「これからの”働く”を考える」をテーマに活動するWasei Salonではじまったメンバーインタビュー企画「わたしの一歩」。

今回のお相手は、1997年生まれ、25歳。和歌山大学で観光を学び、休学中のインターンやフリーランス期間を経て、昨年会社を立ち上げ起業家として活動、フィルムカメラで生活の一端を記録した写真展を開催するなど、多方面で活躍されているメンバーの詩歩さんです。

現在の等身大の自分とそこに到る経緯、いま踏み出そうとしている一歩についてうかがいました。

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東 詩歩(あずま しほ)
京都府出身、和歌山県在住。和歌山大学観光学部4回生で、2021年4月に設立した合同会社ギンエン 代表。写真撮影・デザインをはじめ、包括的な地域編集を行う。和歌山の多様な生き方を仕事という軸を通じて発掘するWEBメディア「和歌山仕事図鑑」主催。










和歌山になじめなくて、京都に帰りたくて仕方なかった

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出身が母の実家のある京都の宇治市で、小学1年生頃まではそこに住んでいました。

だから、和歌山に引っ越してきた時は、言葉の違いが怖くて、学校から帰ってきて泣いていた記憶があります。『早く京都に帰りたい』って。


——和歌山が好きじゃない時期が結構長かったということですか?

アイデンティティロスみたいな時期はあって、中学生くらいまでは「京都にいた方が私は幸せだったはずなのに」と、ずっと思っていました。

でも、和歌山にいる年数が京都にいた年数を上回った時に、その気持ちは諦めましたね。


——「諦める」と「好きになる」は結構違うと思うのですが、和歌山を好きになりはじめたきっかけってあったりしたんですか?

好きというか、案外悪くないな、と思ったきっかけはいくつかあります。

ひとつは、高校3年生の時、AO入試のためのプレゼン資料をつくる機会がありました。フィールドワークをして、地元の人にインタビュー調査をしたんです。

その時にはじめて「和歌山の人」というくくりじゃなく、ひとりひとりの話を具体的に聞いた時に、面白い人がいっぱいいるということに気がつきました。

もうひとつは、そのAO入試が9月頃に終わったので、「卒業まで半年くらい時間あるし何をしようかな」と考えた時に、TED x Sapporoに出ていた民間でロケットを作っている植松 努 さんに、学校に講演に来てもらいたいと思ったんです。


——具体的にはどうされたんですか?

まず、何からすればいいか分からなかったので、飛び込みで校長室に相談に行きました。安い軽自動車くらい必要だったんですけど、学校からは予算がないと言われたので「じゃあ、集めてきます!」って、地域の社長さんを回って協賛金を集めることを始めました。

最初はひとりだったんですけど、友達を巻き込んで5人で実行委員会を組んで、自分たちで名刺やフライヤーなどを作って。1社1万円でお願いに回ったのですが、地域の社長さんたちにすごくお世話になりました。

その時にだいぶ、和歌山に対する気持ちが変わりましたね。お世話になったから自分も貢献したい、みたいな感じになったのが大きかったです。

▽参照:YouTube「植松 努 氏 ”どうせ無理”をなくしたい in Naga」









「友達、欲しかったんですよ」

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——高校生の頃から、すごいエネルギーがあったんですね。

そうですね。でも原動力は、シンプルに友達が欲しかっただけなんです。
いま思うと恥ずかしい話になりますが、その頃は『なんかすごいことやったら友達できそう』とか思っていて。

京都から移住してきたのと合わせて、自分の家がパン屋さんだったので、ずっと大人がいる環境で育ったからか、学校でも浮いてるというか。やっぱり何か馴染めない感がずっとあって。

学校に行っていても、なんとなく周囲とは話題が合わないと感じたり、常にそのままの自分じゃ居場所がない「ここじゃない感」があって。だから、話題について行くためにジャニーズのことをウィキペディアで調べたりしていました。

もしかしたら今でも、地域の人に貢献したい気持ちとは別に、一緒に楽しいことをする人たちが集まっている状態を作りたい、という気持ちが活動する原点にあるのかもしれません。









ずっと写真が身近にある生活だった。

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——立ち上げた会社名のギンエンも、銀塩カメラが由来ですね。

祖父が事あるごとに写真を撮っていたような人だったのと、私が小学校3〜6年生の間、バレーをしている写真しかないくらいのバレー少女だったんですが、その時の監督が写真屋さんで。

だから、自分がバイトして最初に買うものはカメラと決めていて、高校生になったらすぐに手に入れました。

何もない状態で友達の輪に入っていくのは苦手だったので、写真を撮ってあげたら喜んでもらえて、仲良くなれそうだから写真を撮ろう、と。植松さんの講演会の時もそうですが、いろんな手段が、自分の居場所をつくってくれた気がします。









大学を休学して東京へ。マザーハウスでのインターン。

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——休学期間中にいろんな活動をされていたとのことですが、いつ頃からされていたんですか?

19歳の時ですね。約1年弱、株式会社マザーハウス でインターンとして働かせてもらって、それがはじめての東京暮らしでした。

代表の山口絵理子さんを知って、ぜひマザーハウスで働きたくて。

高校生の時に山口さんの『裸でも生きる』という本を読んでいたのと、大学1年生の時に大阪でトークショーがあって、見に行ったその日にインターンに応募しました。


——インターンが終わってから、そのまま東京ではフリーランスですか?

ええ、一年くらい。でも、それがちゃんと回るようになる前に、東京で一ヶ月くらいホームレスになった時期があって。

実はそれが一番の人生の転機だと思います。









「わたしの一歩」を踏み出す原点。ホームレス生活と、変わった人生観

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——何があってそうなったのか、お伺いしてもいいですか?

実はインターンが終わった後「東京で勝負するぜ!」って血気盛んになってやっていたら、お金しか減っていかない毎日で。東京なので家賃が高いから、食費を確保するために住んでいるところを解約したら、家が無くなってしまいました。

今でも忘れないんですが、新宿の丸亀製麺でうどんを買うお金がないから白ご飯しか買えなくて、その上に無料クーポンの天ぷら乗せて天丼にして食べてました(笑)

本当に家がないから、ファーストフードのお店に入って100円コーヒーだけ注文して朝を迎えたりしていたんですが、かなりメンタルをやられてしまいましたね。


——とても厳しい状況だと思うのですが、復活のきっかけは何だったんですか?

たまたまシェアハウスに友達がいたので、その子に拾われてみたいな感じでした。やっぱり、家がある、自分の居場所があるって本当にすごくって。

ホームレスの時は、みんなが敵に見えるんです。「もう出て行け」と言われているとか、自分には価値がないとか、そんなことを強く感じるんです。

でも、シェアハウスに入ったらみんな話しかけてくれて、仲良くしてくれたので、そしたら、なんか「頑張ろう」って気持ちになって。

テレアポのバイトとかで生計を立て直したり、SNSで「仕事ください」って書いてインタビュー記事をもらったりして、本当に死に物狂いでやって復活したって感じです。
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——本当にすごい経験ですね。詩步さんの中の何が変わったのですか?

その時に何が変わったかと言うと、それまでは勉強もできたし、スポーツも学年トップクラスだったし、結構何でもできていたんですよ。だから、自己責任論的に、この世では強者しか勝たないし、成功していないのはその人の努力不足だと思っていたんです。

でも今回の私みたいに、人って急に何もできなくなったり、意図しない気づかない間に急に弱者になる。それは別に、その人が悪いわけじゃないんだな、と本当に気づいて。

自分のそれまでの20年くらいを猛反省して、本を100冊くらい一ヶ月くらいで読んで。

それで、すごく変わりました。


——そんな風に友達とご縁があって、ご自身でちゃんと稼いで、そのまま東京に1年いたのですね。それなら、そのまま戻らない選択肢もとれたと思うのですが、どうして和歌山に戻ろうと思ったのですか?

『勉強しないと』って、思ったからです。

自分は強者の理論の当事者で、なんて無意識に人を傷つけていたりしていたんだろうと。ちゃんと学ばなければいけないと思って、大学に復学することを決めました。

実は、入学当時は大学が嫌いだったんですよ。ずっと「大学の外の世界に行きたい」と思っていました。でも、2年の東京での経験を経て復学してみると、めちゃくちゃ勉強楽しくて。研究の道に進みたいと考えるくらいまで、180度変わりました。









Wasei Salonに入ったから生まれた「和歌山仕事図鑑」

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——ということは、復学してからWasei Salonに参加したという流れですか?

そうですね。いろいろあって「就学年数5年、在籍年数7年」みたいな形になっていますが、復学してちょうど1年後の2020年9月にWasei Salonに加入しました。


——加入のきっかけは何ですか?

会社設立以前もフリーランスとしては活動していたのですが、いざ法人を立ち上げることを考えると、相談する相手が身近にあまりいないことに気がついて、オンラインサロンが面白そうだと思って加入しました。


——Wasei Salonに入ってから、今の関わり方になるまで、詩步さんの中でいろんな変化はありましたか?

変化は非常にありました。最初はイベントとかちょこちょこ参加していたんですが、起業準備とかでばたばたしていたのもあって、実は半年くらいはほぼ幽霊部員でしたね。

ふとした時に読書会か何かに参加した時に、変化があって、それが楽しくて、イベント参加者と対話を重ねていく中で、結構いい距離感になってきたなあという感じがありました。


——その読書会の「楽しい」というのは、具体的にどういう楽しさだったんですか。

すごく深い文脈で話している人がいるな、と。

たしか、読書会を主催しているにしじーさんだったと思うんですけど。「こういうことを話したかった!」と思いました。


——その体験が他の空間では味わえないような体験が感じられた瞬間だった、ということでしょうか?

もし東京にいたらそういう経験も、もうちょっとあったと思うんですけど、やっぱり和歌山に帰ってくると、本を読んで深く語り合える機会がなかったり、普段の生活から距離を置いて会話ができる友達を見つけるのが難しかったりするんですよね。

その辺りが、自分にとっては良かったのかもしれません。
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——研究の道に進みたい、というお話があったかと思うのですが、詳しく教えていただけますか?

最初はずっと「社会起業、ビジネス」が世界を変えると思っていたし、そういう理念でやっていました。でも、現場にいるって、いわばサンプル数1なので、一生かけてもそんなに多くの事例に触れることが難しいんです。

だから、もっとマクロな学問的視点と、現場の視点の両方を持ちたいと思っていて。

今、四回生なので、来年は事業をやりながら修士課程に進んで、できたら博士まで見すえていきたいです。


——そんな研究に関することで、Wasei Salon内でいろいろとチャレンジされているとのことですが、どんな感じですか?

メンバーのAYAさんとのコーチングは長くスキルシェアでやらせてもらっているんですけど、「なぜ自分がそんなに研究に興味があるのか」というところをちゃんと言語化してもらえたのがめちゃくちゃ大きかったのです。

Wasei Salonを活用させてもらっている点で言うと、今度コミュニティマネージャーの長田さんに卒論の調査に協力していただいたり、和歌山の多様な生き方を仕事という軸を通じて発掘するWEBメディア『和歌山仕事図鑑』 をはじめて、なつみさんとヒロさんに和歌山まで来ていただいたり。

和歌山仕事図鑑は、合同会社ギンエン の事業でもあるんですが、今後の私の研究のヒントになるかもしれないと思って取り組んでいるので、そういう意味でも、これからもWasei Salonには関わり続けていきたいと思っています。









「和歌山仕事図鑑」が生まれた背景。南方熊楠と和歌山。そして、わたし。

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——最後に、そんな風にいろんなチャレンジを続ける詩步さんの根幹となっている、好きなものや大切にしているもの、尊敬している人を教えてください。

好きなものはいくつかあるんですが、和歌山出身の南方熊楠が大好きで。彼が描いた「南方マンダラ」の世界観が自分の理想や嗜好にフィットしていると思います。

彼の研究していた粘菌も、普段は全然ひとの目に触れないところで活動しているものなのに、それを視ようとする力っていうのに惹かれているのが一番大きくて。

あとは、常識にとらわれていないというか、そもそも持ち合わせていないところがとても興味深いな、と。

自然に対する深い尊敬の念もそうなんですが、人間の尺度や自分の先入観を持って計らないところもすごく素晴らしいと思っています。


——大事にしているものは何でしょうか。

その時代によって何が良いとされるかは違いますし、それは今後も変わっていくと思うんです。

だからこそ、自分が何を大切にしたいか、世の中ではなく自分自身の中に基準を持ち、同時にそれを常に学び変化させていく勇気を持つことが必要だなと。

「こうあらなければならない」と自分が思った時に「まあ、いいんじゃない」と言ってくれる自分もいる状態。それはAかBかという択一でもなければ、清く正しくという感じでもなくて。

それを表しているような存在が、たばこが吸える喫茶店や、本屋さんもそうだし、特に大学という存在がそうだと思うんです。人が疑問に思わないようなことを、これって面白いと話ができる教授がたくさんいて。

そんなことを、ここ1、2年くらいよく考えます。


——尊敬している人はいますか?

最近、一番尊敬しているのは自然ですね。
海や森によく行くんですけど、そこから学ぶことは本当に多いです。
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編集後記

とても明るくハキハキと楽しそうに話す詩步さん。

十代の頃から様々な活動をして、いろんな体験をしているお話なのに、自慢話や苦労話に聞こえないし、悲壮感も全く感じられないのです。

おそらく「ローカルで起業している、大学生。すごい人」という文脈で捉えられがちな方だと思うのですが、積み上げた努力や成功という目に見える部分ではなく、その時の思いや楽しさや感謝という、目には見えない部分を大切にしているように感じました。

時には「わかりやすさに常に抗っていたい」という言葉も飛び出すなど、ちらちらと燃える炎のような、反骨でロックな魂が見え隠れしますが、常に静かに流れているのは、ひとという生き物のある種のどうしようもなさに対する理解と愛おしさなのかもしれません。

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みなさんの一歩を応援し伝えることで、他の方を勇気づけることに繋がったり、その人自身の棚卸しになったりする。

そんな関係性からまた、新しい『わたしの一歩』が生まれてきてほしい、という思いを込めてサロンメンバーの張本舜奎さんが半年にわたって書いてこられた素敵な企画を、みんなで引き継いでいくことになりました。

この記事が、日々、自分や仕事はこうあらなければならないと思っているけれど『もしかしたら他の生き方でもいいのかもしれない』とか考えている方に、新しい何かへのヒントや手がかりとなれば、心より幸いです。



執筆:山田 智之
写真:菊村 夏水