私たちの“はたらく”を問いつづける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」。この企画では、サロンメンバーが踏み出した一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
今回のお相手は、長野県伊那谷エリアで1日1組限定の一棟貸し宿泊施設「nagare」を運営している石川 景規さんです。
宿泊事業を始める前、石川さんは5年半勤めた銀行員を辞め、妻の石川妙子さんと世界一周の旅に出かけたのだそう。その旅の中で宿泊したひとつの宿が、「nagare」をつくる背景に大きく関わっているといいます。
枯れたいちょうの葉が車のフロントガラスの上を流れ、もうすぐ紅葉が終わりを迎える11月末頃。石川さんの「これまで」と「これからの一歩」を伺うため、長野県上伊那郡中川村にある一棟貸しvilla「nagare」へ向かいました。
旅に出かけると何かしらのハプニングが起こると思いますが、やっぱり起きた……。高速道路で道を間違え、見られなかったはずの富士急ハイランド、その奥に聳え立つ富士山を拝めることができて、乗組員はこのハプニングに大喜び。
そんなこともあって、予定より到着が遅れてしまったのですが、石川さんはあたたかく出迎えてくれました。
villaの中へ足を踏み入れると、はやくも帰りたくない……と思ってしまうほど、心地よい空間が広がっていました。
各部屋をのぞきに行って戸棚を開けてみたり、整えられた布団にダイブしたり、「うちにも欲しい〜」とラウンジチェアで寛いだりして、はしゃがずにはいられません。
さらに薪ストーブまで付いていて、火を眺めているうちに、なんだか心が落ち着いてくる。
そうして場があたたまったところで、石川さんへのインタビューが始まりました。
石川 景規(いしかわ・けいき)
東京都中野区出身。5年半勤めた地方銀行を退職後、妻の石川妙子さんと共に500日掛けて世界一周の旅に出る。帰国後、2017年8月長野県飯島町に移住。古民家のリノベーションを始め、2020年7月に一棟貸し古民家宿「nagare」、2023年5月に一棟貸しvilla「nagare」を開業。2025年4月には3号店を開業予定。
リスクのない人生を望んでいたはずが……
——石川さんは、元々事業に興味のある方だったんですか?
いや、実はそういうわけでもないんです。僕の父は自営業をしていました。バブルが弾けたあと、事業を続けることに苦労していた父を小さい頃から見ていたので、お金を借りて個人で事業を始めることは、リスクの塊にしか思えなかったんです。
リスクのあることはしたくなかったけれど、父のように自営業をしている人の手助けはしたかったので、大学時代はファイナンシャルプランナーなどの金融系の資格をとって、転勤のない地方銀行ばかりを受けていました。
その後、無事内定も決まって一安心したとき、働く前に海外でも行ってみようと思い立ったんです。そこから歯車がおかしくなっちゃったというか。
——どうおかしくなったのですか?
海外へ行ったことによって、自分の知らなかった生き方や環境に触れたり、自分と同じ年齢で旅に出ている日本人に出会ったりして、当たり前に思っていた基準が覆された。むしろ自分がマイノリティだったことに気付いたんです。
帰国後、さらに色んな世界を見てみたくなったので、海外や全国各地へ出張のある会社に就職し直したいと考えもしたんですが……
既に就職した会社の内定式の日にちも決まっていましたし、今更変えられないと思って、結局レールに乗っかったまま進んじゃいました。
——なるほど……旅をしたときの感覚が、就職したあとも忘れられなかった。
そうですね。もっと早く旅をしていたら、地方銀行には就職していなかったと思います。
働き始めてもその思いは変わらず、毎年夏休みになると海外へ行っていました。モンゴルやインドに行ったりと……旅に出れたのはよかったのですが、働きながらだと定年を迎えても行きたい国を巡り切れないなって。
——だから、世界一周に。
そうですね。毎年夏休みに海外へ行って、楽しい思い出を作ったあとに、決算書と睨めっこするような仕事に戻ることを繰り返していたんですよ。今しかできないことをもっとやりたい、と思いが募って。
ただ、世界一周に行ってみたいとは思いつつ、自分ひとりではその決断ができなかった。自分で選択することが怖かったんです。
何か打開策はないかと様々なイベントに参加していました。そのときに受講した旅に関する写真のワークショップで妻と出会って。
一緒に話しているうちに、彼女も銀行勤めで、旅好きという、僕と同じ共通点があるとわかったので、僕が「世界一周に行きたいんだよね」と伝えてみたんです。そしたら「行っちゃえばいいじゃん」って何の気なしに彼女は答えて(笑)。
それから27歳のときに、僕と妻ふたりとも銀行員を辞めて世界一周の旅へ行くことになりました。
——ひとりでは怖いなあって思っていたときに、妙子さんの一声が背中を押した感じだったのでしょうか?
そうですね。
——それまでは恐怖の方が勝っていた。
それまでというより、今でも新しい挑戦をするときに、僕は必ず不安になるんですよ。なので、いつも妻に相談して意見を聞いています(笑)。
いいときは、「いいからやりなさい」と背中を押してくれるし、ダメなときは、「それは違うんじゃない?」とはっきり言ってくれる。妻は僕と違って肝が据わっているんです。
——石川さんにとって妙子さんはどんな存在なんですか?
妻のおかげで挑戦できる幅が広がったし、妻がいなかったら、銀行員を辞められずに、ずっと働いていたと思います……絶対に。
僕たちは違う生き物なので喧嘩することも多いですが、それでも向いている方角は同じというか。実際、妻がどう思っているかわからないですが(笑)、僕はめちゃめちゃいいパートナーだと思っています。
——決断のときはいつも……
だいたい妻がいます。はい(笑)。
目的意識を傍に置き、”もののあわれ”を感じる日々
——おふたりで500日掛けて世界一周の旅に行かれたんですよね。グアテマラが印象に残っているとか。
旅を始めた頃は、心が喜ぶことをするよりも、この観光地を巡らないといけない、その土地特有の体験をしなければ……みたいな目的意識を持ち続けてしまっていたんです。
世界一周するからには、ウユニ塩湖の鏡張りを見ることができる雨季に行かなきゃ、みたいな。今思うと、無意識に会社のノルマを追いかけるのと似たような形になっていましたね。
でも観光地があまりないグアテマラを訪れたとき、その目的意識を一旦傍に置いておくことができたんです。
——強かった目的意識から離れることができた。グアテマラではどのような生活をされていたんですか?
先のことは考えず、毎朝起きて、コーヒーを入れて、本を読んで、メルカド(市場)へ行って、肉を買って、切って焼いて食べるような、特別なことを何もしない生活を1ヶ月間送っていました。
——特別なことを何もしない生活……?
僕たちが泊まったのは「casa de nagare(ナガレの家)」という日本人とメキシコ人のご夫婦が営んでいる宿でした。6組しか泊まれない宿だったので、僕たちが初めて訪れたときは、部屋が全て埋まっていたんです。空き状況を繰り返し確認してみても、部屋が空く様子は見られなかった。
それくらい予約の取れない人気の宿なんです。仕方ないから別の宿にしようとしたとき、部屋が空いたと連絡が来て。
(石川さん提供)
宿にはオーナーであるメキシコ人のご夫婦と、そのお子さん、日本人の旅人が泊まっていました。既に彼らは仲が良くて、僕たちはそこに混ぜてもらったんです。
いい大人が何してるんだって感じかもしれませんが、僕たち含めて、30歳前後の人たちが、一緒に料理をして、夜はお酒を飲んで、UNOみたいなローカルゲームをするんですよ。
——この宿のことがとても気になったんですが、ここで過ごした1ヶ月は、石川さんにとってどんな時間でしたか?
う〜ん、どんな時間だったかなあ。
それぞれが限られた時間のなかで、自由になるために、その場を精一杯味わおうとしていたんですよね。
もののあわれ……というか。
——もののあわれ。
言われてみて思い出しましたが、「casa de nagare」でのコミュニティが、僕たちの人生において「大切な関係性を築いた時間」でした。1ヶ月間も一緒に時間を過ごしていると、あまり人に話さないような想いを自然と話すようになって。
いつの間にか宿にいた人たちと深い関係性が築かれていったんです。これが2日間だったら、そうはならなかったと思います。
——……家族みたいな。
それに近かったのかもしれないです。
他にも色んな宿に泊まりましたが、今でも継続してお付き合いしているのは、「casa de nagare」で一緒に過ごした人たちぐらいなんです。
僕たちが飯島町に移住したあと、隣の村に移住して、1号店の古民家のリノベーションを手伝ってくれる人も中にはいました。
不思議ですよね。
——不思議ですね……。「nagare」のHPに書かれてあったように「立ち止まること」を大切にされている印象を受けたのですが、石川さんにとって「立ち止まる」ってどういうことなんでしょうか?
旅の最中に、「世界一周の旅が終わったら、どうやって生きていこうか?」と悩んでいました。でも「casa de nagare」という場所で立ち止まったことで、一旦、忘れることができた。無責任になれる時間だったんです。
だからこそ、日本で宿泊事業を始めるときは、「casa de nagare」で過ごした時間のように、「人が抱えているものを少しでも忘れられる時間」になったらいいなと考えていました。
——「nagare」は「casa de nagare」で過ごした時間を表現している場所でもあるのですね。
あの宿で過ごせたから今の僕たちがいる。僕たちの宿の名前が「nagare」なのは、それが理由なんです。
石川さんが考える「豊かな暮らし」
——世界一周の旅から日本に帰って地方移住をするとき、最初に選んだのが飯島町だったと聞きました。移住先って迷うと思うのですが……
どちらかというと、ワクワクして移住先を選んだわけではなくて、目の前に提示されたものを掴んだにすぎなかったんですよね。
飯島町に移住したのは、その地域に友人がいたので遊びに行ったとき、町の役場で今の1号店である築100年の古民家を最初に紹介してもらったのがきっかけで。
——うん、うん。
世界一周の旅から帰って来て、お金がなかったので、働かなければ食べていけない。ましてや僕ひとりの生活だけではなく他にも守るべきものがあったので、もうやるしかないと思って、多額の借金までして事業を始めることに必死でした。
生活にゆとりのある状況だったら、補助金が出るといった好条件の制度がある地域や、いい物件を探し続けて、一生決まらなかったと思います。
——飯島町に移住して、宿泊事業を始めてみて、暮らしに関してどんな変化がありましたか?
はじめはグアテマラで経験した生活を実現させようとして、雑誌に書かれているような「オーガニックな暮らし」と結び付けてしまったんです。
移住した町には、機械を使わずに脱穀をしたり、干し柿を作ったり、手仕事をする方たちが多くいらっしゃたので、僕たちも見習って何かしら作ってみた時期がありました。
けれど、手仕事で作られたものじゃなくても、おいしいものは、おいしいって思ってしまって、僕たちには続けることができなかった。
——今の石川さんにとって、豊かな暮らしってどういうものなんでしょう?
なんなんでしょうね。概念的なお話になってしまうのですが、古民家で暮らすことや丁寧な暮らしを心掛けることではなく、「やってみたいことに挑戦し続けていること」が、豊かな暮らしだと思います。
——やってみたいことに挑戦し続けることが豊かな暮らし……。
だから宿を提供するときも、その時々でつくってみたい「暮らしの入口」を提供することが、僕たちには心地よかった。
——入口……どのような入り口なんでしょう?
たとえば、都心に住んでいる人が、田舎に住むイメージができて暮らしてみたいと思ったり、海外から来てくれた人も日本に移住して古民家を改修したら、おもしろいかもしれないと思ったり。
宿泊を通じて、何かを持ち帰ったり、自分たちの暮らしを考えたりするきっかけとしての入り口になったら、僕たちは嬉しいです。
実際に「私たちも外国で築100年の家に住んでいて、この宿にあるものを参考にしたいから泊まりに来た」という人もいました。
「観光地ではない場所」で「育てる宿」
——暮らしの入口をつくる上で、意識されていることはありますか?
多くの場合、宿泊事業は宿泊機能を売る商売だと思いますが、僕たちは「機能を売るというより、体験から価値を感じてもらえる」施設にしたいんです。
世界一周の旅をしたとき、サービスが充実している星の付いたホテルにも、何箇所か泊まったのですが、僕たちはそこに豊かさを感じられなくて……グアテマラでの生活のように、自分たちの手の届く日常の生活を味わえるほうが幸福度が高かった。
そのような時間を作るためには、「観光地ではない場所で宿を営んだ方がいい」と思ったんです。僕たちが旅しているときもそうでしたが、観光地があると行きたくなってしまいますからね。
——日常の生活を味わってもらうために、観光地ではない場所で宿をつくり始めたんですね。宿で過ごす時間を楽しんでもらうために、場づくりで大事にしていることはありますか?
そこまで大層なことはしていないのですが、お客さんとの距離感を大事にしています。前に宿でプロポーズが行われることがあったんですよ。
予約の際に「彼女を驚かせたい」と連絡を頂いたので、宿泊の当日、お客さんがチェックインをして買い物へ行っている間に、僕たちは裏方として部屋を飾り付けて(笑)。
この場では、宿泊したおふたりが主役で、おふたりの時間を大切にしたいと思うので、僕たちはひたすら黒子に徹するというか。
もちろん、僕たちとの会話を楽しみたいお客さんもいらっしゃるので、そのときは会話をする時間を作っています。お客さんがどのような時間を期待するかによって、僕たちは臨機応変に対応するように心がけています。
——宿をつくって終わりにするんじゃなくて、時間をかけて宿をつくり続けている印象があります。
1号店、2号店、どちらも「育てる感覚」なんですよね。
——育てる感覚。
ホテルだと、新しく建てられたときの価値が一番高く、そこから徐々に減価していく過程が一般的だと思います。ですが、僕たちはつくり始めたときこそ100点じゃなくても、そこから価値が上がっていくようなものをつくりたい。
設備やお客さんへの対応を改善していくことなど、自分たちなりに試行錯誤しながら、できる範囲で成長させていくような形を目指しています。
——この2号店のvillaもつくり続けているのですね。
はい、どんどん改善しています。1号店の古民家のほうも庭に手を入れたかったので、毎年小さな木や草花を買って、5年目のいま、ようやくいい感じに育ってきているんです。
外側から見ると、時間をかけ過ぎているのかもしれないけれど、僕たちは時間をかけないとできないので。そこに価値を感じてくれたお客さんに来てもらえたら嬉しいです。
——現在、3号店を新しくつくられているそうですね。
森の暮らしや森の住人について書いた、ヘンリー・デイヴィット・ソローの『森の生活』という本が好きで、次の宿はログハウスをリノベーションしています。
古民家やvillaとは違って、森の中に一人で暮らしたらどうなるんだろう、という世界観を僕たちの目線で表現してみたいんですよね。
——わあ、完成が楽しみです。つくりたい空間のアイディアみたいなものって、湧き出てくるものなんですか?
自分たちが暮らしたいと思える物件に出会えたら、ですね。でも不動産屋さんから、だいたい不思議な物件が紹介されるんです(笑)。
——(笑)。
とはいえ、予算がどれくらいかかるのか大体想像がつくようになったので、予算的に難しい物件や、自分たちが住みたいと思えないものは外しています。
新築の物件を借りることよりも、あるものを活かすことを大事にしたいと思っているので、誰も手を付けない、でも手を入れたらおもしろそうな物件に、思い切った投資をして施設をつくっています。
結局、新築の家が建つほどのお金がかかってしまうので、やる人は多くないのかもしれません。
5年間「nagare」をつくり続けたこの場所で、”未来”をみてしまった
——あらためて、この5年間を通して「nagare」をつくり続けてきて、今どんな景色が広がっていますか?
食べていくために必死に走っていたところから、今はこのエリアでどこまでできるのか試してみたいんです。
中川村は人口4600人ほどで、隣の1号店のある飯島町は人口が8500人。この2つの地域は観光地でもなければ、人口も減ってきていて。当初はこんな場所で宿をはじめて、人が来るんだろうかと気が気でなかったです。
それでも始めてみると、わざわざこの場所を目掛けて海外からも人がやって来た。自分たちが大事にしているものに価値を感じてくれる人がいるんだとわかったんです。
1号店、2号店、3号店、と3回も続けたら、だいたいの道筋がわかってくる。僕たちはここで未来が見えてきたんですよね。ようやく最近になって、今まで積み重ねてきたことは間違っていなかったと、思えるようになってきました。
——やってみたいと思うと同時に、恐怖心もあると思うのですが、それでもなおやり続ける石川さんの原動力は何なんでしょうか……?
う〜ん。やっぱり、挑戦できるってわかってしまったからだと思います。僕たちは経験もお金もないまま移住をして、何もないところから、だんだんと挑戦できることが増えてきた。でも挑戦できる可能性を残して終わろうとは思っていないんです。
その場でふんぞり返ったり、満足したりしてしまったら、それまでですから。あくまでも姿勢は低く、目線は高くすることを大事にしたい。
コロナ禍以降、全国的に一棟貸しの宿がかなり増えたと思うんですが、この地域でも毎年増え続けているんですよ。
——えぇ。
一棟貸しの宿を始めるために参考にしようと「nagare」へ宿泊に来る方々も実はたくさんいるんです。そうすると僕たちは、新しい景色を見に次の場所へ行ってみたくなってしまう。
またこの1年で僕たちを囲む環境がガラッと変化して。
——この1年で何が起きたんですか?
憧れの存在だった「石見銀山 群言堂」の松場夫婦とご縁を頂いてお会いすることができたんです。
実際に、島根県太田市にある石見銀山を訪れて「暮らす宿」に宿泊し、「群言堂」さんが積み上げられた時間の深みを肌で感じたことから、僕たちも大切にしたい価値観や時間を積み重ね、深みが出せるよう事業に向き合いたいと思いました。
他にも、ウェブメディア「灯台もと暮らし」を運営している鳥井さんからのアドバイスを実践してみたら、メディアに取り上げて頂けるようにもなって。
思いがけないパスを貰って、縁が繋がっていった1年でした。
——新たに縁が繋がっていき、これから新たに取り組もうとしていることはありますか?
これまでに出会ったかっこいい人たちが、自分で掲げたミッションに対して、リスクを取りながら人生を懸けて挑戦している背中を見て、僕たちも追いつけるよう頑張りたくて。
今はファミリービジネスに近い状態なのですが、この先は産業として人を雇用し、人口が一万人切っているこの町でも、持続可能な事業として成り立たせることを、自分たちのできる範囲でやっていきたいと思っています。
石見銀山の群言堂さんには及ばないけれど、他の地域に住む人たちが「いつか泊まりに行きたい!」と言ってもらえるように、一歩ずつ、これからできることをしていきたいです。
インタビューのあと、石川さんは山奥にある「ナチュラルワインとJIMIな料理 vita」さんに連れて行ってくださいました。
元々岐阜県大垣市でお店を構えていたご夫婦が、中川村に移住後、築150年の古民家を改装し、再度お店を始めたそう。
自家製の野菜や小麦やジビエを使った料理は、どれも悶絶するほどのおいしさ。あたたかく落ち着いた店内も相まってアフタートークが弾みました。
そうして夢見心地な1日が終わり、翌朝、リビングへ出ると、別世界に吸い込まれたように窓の外は濃霧が広がっていました。
その後、霧がだんだんと晴れ、雲の上から顔をのぞかせる中央アルプス。この光景には、しばらくの間、立ち止まって眺めずにはいられませんでした。
そこから昨夜コンビニで買って食べ損ねたアイスを、朝からみんなで食べた時間は、なんとも言えない思い出。
テーブルを囲み、静かでゆったりとした時間の流れと広大な自然を目の前にしてあてられたのか、無意識に繰り返し表れるテーマや、思わず出てきてしまった言葉たち。
石川さんが体験した「casa de nagare」での時間は、こんな感じだったのかな?と、これまでの余韻に浸りながら、行きに通った中川村の坂戸橋を渡り終わると、新しい物語が始まりそうな予感がしたのでした。
【nagare】
HP:https://nagare.cc/
Instagram:https://www.instagram.com/nagare_yado/
villa instagram:https://www.instagram.com/nagare_villa/
YouTube:https://www.youtube.com/@nagare_life
【石川 景規さん】
X:https://x.com/keiki_nagare
聞き手:小野寺 加奈
書き手:タオ
撮影:菊村 夏水
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