私たちの“はたらく”を問いつづける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」。この企画では、サロンメンバーが踏み出した一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
今回のお相手は、フリーランスのフォトグラファーとして精力的な活動を続け、2024年8月には自身初となる写真集『LALE』 を上梓した、土田凌さん。その時期は、日本とトルコとの外交関係が樹立されて100周年を迎えたタイミングだったのだそう。同作のタイトルを見るに、トルコの国花であるチューリップ(トルコ語でlale=ラーレ)を大々的に取り上げた写真集なのかと思えば、実は彼にとって、そうではなかったのだとか。
「“自分の意思のもとではない場所” で動く何かがあって、そういうものこそが、自分にとってはすごく大切なんです。今回の写真集も、自分の案ではなく、声をかけていただいて作ったもの。それで言えば、自分は “常に流れていること” を大切にしているのかもしれません」
にこやかな表情をたたえながら話す彼が、これまで踏みしめてきた大切な一歩一歩を、旧友の三浦 希(ライター)が探ります。
土田 凌(つちだ りょう)
1992年生まれ。エディトリアル、WEBを中心に、広告撮影やプライベートワークとしての作品づくりなど、さまざまなシーンを横断して活躍するフォトグラファー。2024年8月にはキャリア初となる写真集『LALE』 を上梓。
“知らない” からこそ進められた、あの頃の歩み
ーー こうして土田君にインタビューできるの、すごく嬉しいなぁ。
なんだか、ちょっとだけ恥ずかしいね。インタビューの写真を撮ることはあっても、インタビューを “される” ということは、あんまり無いからなぁ。今日はなんとなく、敬語で話すことにします。
ーー 僕もそうしようかな(笑)。それでは、本題に。そもそも、土田君がカメラマンを志したきっかけって、どんなものだったの? ……いや、どんなものだったのでしょうか?
敬語、いいねぇ(笑)。
話は少し遡りますが、大学生の頃に在籍していた学部が「政治経済学部」で、そこはマスコミ研究会だったりジャーナリスト志望の方々だったり、そういった学生が多かったんですよね。僕もその一人で、もともとは広告系の企業に就職しようとしていたんですよ。
ーー 広告系の、企業。それは「カメラマン」としてではなく……?
大学生の頃、「コピーライター養成講座」に通っていて。コピーライティングだったり、取材記事のライティングだったり、いま仕事にしている「撮る」ではなく「書く」の方に強い興味があったんですよね。その結果、大学卒業後に就職したのは、求人広告の制作会社でした。その会社では、もちろんコピーライティングもおこなっていたのですが、それと同時に、写真を撮ったりインタビューもしたり、それを記事にしたり……。
ーー ほとんどすべての工程を、自分でやるような形。
そうそう。その頃仕事にしたかった「書くこと」にも、また、今の仕事である「撮ること」にも、同時に触れられる環境でした。ただ、正直結構キツくて、半年ほども経たずに辞めてしまったんですけどね。
ーー そこで、カメラを通じた「撮ること」だけが残った、と。
会社こそ辞めてしまったものの、どうにかして自分が「作ること」で広告業界に生き残ることはできないか、と考えたんです。
ーー お話を聞く限りだと、そこで「書くこと」を選ぶ方がしっくりくるような気もしてきますが、選んだのは「撮ること」だったんですね。
書くことに関しては、正直、それでお金をもらえるようなレベルではないなぁと感じてしまって。その心は、今もまったく変わっていません。上手い文章を書くことは、自分にとってものすごく難しいことだなぁ、って。
ーー 写真に関しては、上手く撮れると思っていた?
それがまた、そういうことでもなくて。写真については「知らないこと」の方が多かった。だからこそ、無知だったからこそ、これまでやってこられたと思っています。
ーー おもしろいなぁ。「もっと知りたい!」という気持ちが強かったのでしょうか?
そうだなぁ、そうかもしれないね。キャリアを積み重ねてきた今でこそ、写真講座に通ったりもしているし。身の回りのフォトグラファーにお話を伺うようなことも、積極的にしていて。
僕自身が通ってきた「フォトグラファー」としてのキャリアは、言ってしまえば「基礎から学んできた」とは到底表せないものでした。仮に、キャリアスタートの段階でスタジオマンとして働いていて……といった、いわば “正統派” のような道のりだったら、ひょっとすると、写真のことがここまで好きじゃなかったかもしれないな、と思うんです。
ーー うん、うん。
写真のことを全然知らないまま、独学でアレコレ色々手探りでやってこられたのは、当時の自分にとっても、今の自分にとっても、きっと良いことだったんだろうなぁ、と。知らないから、自分でやってみること。それを経て、今があるんだろうなぁと感じます。
こと、仕事に関しては、目の前の物事に関する知識を断片的に取り込んできた経験があって。これまでには、カップルの写真だったり、個人のプロフィール写真だったり、ウェディングに建築の竣工写真、WEB記事や雑誌、広告にカタログなどさまざまなお仕事に携わってきました。その時々で、必要になる知識やスキルがそれぞれ違ったんですよね。
仮に “全体的” な学びからキャリアをスタートしていたら、おそらく今とはまるで違った自分になっていただろうな、って。
ーー キャリアの順序が、仮に違ったならば。そう考えるのって、結構おもしろいかも。
写真を仕事にし始めた頃は、全体的な学び(学校に通ったりスタジオマンとして働いたり)が無い状態だった。だからこそ今、写真講座を受けたりして、写真にまつわる “全体” を学ぼうとしているんですよね。ちょっと唐突かもしれないけれど、僕の好きなアメリカンフットボールの漫画『アイシールド21』に出てくるキャラクターが、とっても良い言葉を残していて。
ーー それは……?
『あるもんで最強の闘い方探ってくんだよ 一生な』という言葉ですね。ちょっと格好良すぎるかもしれないけど(笑)、すごく好きな言葉です。さまざまな業界のお仕事をしていくなかで、できることが増えていった実感はある。ただ、とはいえ僕らは、持っているカードの中でしか戦うことができない。そんなことを思いながら、ひとつひとつのお仕事に向き合っていますし、学ぶことも続けています。………漫画の話、ちょっと唐突だっただろうか。
ーー そんなこと、全然ないと思います。すごく素敵だったよ。
“これから長きにわたって写真を撮り続けていくこと、そこに必要なものについて、真っ先に考えた”
ーー 急に手のひらを返すようだけれど、ひとつ、あえて聞かせてください。全体的な事柄についての学びって、本当に必要なんだろうか。その時々に適したメソッドさえ手に入れられたら、それで十分なのでは……? と思ってしまうんです。それこそ、“あるもん” で闘っていくことは可能、というか。
2020年の4,5月、新型コロナウイルスの感染が流行した時期。あの頃、2ヶ月間で受注したお仕事が「1件のみ」でした。そのタイミングで、写真のことをもっとしっかり考えようと思ったんです。時間がすっかり空いてしまったから、写真のことをより真剣に見つめ直してみよう、と。
ーー その時の心境は、どうだった? かなり壮絶なものを想像してしまうのだけれど。
暇だったから、ずっと歩いてた。ずーっと。歩みの途中で、「目の前の仕事を得ないとまずいな……」ではなく、「長く写真をやっていきたいなぁ」と思いました。
ーー それは、かなり痺れるね。その時のことで焦るのではなく、未来を見ていたんだ。
そうだね。今、その時、目の前のものに対応した知識やメソッドを取り込み続けていくよりも、歴史のような、もっともっと時間的に長くて、芯のあるものを取り入れたいなぁと感じた。自分がこれから長きにわたって写真を撮り続けていくこと、そこに必要なものを真っ先に考えた。その時に、このカメラを買いました。
ライカのM9。それまでマニュアルでピントを合わせることさえしてこなかったので、すべてが今までと違って感じられたんです。
ーー 具体的には、どんなところが違った?
自分の手でピントを合わせているときに、ふと思ったのが「こういうところにもピントが合うんだな」ということでした。ファインダーを覗いたときに、たとえば三浦君を撮ろうとした際、ピントを合わせている最中に「あっ、今日持ってるバッグが素敵だなぁ」とか「腕のあたりにピントが合っている方が、自分が見た三浦君の印象に近いのかな」とか、そういうことを考えられて。「自分がいかに対象を見ていなかったか」が、そのときに初めてわかったんです。
ーー すごくおもしろい。気づきもしなかったことに、気がつくことだ。
初歩的な「見ること」が、これほどにできていなかったんだ、って。なんとなく落胆してしまうような心もあったし、同時に、先に続く道の長さにワクワクするような気持ちもあった。もっとやれることがあるんだ、と思った。だからこそ、このカメラを買ってからは特に、どんな時でもカメラを常に持ち歩くようになりました。
ーー プライベートで遊んでいるとき、土田君が話してくれたことの中で、僕、すごく好きなものがあってさ。それは「いつでも撮れるように、たとえばお店に入った際なんかには、ちゃんと明るさだったりシャッタースピードだったりの設定を事前にしておく」というもの。その考え自体も、ライカを買った頃、写真についての考えを新たにした頃、つまり2020年4,5月頃からだったんだね。
まさにそうだなぁ。近所のコンビニへ行く際にも、必ずカメラを持つようにしてるよ。「あっ」と思ったときに、パッと撮りたいから。“撮るべき瞬間” みたいなものを強く信じるわけではないにせよ、きっとそれは少なからず、確かに存在しているだろうなぁと思ってる。お仕事でも、個人的な作品でも。
それに、「撮って残しておけば、きっと後々になって、個人的におもしろみを見つけられるだろう」と感じて撮ることもある。そのためにはやっぱり、常にカメラを持っておくことが必要だろうなぁ、と。マニュアルフォーカスについてもほとんど知らなかった自分には、まだまだ勉強できることがあるし、ひょっとすると今が一番楽しいかもなぁ、とすら思うほどです。
我欲を薄めていく、そのさなかで
ーー 土田君って、どんなフォトグラファーになりたいんだろう。なんとなくだけれど、写真に対してはいつも、フレッシュなスタンスでいるのだろうなぁと感じる。土田君は、あの頃おぼろげにも思い浮かべていた「フォトグラファー」になれたんだろうか?
どんなフォトグラファーになりたい、かぁ。そういうのは、正直、無いんだよな。ひとつ挙げるとすれば、それは「“クライアントワーク” と “作品” の距離を近づけたい」ということかも。
ーー “クライアントワーク” と “作品” の、距離。
「土田凌」という人間自体が表舞台に出る必要性は、あまり無いと思う。それに「土田凌は◯◯◯のカメラマンだ!」と覚えてもらうことは、うれしい場合もあるけど、あまり積極的に自認したり宣言したりしないようにしていて。
またそもそも、写真そのもののことを考えると、自分の意思で「写した」のでなく、「写ってしまった」という事実がしばしば発生すること自体がすごく面白いなぁ、と。いや、ちょっと言葉にしづらいかも。実際に自分の意思をもって「写す」のだけれど、そこに「写ってしまう」ものもある、というか。
ーー 写真そのもののように、土田君自身も「◯◯になってしまう」の方がより好ましい、というのはある? 撮った写真たちのなかに、撮れてしまったものがあって、自分自身もそうありたい、とか。「自我」なんかがヒントになりそうだ。
逆説的かもしれないけど、自我はあまり持ちたくない。というか、薄めていきたいんです。もっと慣らしていきたい。思考が入り込むよりも先にパッと撮るような、色濃い自我が乗ったようなものではない、我欲の薄いもの。そういう写真を撮りたいし、自分自身も、そうありたいのかもしれないなぁ。
撮った写真を見返している際に「自分はこんなものを撮りたかったんだなぁ」と気づくことが、たびたびあるんですよね。それは写真集『LALE』の時も同じ。「どういう場所でも同じように撮れるようなものがいいな」と思っていた。あの写真集は「チューリップの写真集」でも「トルコのロード・トリップ・ピクチャーズ」でもなくて。意思が介在しないような写真たち。こうして説明するのも、ちょっと野暮だけれど。
ーー なるほどなぁ。すごくおもしろい。「すごくおもしろい」とばかり言ってしまうね。
それは、ひょっとすると、自分のキャリアそのものにも似ているのかもしれないなぁ、って。「◯◯になってしまう」といった感じ。自分の中で「いま、結構いいタイミングかもなぁ」と感じる瞬間って、ふと振り返ってみると、“自分の意思だけで動いていない時” だと思うんですよね。
「気持ちいい風吹いてるな〜」みたいな。「なんかゆらゆら流れてて心地よいな〜」とか。そういう “流れ” みたいなものがすごく大切だと思っていて。自分自身、流れの中に存在してはいるけれど、自ら舵取りをするわけじゃなく。他力本願と言ってしまえばそれまでなんだけど……(笑)。
「その水流の上で気持ちよく流れているためにどうするか」みたいなことは、いつも考えてる。我欲を鎮めるのでなく、慣らす。そして、自分が今いる場所で、気持ちよく流れる。これからずっと写真を撮り続けていく、そのためには、自分にとって “常に流れていること” がもっとも大切なのだろうなぁ、と。そう考えています。
取材・執筆:三浦 希
写真:菊村 夏水
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