「これからの”働く”を考える」をテーマに活動するWasei Salonではじまったメンバーインタビュー企画「わたしの一歩」。

今回のお相手は、ナギさん。現在、観光学研究科の大学院生として修士論文を執筆する傍ら、就職活動を進め、春から東京での勤務が決まりました。

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ナギ
1999年生まれ・徳島県出身。日本人女性の一人旅の経験について修士論文を執筆中。2024年にライフエンディング(終活)関連の企業に入社予定。

聞き手・東詩歩
1997年生まれ・和歌山県出身。大学院生と合同会社ギンエンの経営をする二足の草鞋生活。研究と経営を行き来しながら、観光を哲学する。



大学院生は、よく比喩として表象される人生の夏休みという印象としての「学生」という立場で語られると少し違和感があり、しかしながら「社会人」としては認識されていません。そして、本当に分野や所属している研究室により、その姿は千差万別です。

さらに、観光学という分野は、いわゆる「文系」という部類で語られることが多く、文系不要論騒動就活に不利 ではないかという文脈で語られ、当事者の生活や葛藤については、知られていない側面でもあります。

今回は、そのような大学院生という曖昧な輪郭を持つ存在としての喜びや複雑な気持ちを掬い上げ、同じく輪郭の曖昧さを感じる立場の方に届くようなエピソードを共有できればと思います。


大学院生の生活と社会から見えづらい存在として生きること

いつも、向かい合わせの机で論文を書く。お互いの顔はモニターで見えない。この絶妙な距離感がいいよねと言いながら、今回も同じ位置で取材をする。同じアパートの別の部屋で暮らし、同じ大学院の同じゼミに所属するふたり。深夜0時を過ぎるまで、研究室に残る生活をしながら、日々、対話を重ねる。改めてインタビューという形式を取ることで、どんな側面が浮き上がってくるのでしょうか。

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--まず、二人の共通点である「大学院生」ってどんな感じって話を聞こうかな。結構、何をしてるかよく分からないと思われがちじゃない。

ナギ:「遊んでいるだけの裕福な学生」という扱いをよく受けるよね。授業に出たり、論文読んだり書いたり、結構勉強しているけど、あまり分かってもらえないことが多いし。「好きでやってるんでしょ」と言われて、苦労を語りにくい感じがします。


--たしかに、自分で選んだんでしょって。「まだ」学生なんやねとも言われるよね。

ナギ:多分、”文系”の大学院は「本来必要ないもの」って認識なのかもしれないなあ。だからお嬢様だと勘違いされたり、モラトリアム期間で気楽そうだと思われたりしちゃう。


--ということは、ナギちゃんは別に裕福なお嬢様ってわけじゃないってことですか?

ナギ:全く裕福ではなくて、むしろ親には「お金がないから大学に行かないでほしい」とお願いされたくらいで。三者面談でも、先生はワクワクした様子で、どこの大学に行きますかって感じだったのに、親からは「え、大学行かないよね?」と言われて喧嘩したこともあります。だから、大学院以前に、大学入学時点で、親の反対を押し切ってなんとか奨学金を借りてというような状況でしたね。


--ただ、実際、世間のイメージはすごく間違ってはいないと思うこともあるかも。めっちゃ合ってるという訳でもないけど。仕送りの金額とか聞いても家庭に余裕がありそうな人もいるし。とはいえ、わたしたちはだいぶ親からの金銭的援助がない枠ではあるよね。

ナギ:わたしの場合は、親族の中にも大学に行ってる人は全くいなくて、おばあちゃんに「大学院行ってるってことは三ヶ国語くらい喋れるんでしょ」って言われたくらいです。あとはものすごく優秀で偏差値が高いと思われていたりしますかね。だから、何をやってるか分からない宇宙人みたいな存在だと思われていそうですね。

*2017年から2020年までの調査で、アメリカに住む7,204人のテニュアトラック教員を対象にした結果によれば、一般の人々と比較して、大学の教員の親が博士号を持っている可能性は通常の25倍高く、親が修士号を持っている確率も通常の4.5倍高かったことが示されました。(Morgan et al, 2022 )


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--そのような境遇のなかでも大学に留まらず、最終的に、大学院にまで進学しちゃったと。なんでそんな選択になったんですか?

ナギ:シンプルに「初めて勉強してみたら楽しかった」という感じなんですけど。


--え、そうなの?今までも大学受験とかで勉強してたじゃない?

ナギ:それまでは「答えのある勉強」だったから、それはとにかく辛かったかな。受験勉強って効率や要領のよさが鍵になるから基本めちゃくちゃ病みながら勉強していた記憶があるなあ。


--確かに、大学院でする勉強や研究は、受験勉強とは性質が違うよね。ちなみに、いつ頃、初めて勉強したという感覚になるような経験をしたの?

ナギ:コロナ禍で、全てがストップしていた時期に大学三年生で、大学にも立ち入りできないという経験をしました。暇でやることもないし、必要な単位も取り切っていたので、今まで挑戦できてなかった英語で開講されている授業を取ってみたんですよね。当時、英語はほとんどできなかったんですけど、オンライン授業だったので挑戦してみるかと。


--オンライン授業のおかげで、挑戦のハードルがちょっと下がったんだね。

ナギ:そしたら「哲学」や「ジェンダー」の話など、今まで聞いたことがなかったような話題がたくさん出てきて「世の中にまだまだ知らないことがたくさんある」って気付いて、初めてまともにレポートを書いてみたんですよね。やってみたら楽しすぎて、夜中から朝まで勉強していました。


--勉強、楽しいよね......!わたしも同じようにコロナ禍でオンライン授業になってから、チャットで質問したり、そもそもどの席に座るか気にしなくてよくなったりして、周りの目を気にせず勉強できたからかなり専念できた印象があるなあ。


オートエスノグラフィとの出会い

研究には、主に、量的(数値や統計などを用いたもの)・質的(インタビューや実際に対象のコミュニティに参加しながら調査するもの)なものがあります。質的研究であるオートエスノグラフィーという方法に出会ったナギさん。しかし、まだまだ質的研究は「客観性に欠ける、主観的である、再現性がない」として、批判の対象になりやすい分野でもあります。

オートエスノグラフィーとは"調査者が自分自身を研究対象とし、自分の主観的な経験を表現しながら、それを自己再帰的に考察する手法"(井本, 2013)


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しかし、本当に、質的な研究や文系の研究には価値がないのでしょうか?そんな議論があることすら知らなかったという方が大半だと思います。しかし「あなたの感想ですよね」に代表されるように、日常生活のなかでも、個人の感想や小さな声をあげることは簡単に抑圧されていきます。母親として子育てをする研究者であるのか、有名大学の教授である男性が研究をするのか、もしくは非白人である背の低いトランスジェンダー男性が研究するのか。「研究者が誰であるのか」ということは、実は研究のアイディアや視点に影響を与え、インタビューをする際にも、そこで引き出される回答は変化します。

ベハーは人類学が慣習的に立ってきた客観性、科学的な距離について厳しく批判し、主体的に自分自身の感情にコミットすべきだとした(2020,水野 )



--その後、大学院進学に至った訳ですけど、今は、どんな研究をしてるの?

ナギ:オートエスノグラフィーという方法を使って、日本人女性が一人旅でどのような経験をしているかということを研究しています。「身体・感情などが社会や文化とどう関わり合っているか」についてフィールドワークをしたり、論文を読んだりしながら、修士論文の執筆を進めています。


--そんな研究もできるんだね。どうして、そのテーマに至ったんでしょう?

ナギ:最初は、全くこんなテーマになるとは思っていませんでした。まず、大学院進学後に、「修士論文では自分の経験をガッツリ研究に使いたい」という気持ちからセクシャルハラスメントに着目しようと決めました。

そして、ファッションが好きなので、観光する女性の衣服とセクシャルハラスメントの関係についてやってみようかなと思っていました。その後、たまたまセクシャルハラスメントと女性一人旅の文献を見つけて「女性一人旅をテーマに研究したらいいんじゃないか」と思い立ちました。


--なるほど。ちょっとセンシティブかもしれないけど、セクシャルハラスメントの話は、一貫してるし、研究の動機のひとつになってるのかなと思います。辛い経験を書くことは、嫌じゃなかった?

ナギ:正直、めちゃくちゃ辛いです(笑)ただ、辛い経験を書くことには意味があると思っています。特にオートエスノグラフィー研究を始めてから、他の研究者たちが共有してくれた経験に何度も励まされてきました。

「辛いけどひとりぼっちじゃない」と思えることがわたしを救ってくれたので、今度は、わたしが自分の研究を通じて、還元していきたいと思っています。


--なるほど。一人でやる研究だけど、そこには共有する誰かがいるんだね。ちなみに、なんでオートエスノグラフィという方法を知ったの?観光学の研究は、量的研究が多くて、質的研究といっても、まだまだインタビュー調査とかが目立つと思うんだけど。

ナギ:自分の経験を書くということは全く想定していなくて。本当に偶然、指導教員から「これ合ってると思う」と急にオートエスノグラフィーに関する論文を渡されたという流れがあり、読んでみたらおもしろくて、直感で決めた感じです。


--研究してるとそういう出会いがあるからおもしろいよね。ちなみに、オートエスノグラフィって聞いても、あまり馴染みのない人が大半だと思うんですが、研究者自身が研究対象になって研究する/されるって感じで合ってる?

ナギ:そうですね。自分の経験だけじゃなく、これまでの文献と照らし合わせたりして、個人と社会の関わり合いを紐解いていくような感じですかね。でも、よくある批判として、ブログや旅日記、あるいはジャーナリズムとどう違うのかというのが問われますね。あと「客観的ではない」とか。


--客観的であることが正しいみたいなのは、研究だけじゃなく日常生活でも溢れてるよね。ちょっとずつ、当たり前だと思っていたことも無意識にレンズをかけているだけなんだなと気付き始めたのが研究しててよかったことかもしれない。


大学院生としての日常

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--もうちょっと具体的に、研究生活、もしくは研究室生活ってどんな感じ?あまりリアルな生活が公開されてない気がするんだよね。

ナギ:本当に、人によって全然違うと思います。わたしは今修士2年生で、授業は何もなく、ただただ修士論文を執筆中です。1日の流れは結構バラバラですが、基本的に夜型なので、昼前から研究室に行くことが多いです。そこから日付が変わるくらいまでいたり、たまに朝方になっていたり(笑)モチベーションによって、週に4日〜6日くらいこんな生活をしています。


--ほぼ毎日、土日も含めて研究室にいるよね。ちなみに、わたしはまだ一年生だから、毎週、授業と課題が結構な量あります。

ナギ:あと、今が人生で一番しあわせですね。


--おお!

ナギ:それこそ、今、世間でしあわせの要素として認識されているような、お金、恋人、立派な肩書きとかは何も持っていないんですけど、本当にしあわせで......。

ひとつの答えを求められないし、ひとつの物事について色んな角度から検討できる時間がある。イメージとしては、ふたりの間にテーブルがあって、そこに事象やテーマを乗せて話せるような感じ。言葉をふたりの間に置いて眺めることができる。そんな風に話せる仲間がいることが嬉しいです。


--ゆっくりじっくり話ができる時間や友達がいるってありがたいよね。

ナギ:あと、わたしは、幼い頃から社会への馴染めなさ、居場所のなさ、圧倒的な劣等感を感じながら生きていたという背景もあるから、今の環境はとってもありがたいです。


--居場所のなさかあ。ちょっと分かるかも。田舎で育ったので、閉鎖的な環境で、ずっと周りより5ミリくらい浮いてる感じしてた。

ナギ:分かる。今は、あの苦しい経験があったからよかったって言えるけど、しなくていい経験なら味わわない方がいいかなと思う。わたしは、そもそも生きることは苦しいって感じの前提があると思うんだけど。大学院に行くまでは「生きることは死にたいほど辛いものだ」と全員が前提として共有しているものだと思っていたくらい。


--生きることは苦しいという前提はナギちゃんっぽいよね。普段のエピソードやたまに描いてる絵から、そう思うんだよね。でも、すごくマイナスな感じはしない。一方で、わたしは、結構、生きることが好きだしおもしろいから、最初は全然どういうことか分からなかった。

ナギ:生きていると、辛いことや悲しいこと、いろんな苦しさと毎日たたかわなくちゃいけない。時にはそれが楽しさを上回ったり、幸せを奪ったりする。だけど泣き言ばかり言ってられなくて、誤魔化しながら、自分の感情と交渉しながら、進んでいかなくてはいけない。社会は立ち止まることを許してはくれない。…わたしにとって生きることがそういうイメージだから、苦しいと感じるのだと思います。


東京ではたらくことはルッキズムへの挑戦

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--ちなみに、春には、しあわせな環境である大学院を修了して、初めて東京で働く予定だと思うんですが、意気込みはどうですか?

ナギ:なんだかんだ苦しいことが好きなので......(笑)実は、生まれてからずっとルッキズムに悩んでるんですよ。太ってるとか、かわいくないとか、毎日言われた訳ではないけど、ちくちく否定されて生きてきたので、ずっと自信がなくて。どれだけ可愛いと言われても本当の顔は自分では見れないじゃないですか。


--その「ちくちく否定される感じ」、もう少し聞いてもいい?

ナギ:別に、デブとかブスとか、直接的なことはあんまり言われていないんですけど。親や当時の友人、恋人から「最近太ってきたから食べるのを控えたほうがいいよ」とアドバイスされたり、「あの子(可愛い女の子)にはイケメンが寄ってくるだろうけど、(あなたには)ブサイクが寄ってくるよ」と冗談を言われたり。「痩せたほうが可愛いから、痩せてよ」とお願いされたことも。BMI20くらいの健康的な体型なのに、終始容姿をバカにされる感じでしたね。


--結構、辛辣だね。でも、きっと、直接的じゃなくてもテレビや広告なんかの影響で物心ついた頃から、そう感じている人は少なくないよね。

ナギ:だから、財力のある顔の整った煌びやかな人がいるなかで、わたしなんてやっぱりダメだってなりそうだなと。でも、そのなかで「わたしなりの何か」を見つけられるのかが楽しみだなという気持ちがありますね。


--ワクワクが独特ですね(笑)徳島、和歌山を経て、いよいよ東京での暮らしを始めるナギちゃんのこれからを友人としてすごく楽しみにしています。


年齢も性別も超えて対話できる場所

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--今回、こうして取材させてもらっているWasei Salonには、わたしが誘う形で入会してくれましたよね。数ヶ月が経ちましたが、何かナギちゃんに影響を与えたことなどありますか?

ナギ:Wasei Salonには、年齢も性別も居住地も全く違う人たちが所属しています。わたしにとって、みなさんの生活や人生を覗かせていただくことはとても面白くて刺激的です。

「はたらく」に関する経験だけでなく、生活における個人的な葛藤についても、対話しながら深めていけることがありがたいですね。実生活以外に自分の居場所があるって素敵だなと思います。


--そうそう、最後に聞いてみたかったんですが、オンライン上のコミュニティであるWasei Salonにリアルな友達がいるってどんな感じ?ブログとか読まれるの恥ずかしくない?

ナギ:正直、入る前は、オンラインサロンってもっとビジネス色が強いと思ってたんですよね。でも入ってみると全然違って。友達が別のオンライン空間にもいることで、そこに書かれている情報以外をあとから知れたりするのが面白い。


--よくブログの意図を説明したり、そこから日常会話が発展したりすることもあるよね。

ナギ:前に一緒にイベントに参加した時は、研究室で話したあとだったから、画面越しで見て不思議な気持ちだった。ブログやイベントから外に出て対話が始まるのはリアルな友達と入ることの醍醐味かな。でも、本当に仲良くないと恥ずかしいかも。


--例えば、もしパートナーがいる人が一緒に入会するとかどうなんだろう。

ナギ:わたしは、パートナーに全て開きたいような開きたくないような感じもする。秘密にしてることはないし、誰に喋ってもいいと思ってるけど、秘めたい気持ちもあるからなあ。


--他の人がパートナー同士で入ってるというのも見てみたいね。1対1だとぶつかり合ってしまうことも、他の人の中に投げ込むと違う意見がもらえて新たな見方に繋がるとかありそう。シェアハウスに住んでる家族とかに近いかも。この記事をきっかけに、友人やご家族と入ってみようかなという方がいたら嬉しいね。


編集後記

研究を進めるうちに、インタビューには「聞く-聞かれる」という固定された関係性があるということに気付いたという経験をもとに、少し形式の異なる取材を試みてみました。取材は、公開インタビュー形式で行い(サロンメンバー限定ページで閲覧可能です)、文体はいつもの会話の雰囲気を意識して、一方的に聞くことにとどまらない形での企画を実施してみました。

しかし、やはり公開インタビューだけでは「開かれた会話」になるため二人だけの「閉じた会話」から、細やかな葛藤をぽつりぽつりと話すというプロセスを経ています。

いつも、雑談や研究の話をする仲であるナギさんと、改めて、インタビューという形で話をすることで、共有していなかった細かな気持ちが立ち現れたような感覚がありました。つまり、聞く側も「聞いているわたし」を意識せざるを得なくなりました。

最後になりますが、読んでくださったみなさんにとって、二人の対話から、きれいな輪郭にとらわれない新たな問いや発見があれば嬉しいです。(詩歩)

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取材受けてみての感想

正直「なぜナギさんなの?」最初はそういう意見を想像して、申し訳なさや恥ずかしさがありました。まだアルバイト以外で働いたことのない大学院生の自分に何ができるのか。それは、新しいインタビューの方法を共有し、なんでもない若者にも焦点が当たる場所をつくることです。

従来の「聞くー聞かれる」構造インタビューの功罪や、境界の外に追いやられる人々について勉強していているわたしたちだからこそ、今回のインタビューをお届けできたと思います。

これを機に、Wasei Salon内のさまざまな方にスポットライトが当たり、より対等なコミュニケーションが活発になることを願っています。普通に会話しているような感覚で、インタビュー項目を全て聞き出してまとめてくれた、詩歩さんのすごさにもご注目ください(笑)

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▼他の「わたしの一歩」を読みたい方はこちら!
https://wasei.salon/contents?page=1&category_id=1044&order_type=desc   


▼参考文献

井本由紀. (2013). オートエスノグラフィー . 藤田結子・北村文(編)ワードマップ 現代エスノグラフィー -新しいフィールドワークの理論と実践-. 104‒111. 新曜社 .
Morgan, A., LaBerge, N., Larremore, D., Galesic, M., Brand, J. E., & Clauset, A. (2022). Socioeconomic Roots of Academic Faculty. Nature Human Behaviour, 6, 1625–1633. https://doi.org/https://doi.org/10.1038/s41562-022-01425-4
水野英莉. (2020). ただ波に乗る Just Surf サーフィンのエスノグラフィー (1st ed.). 晃洋書房. http://www.koyoshobo.co.jp/book/b502624.html
李英浩. (2023, October 27). 文系大学院進学しない理由、学生48%が「就職心配」理系の倍. 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20231026/k00/00m/040/424000c
吉見俊哉. (2016). 文系の知とは何か? - 「文系学部廃止」の衝撃 講演録 41-1. 社会技術レポート, 50. https://www.jst.go.jp/ristex/output/files/50_s.yoshimi2016.08.pdf