私たちの“はたらく”を問い続ける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」では、サロンメンバーが踏み出したさまざまな一歩に触れながら、その人の人生や考えについて深掘りをしています。
第7弾となる今回のお相手は、地元福岡県にて福祉の仕事を行う西嶋 利彦さん。
Wasei Salon内では「にしじーさん」の愛称で親しまれ、毎月開催される読書会の企画運営など、サロンの中核メンバーとしてご活躍いただいています。
今回はそんなにしじーさんのこれまでのストーリーや「わたしの一歩」についてお話を伺いました。
西嶋 利彦(にしじま としひこ)
福岡県出身、福岡県在住。VALT JAPAN(ヴァルトジャパン)株式会社所属。大学で社会福祉学を専攻し、在学中に目にした福祉の現状に衝撃を受けたことから福祉の世界に興味を持つ。その後ニトリ株式会社で社会人経験を積んだのち、24歳から福祉業界へ。読書やランニングが趣味で、年間200冊の本を読む。
福祉の世界で新しい道へ。現在のにしじーさんのお仕事とは?
にしじーさん:はい、僕はいま誰でも望めば働き方を選べるような社会へシフトさせていくためにVALT JAPAN株式会社で働いています。
主な事業内容はBPO事業(ビジネスプロセスアウトソーシング)で、民間企業や行政がもつ人材不足に対して、ルーティン業務を引き受け細分化することで、それを働きたい就労困難者の方にお任せするという仕事をしています。
ーー就労困難者とはどういった方々ですか?
にしじーさん:例えば、難病の方、シングルマザーの方、若い時に捕まってしまってなかなか就労現場に復帰できない方などを指します。
働きたいのに働くチャンスがない人に対し、少しでも仕事を得る機会を提供できるよう日々お仕事をしています。
ーーにしじーさんは、たしか前職も福祉業界でお仕事をされていましたよね?
にしじーさん:はい、前職では児童福祉の分野に携わっていました。
発達障がいのあるお子さんに対して、放課後等デイサービスを通じて、家や学校ではできないカリキュラムを提供し、その人の可能性がより解放されるよう取り組んできました。
福祉の道に進んだのは、好きな子と釣り合うためだった。
にしじーさん:実は僕、福祉の道に進んだきっかけは、好きな人と釣り合うためだったんです。(笑)
ーーえ!好きな人と釣り合うためですか?
にしじーさん:はい、僕は高校生の頃、進路を決める際にお付き合いしている方がいました。
その子は学内でもトップクラスで頭がよかった。だから当時の僕は、「その子と自分が釣り合うためにはこのくらいの大学には行かなきゃ!」という考えがあったんです。
僕は両親が学校教員で教えることにも興味があったので、教育の道も考えました。でも、結果受かったのが社会福祉学科だったんです。
ーーそれはおもしろいきっかけですね!実際にその後、福祉の分野に進まれていかがでしたか?
にしじーさん:福祉の道に進んだことは、運命だったと思っています。
大学ではいろいろな現場を目にしましたが、そのなかでも大学3年生の時に聞いた障がいを持つ子供のお母さんの話は衝撃的でした。
「きっとこの子は私がいないと生きていけない。だから、もし私が死ぬ時はこの子も一緒に連れていきたい。」
そんな言葉に、はじめは「それってお母さんのエゴでは?」と思ったんですが、のちに実習で就労支援事業所の工賃が月8,000円程度と知り、あの時のお母さんの気持ちもわからなくもないなって思ったんです。
僕はそんな学生時代を過ごしたことで、「福祉の分野を変えたい」と思うようになりました。
いつか福祉の分野を変えたい。ニトリから始めた社会人経験
にしじーさん:いいえ、はじめは株式会社ニトリに就職しました。
ーーあの家具のニトリですか?なぜ?
にしじーさん:いつかは福祉業界を変えたいと思っていましたが、いきなり福祉の世界に入ってしまうと、僕は従来の福祉業界の人と同じ発想でしか物事を考えられないと思ったんです。
民間企業で経験を積んで30代くらいで福祉に携われたら…、そう思っていました。
ーーニトリに就職後は、どんな経歴を歩まれたのでしょう?
にしじーさん:ニトリではいろいろな経験をさせていただきました。
ただ、働きはじめて2年が経った頃、僕は大学のOB会で「福岡市と共同で就労支援事業所を立ち上げる」という知人の話を聞いたんです。
ちょうど時を同じくして、僕は鹿児島の知覧特攻平和会館で、特攻隊員となった方の最後の手紙を読みました。
将来有望な若者が、未来の僕らのためにと送ったメッセージを読み、「民間で修行をしてから」なんて言ってられないと思ったんです。
僕は今福祉をやろう。そう思い、僕はやりたかった道に進むことを決めました。
福祉の世界に携わるため、地元を離れ新しい暮らしへ。そこで感じた違和感とは?
にしじーさん:僕がはじめて働いたのは、ITを活かした福岡の就労支援事業所でした。そこで5年経験を積み、その後鳥取県での福祉事業に携わりました。
当時鳥取県は、日本財団という団体とコラボして、障がい者の賃料を3倍にしようというプロジェクトをしていて、僕はそこに参加したんです。
地元を離れ、縁もゆかりもない鳥取での生活が始まり、結果としてプロジェクトは成功。関わっていた就労新事業所の賃料は3倍になりました。
でも、僕は疑問だったんです。
本当に当事者の人たちは、そこまでして賃料をあげたいのだろうか?と。
賃料が上がれば当然仕事は難しくなり、就労者さんは余裕がなくなっていきます。
そんな現場を置き去りにして、「障がい者は単純作業が得意だから」と個々の顔が浮かばないような働き方が増えていることに、当時の僕は「働いている人たちが手段化されているのでは?」と違和感をもちました。
彼らの暮らしや心のケアを大事にしたい。そう思い、彼らの教育や療育に携わるため今の一つ前の会社に転職しました。
ーーそんなストーリーがあったんですね。ちなみに地元福岡での暮らしを離れ、鳥取での暮らしはいかがでしたか?
にしじーさん:僕は鳥取での暮らしが好きでした。
田舎のもつウェット感っていうのかな。朝ゴミ捨て場で雑談をしたり、1ヶ月に1回は昼からお酒を交わしたり。
鳥取での暮らしはすぐ近くに公民館があったんですが、地域の子供をみんなで育てているような感覚もありました。
今の福岡での暮らしは、友人も多いし食事も美味しくて、とても暮らしやすいです。ただ、僕は鳥取での暮らしも好きでしたね。
33歳での転職。元々は決断に時間のかかる人間だった。
にしじーさん:僕が転職したのは、完全にご縁ですね。
鳥取での就労支援プロジェクトは、いつかは福岡でもやりたいと思っていたことでした。
人を手段化しない方法で進めていきたいと願うなかで今の会社と出会い、今までの点と点が繋がった感じがして、僕は転職を決めました。
ーーVALT JAPANさんとの出会いはいつだったのでしょう?
にしじーさん:出会いは2022年2月のことです。
実際に働きだしたのが2022年5月なので、かなり短い期間で決断しました。
ーー葛藤や迷いはありませんでしたか?
にしじーさん:めちゃくちゃありましたよ。
前職では70人近い子供と関わっていました。彼らの成長を見届けたかったし、とにかく子供たちが可愛かった。
職場の若い世代の成長にも携わりたかったので、前の職場をやめるかどうかはとても悩みました。
ーーどうやって最終的に決断をしたんですか?
にしじーさん:客観的に考えたとき、今の自分が動いたほうが社会のためになると思ったんです。
また、関わってきた子供たちに限らず、それぞれが自分で考え決める力を身につけた先にある「選べる社会」を耕しておきたいという気持ちもありました。
どちらが自分の経験を踏まえてインパクトを残せるか考えたとき、「動こう」と思い1週間で決めました。
ーー1週間!とても決断力があるように思いますが、その決断の早さは元々ですか?
にしじーさん:いや、昔はめちゃくちゃ迷うタイプでしたね。
僕の親は公務員ですし、両親に心配をかけてしまうんじゃないか?自分の家族への影響は大丈夫か?など、いろいろなことを考えるとなかなか動けなくて。
ただ、そんな過去の経験があったからこそ、自分自身を大事にしたいと思う方向へ進めてあげよう!と思うことができました。
揺らぎを感じる日々のなかで僕が達成したいこと
にしじーさん:今は朝から晩まで仕事に没頭しています。
前に進んでいる感覚があるなかで、内省の時間がとれなくなってしまい、バランスが難しいと感じていますね。
僕は「はじめに約束した人との約束を守る」というポリシーがあるんですが、事業が拡大フェーズのなか、約束をリスケするようなことも出てきてしまって、仕事が楽しい反面、日々の中で大事なことを切り捨てているような揺らぎを感じるのもまた事実です。
ーーいろいろな気持ちを感じながら、今まさに日々を送っているんですね。そんなにしじーさんがこれから目指していきたいところってあるのでしょうか?
にしじーさん:まずは、この2〜3年で福岡での事例をしっかり作っていきたいですね。
失敗を含めいろいろなデータを蓄積し、僕が関わってきた子供たちが大人になるまでに、やりたいことを選べる社会を作りたい。
そのために動いていきたいし、僕はもっともっと現場の人とも話しがしたいと思っています。
Wasei Salonでの活動と読書会に対する気持ち
にしじーさん:読書会をはじめたきっかけは、メンバーのもんさんが主催していたオーディオブック読書会への参加でした。
もともと本が好きで、同じ本を読んだ人が何を思うのか?を聞けたことがとても面白かったんです。
その後、もっと本を通じてみなさんのことを知りたいと思い、自分も読書会を企画するようになりました。
ーーこれまでに20回以上読書会を開催してきたと思うのですが、そのなかで感じるご自身の変化はありますか?
にしじーさん:これはたくさんありすぎて絞れないですね。
ただ、やっぱり大きかったのは、自分自身が持っている当たり前が全然当たり前じゃないと気づけたことです。
福祉の現場でもそれに気付かされる場面って多々あるんですが、読書会では全く異なる角度から自分のなかの当たり前に気付かされます。
サロンメンバーのみなさんのことを、少しずつ、回数を追うごとに知っていける。
「ひとつの本を通して、みんなが何を感じ、何を思うのか?」そんなことに純粋に興味があって、ここまで続けることができています。
ーーにしじーさんは普段からたくさんの本を読まれると思うんですが、にしじーさんにとって本ってどんな存在なんでしょう?
にしじーさん:僕は、本って旅みたいなものだと思うんです。
自分が普段会えない人に、本を通じて会いに行ける。それは時代が違っても、タイムマシンのように本を通じて、その人の言葉を聞けるんです。
タイムマシンとどこでもドア。そんなドラえもんの秘密道具のような存在が、僕にとっての本ですね。
「わたしの一歩」を踏み出すときに触れたいもの
にしじーさん:僕の触れたいものは、長田弘さんの「深呼吸の必要」 という一冊です。
この本のなかに「散歩」という詩があって、“簡単なものほど難しいことはない”という一節があるんですが、僕は去年この言葉にすごく救われました。
歩くって、どうしてもどこかへ向かうための手段になりやすい。だけど、ただただ散歩を目的とする時間を過ごせたら 、それってすごく心が豊かになるよなって。
今も、人も、自分自身も、手段化せずにそれ自身が目的になるところを見つけていきたい。
僕が一歩踏み出すとき、この本の言葉は大切にしています。
ーーありがとうございました。最後に、今なにか一歩を踏み出せずにいる方に対し、にしじーさんからメッセージをお願いします。
にしじーさん:僕たちは日々がんばりすぎて、自分のうまくいかない部分に、つい目がいってしまうと思うんです。
だけど本当は、今もなにかしらの一歩を踏み出していて、成長している部分がきっとあるはず。
だから、そんな自分のいいところを一つでも見つけて、自分を認めたり、大切にする時間を作っていってほしいですね。
それが結果として、周りの人も幸せにするんじゃないかな。僕は、そう思うんです。
編集後記
今回にしじーさんのお話を聞いて、私は「ゆっくり、いそげ〜カフェからはじめる人を手段化しない経済〜」という一冊を思い出しました。貨幣経済のなかで繰り広げられる「お金」を介した価値交換のなかに、「その人」という人格があることを忘れず、相手の暮らしや心という背景に心を寄せながら日々を過ごすことは、一見とても当たり前のことのように感じます。しかし私たちは、大事なことほどすぐに忘れてしまうのもまた事実。私は今回のにしじーさんのお話を通して、新しい一歩を踏み出したにしじーさんが、忙しい日々のなかで大事にしている日常の鱗片に触れることができ、そんな大事なものを思い出すきっかけをもらいました。にしじーさん、お話を聞かせていただき本当にありがとうございました。
執筆:蓑口あずさ https://twitter.com/azusanpo11
写真:長田 涼 https://www.instagram.com/nagata.ryo/
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