んでいた東京蔵前のシェアハウスから地元浦和市に戻り、ローカルメディアを研究したり、実際に運営者の方たちと知り合いになっていろいろと教えてもらいました。大型メディアでライターをして実践を積み、メディアを始めた時に紹介したいと思える個人店に出会うため、何度も街中を歩いてお店を巡りました。
「うらみち」を通して知った街とこれからのこと
ーー実際に「うらみち」を運営されてから9ヶ月程が経ちましたが、今何を思いますか?
取材を通して地元のいいところを直接聞いたり体感することができたのは貴重な経験となっています。僕は個人店の取材に行くことが多いのですが、そこで出会う人から街の歴史や文化を知ることもできました。
街に対する愛着が強まったのと同時に、「僕はこの街からどんな影響を受けているのか?」についても考えることが増えました。最近では、日本や世界の歴史、哲学、社会学など、僕に影響を与えているものを知るために幅広い分野に興味が湧いています。
あとは以前、埼玉県小川町に行った時、「細川紙」という伝統的な和紙のお店を見て回りました。そこから民藝に興味を持ったんですが、民藝の考えは僕の仕事への向き合い方に大きく通ずる部分がありました。
民藝って、美しく作ろうと思ってやってないんですよ。ただただ作るという行為そのもののなかに、人はハッと美しさを感じる。その考えがとても好きで、僕も撮影や取材をするとき、かっこよく撮ろうとするのではなく、目の前にあるそのままを切り取れるように取り組んでいます。
ーー「うらみち」を運営するなかで特に印象に残っている記事はありますか?
ちょうど連載で書いている若い女性の方の記事が印象に残っています。その方は一度浦和を出た後、いろいろな地域に住んだうえで「やっぱり浦和がいい」と戻ってきた方なんです。
浦和って、一度街を出た若者が、その後また戻ってくることが少ない場所。そんな場所への移住は利便性や住環境の良さが取り上げられがちなんですけど、地元に根付いて育ってきたからこそわかるこの街の良さを、「なぜ私は能動的に戻ってきたのか?」という視点から聞かせてもらえてとても勉強になります。
※上記の記事について詳しくはこちら
ーー「自分を形成する育った街を知りたい」とはじめたメディアを通して、これからの活動についてはどう考えていますか?
浦和に住んだり、「うらみち」を始めたことがきっかけで埼玉県内のあらゆる場所に行かせてもらい、それぞれの街の素晴らしさを知ることができました。埼玉県は、誇れる場所や人がたくさんいる。その事実を過去の僕と同じように、この街を知らないゆえに「あまり好きじゃない」と思っている人たちに伝えたいですね。
またその一方で、最近は「書かざるを得ないことを伝えたい」と思うことも増えています。だけどまずは、僕が知った今ある浦和の歴史・風土・文化をさらに深掘りして記事としてまとめることが先。並行して日本や世界の歴史、哲学などを学びながら、また見えてくるものを大事にしたいです。
ーー暮らしという観点においてはいかがでしょう?
今は「どこかの街でずっと暮らしたい」という固定の気持ちよりも、「いろいろと移動することでバランスをとる暮らし」をしていたいです。人ってどこか一ヶ所に居続けると無意識にそこからの影響を受けてしまうし、そのせいで客観的にみられないことも増えてしまうと思います。
あえて浦和という都心と田舎のバランスが取れた場所で暮らす。そのうえで、いろいろな地域に一時的に移動する。そういう暮らしが物事を客観的に感じとるうえで、今の僕にとってちょうどいいんです。
居心地が悪かったWasei Salonで見つけたもの
ーーここからはなつみさんも運営として関わっている「わたしの一歩」について教えてください。そもそも「わたしの一歩」に関わりはじめたきっかけはなんだったのでしょうか?
「わたしの一歩」が立ち上がって3記事目くらいの時かな。単純にメディアとして面白いなって思ったんです。よくある世の中のインタビュー記事って、なにか社会的に成功した人の習慣や実績にフォーカスするものが多いけれど、それってどこか遠い存在だと思うんです。
そんななか「わたしの一歩」は、サロンメンバーそれぞれの一歩の裏に何があるのかフォーカスし記事が作られていくのが面白い。一つの成功例としてではなく、それぞれが納得感のある生き方を模索している様子が記事を通して感じられるのが楽しくて、「僕も関わりたい!」とコミュニティマネージャーの長田さんに連絡したのがきっかけです。
ーーなつみさんにとってWasei Salonそのものはどんな場所ですか?
もともとWasei Salonは、僕にとって居心地の悪い場所でした。それは、僕自身がこれと決めたらガッと進むタイプだったのに対し、サロンメンバーは一度立ち止まって精査し、粘り強くやる人が多いという印象を受けたから。僕だってそういう姿勢は大切にしたい。でもできない。そういうなかで生まれる葛藤があったからこそ、僕にとってWasei Salonは居心地が悪い場所だったんですよね。
ただ一方で、ちゃんと自分に向き合いたい僕にとって、こういう場所があるのはめちゃくちゃありがたいこと。ここで出会った人たちやそこから生まれた問いが、いろいろなターニングポイントに繋がりました。
ローカルメディアを始めるきっかけとなった詩歩さんとの出会い、メディアの記事を作るうえで参考にしている「脈脈 」を教えてくれたヒロさんからの助言、同じ埼玉県に暮らしいつもいろいろな情報を送ってくれる前沢さんの存在、あらゆる場面でメンバーに助けられています。
写真も言葉も「そのまま」を届けたい
ーーなつみさんが撮影や取材をするとき、大事にしていることはありますか?
僕は、相手のそのままを届けたいんですよね。そのままを届けるといっても結局は自分の視点が入ってしまう。だからもちろん葛藤はあるんですけど、撮影ならできるだけカメラの存在を忘れてもらえるよう、日頃その人が得意とする作業や動きをそのままやってもらいます。
すると僕自身も作為的にならず、「撮る」という感覚から、「そこに写すべきものがあったから撮らざるを得なくなってシャッターを切った」という感覚になれる。
『思いがけず利他』という本のなかで染色家の志村ふくみさんが色に関して「草木の持っているものを出来るだけ損なわずに宿す。」という表現をされているんですが、僕も写真でそれができたらと意識しています。
ーーなつみさんにとって「そのまま」ということが大事なのは、今話された言葉の表現からとてもよく伝わりました。それを大事にしようと思う理由は、何か思い当たりますか?
育った環境と母親からの影響が強いと思います。僕の母はオーガニック志向で、小学校に入る前まで出来るだけ添加物が入ってない自然由来のものを食べさせてくれました。玄米、全粒粉など、幼い頃から自然由来のものに触れる機会は人より多かったと思います。
加えて僕が住んでいた地域は浦和の中でも、比較的自然が豊かな場所。それがだんだんと宅地化が進んで遊び場が消えていく寂しさのなかで、資本主義の在り方や作為的なコントロールに違和
感を感じやすくなったんだと思います。
流されてしまいそうな時代のなかで身体性を伴う“問い”を軸に
ーー今日はなつみさんの素敵な話が聞けてとても嬉しいです。最後に、なつみさんが「わたしの一歩」を踏み出す時に触れていたいものや大事にしたいことがあれば教えて下さい。
社会人になったばかりの頃は、なにかを決断する時に周りに流されて決めてしまうということが多々ありました。だけど「うらみち」を始めた時は、詩歩さんとの出会いのなかで自分の身体性を伴う“問い”があり、そこから行動したことで“深い気づき”がありました。
今の時代っていろんな情報がすごいスピードで入ってきてしまうので、そこでぶれたり、何がいいのかわからなくなってしまうことが多いと思うんです。外部に流されず、自分の心と身体で感じたことを大切に、僕はこれからも一歩も踏み出していきたいです。
ーーでは、いつも「わたしの一歩」を読んでくれている読者さんに、なつみさんからメッセージをお願いします。
「わたしの一歩」って、実は始まった当初、ライターさんが1人だけだったんです。でも途中で複数のライターさんが参加したことで、それぞれの視点からの質問事項や切り取られ方をしていくのが面白いさだと感じます。
話し手と書き手の間に関係性がない状態からはじまる記事も世の中にはいっぱいあると思うんですけど、「わたしの一歩」はWasei Salonというコミュニティのなかで作られている記事だからこそ、中長期の関わりから生まれる双方の関係性が垣間見えて面白い。書き手と話し手の関係性がどんなものかを想像し、なぜこの質問がされているのかなどを感じながら読んでいただけると、より楽しめるんじゃないかと思います。
編集後記
取材を終え、「さて今回の記事はどう表現しようか」と考えるなかで浮かんだのは、放射線状に広がる選択肢の真ん中で「どれを選ぼうか?」とまっすぐに立つなつみさんの姿だった。
育った街、出会う人、そういうものとの関わりのなかから生まれる問いを、なつみさんは次の大きな一歩へと生かそうとしている。それは「周りに流されてしまった」という20代前半を経て、当時の違和感と向き合ったなつみさんだからこその行動と姿だと感じる。
客観的に物事をみれるような場所に暮らしの拠点を置きつつ、あえて自分の主観をいれずに目の前のものと向き合うなつみさん。あらゆる情報に揺れず、自分の中から生まれる問いを軸に迎える次の一歩を、同じサロンメンバーの1人として今後も見届けていきたい。
執筆:蓑口亜寿紗
社会とあなたをつなぐソーシャルコミュニケーター。家を持たない暮らしの後、千葉県館山市に拠点をおき、発信と言語化を軸に活動中。
・ポートフォリオ:https://note.com/azusanpo/n/nccc9278da8fd
写真:長田 涼
広島県の港町 鞆の浦を拠点に活動するフォトグラファー。暮らしにあるひとや風景を撮影するのが好き。
・ポートフォリオ:https://nagataryo.myportfolio.com
▼菊水夏水さん各種SNS
・X(旧 Twitter):https://twitter.com/natsupc24
・埼玉県浦和市ローカルメディア「うらみち」:https://ura-michi.com/
▼他の「わたしの一歩」を読みたい方はこちら!
https://wasei.salon/contents?page=1&category_id=1044&order_type=desc