私たちの“はたらく”を問いつづける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」。この企画では、サロンメンバーが踏み出した一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
今回のお相手は、『浪漫と科学で一隅を照らす』をテーマに掲げ、ヘルスケア・ウェルビーイング領域のアプローチを通じて健康・幸福・自由を叶える『株式会社HILUCO』代表・田代雄斗さん(以下、ゆうとさん)です。
Wasei Salonメンバーとして、身体にまつわるさまざまな発信を続けているゆうとさん。自らの身体について一度立ち止まって考えることの豊かさや、身体を通じて「幸福であること」を問い、そのチャレンジを積極的におこなっています。
今回は、そんなゆうとさんがこれまで歩み続けてきた「わたしの一歩」について、お話を伺いました。クライアントにとってのヘルシーな状態、いわば「あなたの一歩」を真摯に支え続ける彼は、ご自身としてどんな一歩一歩を踏みしめてきたのか。そして、これからどんな歩みを進めていくのか。ぜひお楽しみください。
自らの「やりたい」と、社会にとっての「必要」を両立させる
ーー ゆうとさんとお話できること、すごく楽しみでした。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。僕もとっても楽しみにしていました。
ーー Wasei Salonのブログ にも書いてくださっていたように、2019年に起業され、今年(2025年3月)で7期目。会社を立ち上げるまでの歩みについて、まずは教えてください。
起業については、細かい事業計画ありきで進もうと考えていたわけではなく、長期的に見据えた時に、起業するなら「どうせ失敗するだろうから」という気持ちが強かったように思います。
ーー 「どうせ失敗するだろうから」ですか。かなりユニークな心持ちですよね。
それは、もちろん「会社は潰れるだろうから」といったネガティブな思いではなくて。たとえば起業するのが仮に5年後、10年後だったとしても、社会環境は変わっているはずですし、その頃には経験も積み重なっているだろうけれど、おそらく自分の思い通りにいかないものだろう、というのがあったんですよ。
起業を考えたのは2017年ごろ、僕が大学院博士課程在籍中のことでしたが、その頃にちょうど結婚を見据えていたんですよね。結婚して、子供ができてから「起業」というリスクの高い挑戦をするよりも、きっと早めにやってみるほうが良いのかな、って。
ーー 具体的な内容としては、どんな事業内容を考えていたんですか?
そもそも僕は「理学療法士」を目指すための大学に通っていました。また、その頃にはボート競技をやっていたこともあり、ボート業界の「スポーツトレーナー」的な仕事がしたいと考えていたんですよ。ただ、ボート競技はかなりマイナーなスポーツなので、たとえば大学生のボート競技者に関わっているだけでは生活していけないことがわかっていたんですよね。競技人口がそもそも少ないこともあって。言ってしまえば、社会人の実業団に関わったり、日本代表選手たちに関わることでしか、仕事としてやっていけないんです。
ーー 「スポーツトレーナー」の一本だけでは、生活していくことすら厳しい、と。
実際にスポーツトレーナーとして活動している方々の様子を見ていても、やはり他の仕事を掛け持ちしながら活動している方ばかりでした。そこで、ふと立ち止まって考えてみるわけです。「自分はこれから何をしていけばいいんだろう?」と。
ーー 新たな問いが生まれたんですね。
まさにそうですね。そこで改めて考えたのは「自分がやりたいことってなんだろう?」ではなく、「社会にとって必要なことってなんだろう?」というものでした。
僕が学んでいた医療、介護、福祉の領域は、それこそ「スポーツトレーナー」の世界もそうですが、社会の制度や制限の範囲内でおこなう活動が多く、古い体質が残っていたり、さまざまな新技術が出ているにもかかわらずスピード感が遅かったりするんですよね。現場で働いてる方々にも、疲弊している人が一部いるような気がして。
そこで今一度、効率良く「事業」にしていくことを考えました。資本主義の中で、企業としての成長を進めながらも、しっかりと現場課題を解決していくような動きをしていけたら、と。それこそが「自分がやりたいこと」と「社会にとって必要なこと」の両立なのだと考えています。
その具体策としては、2019年に『株式会社HILUCO 』を立ち上げ、身体・知的・精神障害のある方に対する生活・仕事・娯楽のサポートを主な事業としました。これまでに手がけたお仕事としては、認知機能のチェックとトレーニングができるWEBクラウドサービス『CogEvo(コグエボ) 』の事業サポートや、嗅覚・香り刺激を活用した業務用アロマディフューザーのレンタル×サブスクサービス『Laaveen(ラヴィーン) 』の事業サポートなどがあります。これらはまさしく「現場課題の解決」として、「社会にとって必要なこと」の実現であったように感じていますね。
ビジョンを伝えるだけでなく、より積極的に “問い” をつづけていく
ーー 「自分がやりたいこと」と「社会にとって必要なこと」。ボート競技とおなじく、左右のオールが噛み合った上での、起業だったんですね。「自分」と「社会」、両方の力を均等に合わせることで、前へ進んでいくことができる、というか。
綺麗に言えば、そうなりますね。そういうビジョンありきで会社を作り、なんだかんだそれまでには「理学療法士」の国家資格も取っており、大学では博士課程まで行って研究もしてきたし、在学中にもある程度の仕事をしてきました、と。いわゆる “専門性” は身についていたはず。その状態で「会社を作りました!」と言えば、なんとなくですが、それなりに仕事が来るだろうなぁと思っていたんです。
ーー だって、一生懸命やってきましたもんね。結果として、起業1年目はどうでしたか?
起業1年目は「何個の仕事をしたんだろう……?」と思ってしまうぐらい、ほんの少ししかありませんでしたね。一応プライベートの仕事としては、大学や専門学校で授業をさせてもらったり、個人向けの施術をしてみたり、そういう仕事は請けていたんですけどね。「ビジョンだけでは仕事にならないんだな……」と痛感したのが、1年目でした。
ーー 会社としての一歩目は、なかなか思うようにいかなかった、と。そこからの歩みとして、自身が改善したのはどんな部分だったのでしょうか?
「こういうビジョンがあって、こんなことができて……」と伝えるだけではなかなか立ち行かないことがわかったので、その後は特に「聞くこと」を意識していました。「何があなたの課題ですか?」であったり「今どんな感じですか?」であったり。
最初に見据えていた「医療、介護、福祉」の軸から大きく外れることなく、それらにまつわる人たちにとにかくたくさん会い、それぞれの話を聞き、関係を続けるなかで、深いところの悩みを聞く機会が出てくるものだと考えたんですよね。それらの悩みに対して、自分なりの解決法を考え、相手に共有する。それが相手にとっての「お金を払ってでも解決したい悩み」であった時に、ひとつの「仕事」になっていく。そんなふうにして、ひとつひとつの仕事が出来上がってきました。
ーー まずは、目の前の人が持っている悩みに対して、耳を傾ける。自らの「やりたい!」をベースにするのではなく、相手の「こうなったらいいのに」をベースに動くこと。
かなり極論っぽくなってしまいますが、僕らの仕事というのは、最終的に「無くなること」が理想だと思うんですよ。医療も介護も福祉も、「それをしないこと」が叶えられた時には、言ってしまえば「困っている人」がいない状態ですから。おそらくそうなることは無いけれど、心にいつも留めている考え方です。
もともと僕は「腰痛」にまつわる研究をしていたのですが、たとえば腰痛持ちの方に対して「痛いところないですか?」と聞いているうちに、それによって僕の仕事がどんどん増えていくとすれば、それは社会にとって本当に良いことなんだろうか、と。押し売りすればするほど、不調の人が増えていくことにもなりかねませんからね。
ーー その話、すごくおもしろいですね。「肩こり」の概念が夏目漱石の著書『門』にて生まれたがゆえに、肩の痛みに対して「肩こり」という名前がついてしまった、という話にも似ているような。ひとつの「誘導」にもなってしまいかねない、というか。
仕事において、決して「誘導」をしたくないなぁと思っていて。「伝えること」よりも「聞くこと」に重きを置いたのは事実ですが、その時、なるべくフラットかつオープンな質問を投げかけることを意識しています。そうすることによって立ち現れてきた相手の言葉を、より深く掘り下げていく。何も、最初に出てきた言葉だけがすべてではないんですよね。本当に重大なペインや困りごとは、言葉を尽くした後に出てくることだって、あると思います。
ーー 具体的な「質問」を用いることはあるにせよ、まずはひらけた「問い」を投げかけることですよね。
まさにそんな感覚ですね。Wasei Salonでの活動が自分に良い影響を与えてくれているような感覚も、とても強くあります。ちょっと話はズレますが、会社の他に、自身が作ったコミュニティとして「フリーランスセラピスト」というものがあって。
セラピストのなかには、積極的に副業をやっていきたい方々や、独立志向を持った方々などもいるんですよね。そういった方々にお力添えをいただいたり、お仕事をご依頼させてもらうために、いわば “縦型” の特徴を持つ「会社」と、“横型(つながり)” の特徴を持つ「コミュニティ」を両立しているような感覚です。後者のコミュニティについては、正直、会社の収益には全然なりません。ただ、メンバーの方々(セラピストたち)が自立し、安定した暮らしをつづけていけることこそが、僕にとってのうれしいことなんです。
たとえ自分がいなくなったとしても、“文化観” の火を絶やさずに
ーー会社と、コミュニティ。そして、家族のなかの “ゆうとさん” という、個人。少しばかり抽象的な問いになってしまいますが、それらに共通するものは何かあるのでしょうか?
一人の人間が持つ頭では、限界があるはずなんですよね。そういう意味でも、僕が「会社」としているのは、会社自体が持つ “遺伝子” みたいなものが、出会う人々によって末長く残っていくことを望んでいるからだと思っています。
いつか自分が死んでしまったとしても、なんとなくでもその “文化観” のようなものが残ったまま、はたらき自体は生きつづけていくこと。たとえ僕がいなくなったとしても、価値がしっかりと保たれ、残りつづけていくこと。たとえるなら、きっとそれは、子どもを生み育てていくような感覚にも近いのだと思っていて。
ーー 会社も、コミュニティも、もちろん家族も。子どもを育て、意思と価値を残していくこと。
そうですね。大それたことはあまり言いたくないけれど、やはり、そういった感覚が強くあるように思います。「僕らの仕事というのは、最終的に “無くなること” が理想だと思う」と話しましたが、まさしくそれと同じですね。
もしも課題が無くなるのならば、僕自身がいなくなるのならば、それでもいいと思っているんです。それによって、みなさんの暮らしの豊かさが、僕の意思や想いが、等身大な形で叶えられていくのなら。最初に話した通り、本来の意味での「ウェルビーイング」はきっと、「自分がやりたいこと」と「社会にとって必要なこと」の両立から生まれるものだと思いますからね。
取材・執筆:三浦 希
写真:山瀬 龍一
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