私たちの“はたらく”を問い続ける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」では、サロンメンバーが踏み出したさまざまな一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
今回のお相手は、ライターの三浦希さん。フリーランスのライターやモデルとして活動されていて、Wasei Salonが誕生した当初からのコミュニティメンバーです。コミュニティ内での発信量はメンバー随一の三浦さんに、仕事や人間関係、そしてなかなか聞くことがない人生哲学について一から聞いてきました。
今回の取材の舞台となったのは、大阪都島の居酒屋「酒の大丸」さん。東京在住の三浦さんのご希望で、あえて大阪で、そして居酒屋で、おいしいお酒と料理をつまみにインタビューを実施しました。居酒屋のテーブル席でお酒を飲みながら一緒に話を聞いているテンションで、ぜひ最後まで読んでみてください。
文章も服も、人の表現に関わるために
ーーようこそ関西へ!三浦さんとこうやって飲みながら、インタビューできることを楽しみにしていました。
こちらこそ、今日はよろしくお願いします!飲みすぎないようにしよう(笑)。
ーー間違いないです(笑)。では早速ですが、改めて三浦さんのご職業について教えてください。
ライターをずっとやっています。時々モデルの仕事もしていますが、数年前にノリで坊主にしてから、モデルの仕事は一気に減ってしまいました。今は9割以上、文章を書く仕事が中心です。
ーーライターのお仕事は、どのようなきっかけで始められたのですか?
大学生のときに、卒業後に入りたいと思っていた会社があったんです。その会社が運営していたブログサービスに面白い文章を書き続けていれば、目に留まるのではないかと思い、ずっとブログを書いていました。HOUYHNHNM(フイナム)というファッションメディアです。
そうしていると、大学4年の春ごろに、憧れていたフイナムの編集者の方から声をかけていただき、実際にお会いする機会がありました。「やっぱりフイナムに入りたいんです」とお伝えしたら、「編集部のメンバーにも話してみるよ」と言っていただけて。卒業後に上京したのですが、正式な募集は秋からだったため、それまではアパレルの倉庫でアルバイトをしていました。そして秋から、その会社でライターデビューしました。
ーー念願の会社でデビューされたんですね。少し意地悪な質問かもしれませんが、生成AIの台頭についてどうお考えですか?AIにライターの仕事が奪われるという話もありますよね。
最近よく耳にするテーマですね。AIに仕事を奪われるからといってライターを辞める人が増えたら、自分としては正直ありがたいと思ってしまいます。プレイヤーが減るので。
というのも、自分はライターとしての腕に自信を持っているんです。大げさではなく、AIには書けない文章が自分には書けると自負しています。もちろん、きれいな文章を書くことに関してはAIも得意かもしれません。でもライターという仕事は、単に文章を書くことだけが仕事ではないんですよね。
「取材」という言葉を使いますが、要は材料を集めることが大切で、特にインタビュー記事のように対象が人である場合は、対話の中で臨機応変に相手から素材を引き出すことが求められます。
それには相手との関係づくりが不可欠であり、その点ではやはり生身の人間である自分のほうが優れているのだろうなぁ、と。そうやって集めたオリジナリティのある素材から、書き手の個性が滲み出る文章をつくることができると思っています。
ーーご自身の文章に自信を持たれるようになったのは、いつ頃からだったのでしょうか?
会社員として編集の仕事をしていた頃、ベテランの外部ライターの方が書いた原稿に対して、「このメディアに掲載するならこう直したほうがいい」と思って、かなり多くの赤字を入れて返したことがあったんです。すると、そのライターの方から「あなたとはもう仕事をしたくありません」と言われました。理由を伺うと、「こんなに赤入れされたのは初めてだ」とのこと。
そこでハッキリと自信がつきました。自分で全部書けるな、と。もともとライター出身だったので、書ける編集者である自負はあったのですが、「じゃああなたが全部書けばいいじゃないですか」というスタンスで来られたことで、逆に開き直れたんですよね。相手が経験豊富なベテランさんだったので、余計に。
今でも自分の原稿を見返すとき、「自分って文章うまいな」とニヤニヤしています。AIの台頭など、外部の要因に関係なく、これからもずっとライターを続けられたらと思っています。
ーー素晴らしいです。三浦さんは人の服のコーディネートを考える「服屋三浦」という取り組みもされていて、ファッションのイメージも強いです。ファッション関連のお仕事に関してはいかがでしょうか?
特に明確な計画があるわけではないのですが、文章と同じように、きっと一生関わっていくんだろうなと感じています。服が好きなんです。
俺にとって服は、一種のメディア。着る人を媒介するものと捉えています。服そのものももちろん好きですが、それを着ている「人」に興味があるんです。服を通じて、その人が実現したいことや、なりたい姿を見ることができる、それが本当に面白い。
そこにはライターの仕事にも通じる部分があって。例えばインタビューでは「どんな仕事をしているか」「どんなことが好きか」といったことをお聞きするのですが、その答えは最終的に「どうなりたいか」という話につながっていきます。自分がそれを引き出し、文章が媒介する。
だからこそ、「ライターも服もずっとやっていきたいか?」と聞かれたら、「はい」と答えます。人が好きだし、その人が目指す表現にこれからも関わり続けていきたいです。
人の表現を誰も貶さず、肯定する世界
ーー人の表現を手助けしたい、という想いが伝わってきます。ただ、なぜそこまで「人と関わること」にこだわりがあるんですか?
服を通じて自分自身を表現することがとても楽しかったから、ですね。「こんなふうに服を通じて自分のことを表現できるんだ」と思えた喜びがありましたし、それを誰かに褒めてもらえたことも大きな経験でした。
その体験が根っこにあるからこそ、他の人にもそれを味わってほしいと思っているんです。自分が関わったことで、相手の想いや喜びが増幅されるなら、自分が生きている意味があると思える。そして、それを話してくれた相手にも、存在の意味が与えられる気がするんです。
「自分はこう」ではなく、「あなたが話したいことを、素直に話してくれればいい」というスタンスを日頃から大切にしています。
ーー何か具体的な原体験があったのでしょうか?
中学生の頃、剣道部の先輩にフミノリくんという方がいました。ある日、彼が俺にエアジョーダンをくれたんです。「希に似合いそうだから」と言って。
当時の俺はまだファッションにそれほど興味がなかったのですが、そのスニーカーを履いて、隣町のデパートまで服を買いに行きました。そして、そこで買ったミッキーマウスのリンガーTシャツを着て、フミノリくんに会いに行ったんです。すると、「超かっこいいじゃん、似合ってるよ」と褒めてくれて。
そのとき、「服を着て自分を表現することで、誰かから褒められるってこんなに嬉しいんだ」と初めて実感しました。今思えば、緑のミッキーのTシャツに白いスニーカーという組み合わせは、全然合っていなかったかもしれません。でも、誰も貶さない世界があるんだと知って、ものすごく感動したんです。
もともとお母さんも、そういった感覚を大事にしてくれる人でした。俺が真っ赤なTシャツに、真っ赤なジャージ、そして真っ赤なナイキ・コルテッツを履いて学校に行こうとしたときも、「どうしたの?」「何か今日あるの?」と尋ねたうえで、結局そのまま送り出してくれたんです。ファッションを通じて、誰のことも傷つけず、むしろその表現を肯定してくれる。そんな体験をしたことが、自分にとってはとても大きかったのだと思います。
ーーその原体験が今の三浦さんを作っているのですね。たしかに三浦さんが誰かを否定したり、攻撃したりする姿はほとんど見たことがありません。人と揉めたり、ケンカになったことはあるのでしょうか?
たしかにあまりないほうかもしれませんが、さすがに何度かはあります。印象に残っているのは、昔とあるたこ焼き屋さんでアルバイトをしていたときのことです。たこ焼きを焼いたり、お酒を作ったりしていたのですが、ある日、酔っ払ったおじさんに絡まれたことがありました。
「お前、何やってんの?」とか、「仕事してるの?このバイトだけ?」と聞かれたので、「いえ、違います。フリーでライターをやっていて…」とお話ししたんです。まだライターを始めて5年も経っていない頃でした。
するとその方が、「へぇ、ライターやってるのか。お前が書いた文章、読ませてよ」と言ってきたんです。「あ、読んでくれるんだ」と思いましたが、「これは嫌なパターンだな」とも感じていました。でもその場の流れでスマホでインタビュー記事を見せたんです。
酔っ払っていたおじさんは、記事を読みながら「いや、全然面白くねぇな」と言ったんです。それを聞いて、本当に腹が立ちました。「なんなんだこの人?」と。そのくせ「テキーラ飲めよ」と言ってきて、全然嬉しくない酒が積み重なっていって…最終的には「お前、ちょっと表に出ろよ」と言ってしまいました(笑)。
ーー「表に出ろよ」って、リアルで言う人がいるんですね(笑)。
あれが最初で最後です(笑)。でも本当に腹が立ったんですよね。結局、たまたまお店の前を通りかかった友人が間に入ってくれて、大事には至りませんでした。
自分自身が馬鹿にされるのは我慢できるのですが、そのときに見せた文章って、クライアントが「これいいですね」と言ってくださって世に出た記事なんです。つまり、俺とクライアント、両方の想いが込められたものでした。それを「面白くない」と一蹴されたとき、クライアントまで馬鹿にされたような気がして、本当に悔しくて。
でも後から考えると、大人げなかったとも思います。それ以降は、どれだけ何かを言われたとしても、絶対に反撃しないようにと決めています。
ーー怒った理由も三浦さんらしいです。
「小さく、色の濃い歯車」でありたい
ーーWasei Salonについて教えてください。三浦さんはWasei Salon内でたくさん発信したり、いろんなメンバーとコミュニケーションを積極的にとっていて、とても楽しんで活動しているように思います。僕も三浦さんがきっかけで入会したうちの一人なのですが、三浦さんにとってWasei Salonはどのような場所なんですか?
とても大切な場所です。俺はWasei Salonに救われたと感じています。だからこそ、恩返しをしたいと常に思っていますし、メンバーの皆さんが心から居心地よく過ごせるコミュニティにしていきたいと考えています。
ーーなぜそこまで思えるのでしょうか。
Wasei Salonが今のように大人数になる前、初期の20人ほどでたまに集まって話していた頃、あの場が精神的な支えになっていました。その時に出会った人たちは、今の人生においても大きな意味を持っています。ライターとして駆け出しだった頃、鳥井さんがTwitterの固定ツイートで、同郷の人間として俺を紹介してくれたりもして。「救ってもらった」という気持ちが、とても強くあります。
そして、2年ほど前にWasei Salonに戻ってきたのですが、良くも悪くも「ちゃんとしなくてはいけない場所」になってきているように感じたんですよね。「私たちの”はたらく”を問い続ける」といったテーマは、もちろん素晴らしいもの。ただ、例えば二日酔いの朝などには、そういった文章は読む気になれない時もあります。
Wasei Salonが、仕事以外でも「ちゃんとしなくてはいけない場所」になってしまったら、いずれメンバーが疲れてしまうのではないかと感じていて。だからこそ、その堅さの中に柔らかさをつくりたいと考えています。
運営の皆さんがメンバーのために一生懸命頑張ってくれていますが、大きな歯車だけでは物事はうまく回りません。その隙間に、小さな歯車がたくさんあって初めて、全体がスムーズに動きます。その小さな歯車がなければ、場そのものが停滞してしまう。だからこそ俺は、Wasei Salonにおいて「小さくて、色の濃い歯車」でありたい。
ーーそういう想いがあったんですね。もし10日後にWasei Salonが解散してなくなります、ってなったら、三浦さんはどのように行動しますか?
10日後というのが、妙にリアルだなぁ(笑)。
まずは鳥井さんに連絡します。長田くんや若月くんへの連絡もするはず。そして、もちろん解散の理由はお聞きしますが、同時にサロン運営のスキームをすべて落とし込んでもらう。
そして翌日から、何事もなかったかのように俺が運営をする。それほどまでに、Wasei Salonを続けていきたいという気持ちは強いです。
誰かを幸せにするために生きていく
ーーこれも仁義と人情の話ですよね。一度出会った人、そして大事にしたいと思った人や場所に対して、想い続けて貢献する。それぞれのエピソードに三浦さんらしさが滲み出てる気がします。
数年前、お父さんを病室で看取ったとき、最後の言葉として「お母さんのこと、頼むな」と俺に言ってくれました。最後の最後まで、お父さんはお母さんのことを思いやっていたのです。
俺は長男で東京に住んでいる。足の悪いお母さんが北海道の実家で一人になる状況において、お父さんはずっとお母さんを気遣い、面倒を見てきました。車椅子でも乗れるようにプリウスの助手席をカスタムしていたり、バイクと車のナンバープレートもお母さんの名前から取っていたりしました。
そんなにもお母さんのことを思い続けていたお父さんが、自分の身体も辛いはずなのに、最後は俺に「お母さんのこと頼むな」と言ってくれた。
そのとき俺は、「ああ、お父さんがお母さんに対して抱いていた恩を、今、自分が譲り受けたんだな」と感じました。つまり、お父さんが受け取っていた恩義を、俺がお母さんに返していく。それが俺の役目だと思いました。だからこそ、俺は毎月地元に帰ることを決めましたし、美味しいごはんにも連れていきますし、そのために仕事も頑張っています。
たまにお母さんは「私の財布から出してよ」と言いますが、それではだめ。お父さんが稼いだお金でやっていたことを、今は俺が引き継がなくてはいけない。
いつからこういう考え方になったのかはわかりませんが、やはり自分はお父さんから大きな影響を受けてきたのだと思います。というよりも、お父さんのような人間に、自分もなりたいと思っている。
お父さんの葬式には、多くの知人が参列してくれました。年齢的にも、参列者の方々はこういった場に慣れているはずなのに、皆さんがしっかりと涙を流していたのです。それは、お父さんが人生を通して信頼を積み重ねてきた証なのだと感じました。俺も、そういう死に方をしたいと思っています。
ーー三浦さんって普段、何を考えて生きていらっしゃるんですか?すごく突飛な質問かもしれませんが、いろいろとお話を聞く中でとても興味が湧きました。
うーーん、なんだろう。妻であるめぐちゃんと、お母さん、そしてめぐちゃんのお母さんが、気持ちよく生活できることを常に考えています。仕事はあくまでそのための手段にすぎません。もちろんライターという仕事は大好きですが、彼女たちが心地よく暮らせるなら、仕事の内容は何でもいい。
「普段何を考えて生きているか?」という問いを、俺は「誰を幸せにするために生きているか?」という問いに置き換えて考えます。仕事でいえば、それはクライアントになりますし、それ以外では家族や大切な友達です。
極端な言い方をすると、俺は「誰かを幸せにするために生きている」と思っています。そしてその「誰か」の中には、もちろん自分自身も含まれる。
Wasei Salonのメンバーは、その中でも家族に近い存在だと感じています。初期メンバー21人の中でたくさんの愛情を注いでもらってきました。今どれだけ人数が増えようが、Wasei Salonのおかげで今の自分があることに変わりはありません。
ーーありがとうございます。最後に、これまであまり触れられなかった未来について教えてください。今後、どのように生きていきたいとお考えですか?
これからも、家族や友人を大切にして、恩返しをしながら生きていきたいと思っています。本当に、それに尽きます。
よく「ライターとしての展望は?」「モデルとしての今後は?」「ファッションをどう仕事にしていくのか?」と聞かれるのですが、仕事の文脈で言えば、今の延長線上を歩んでいくつもりです。
文章やファッションを通して、「自分は何者でもないのでは」と感じている人に、スポットライトを当てていきたいと思っています。俺自身がそうだったから。鳥井さんをはじめ、いろいろな人が俺に光を当ててくれたおかげで、ここまでやってこれた。
俺は自分のことが好きすぎるので、相手のことを自分の中に取り込んで考えてしまうんです。自分の中に相手が一体化しているような感覚があるからこそ、相手が不幸になるのは絶対に嫌。これからも、関わってくれる人たちと一緒に、幸せに暮らしていけるような生き方をしていきたいです。
編集後記
インタビューでたくさん出てきた「義理」や「人情」といったワード。古風に聞こえるかもしれませんが、日頃から人間関係を大事にする三浦さんの口から語られると、強く響きました。人との関係性を大事にし、自分の感情だけでなく、他の人の気持ちもまるごと引き受ける。ライターとしての矜持だけでなく、三浦さんの人としての強さと優しさを感じました。
三浦希という人間の根底に少しだけ触れた気がして、筆者自身も今後の人生で「こういう風に人と関わっていきたい」と思いながら、お酒をたくさん飲みすぎてしまいました。
取材・執筆:徳永滋之
写真:山瀬 龍一
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