私たちの“はたらく”を問いつづける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」。この企画では、サロンメンバーが踏み出した一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
今回のお相手は、WEB業界を軸に5つの会社で勤務経験がある八窪豊文(以下、はっちー)さん。はっちーさんは、今年3月の転職を通じて「これまで、自己実現を会社に託しすぎていた」と気づいたと話します。その言葉の背景を、彼の働き方の変遷を伺いながら紐解いていきます。
八窪 豊文(はちくぼ とよふみ)
1988年生まれ。愛知県出身、神奈川県在住。美術系大学(グラフィック専攻)を卒業し、WEBコンサルの会社やブランディングを主とする制作会社など、受託系のWEBにまつわる会社で勤務。今年3月にフォトブックなどのサービスの製造・販売を自社で手掛けるしまうまプリントに転職するとともに、ブランドづくりをサポートする個人の活動「八々(やや) 」を始める。
WEBを軸とした働き方の変遷
ーーはっちーさん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします。
久しぶりですね。よろしくお願いします。
ーーはっちーさんは今年3月に転職をされたばかりなんですね。最初にはっちーさんのこれまでの働き方と、今回の転職の背景をお聞きしたいです。
インタビューを受けるにあたって、これまでの働き方を振り返ってみたんです。そのなかで、一貫していたのは「自分の考えを持って、社会で実現している人になりたい」という想いでした。
子どもの頃から、周囲の物事や基準に違和感を覚えることが多かったからかもしれません。ずっと、そのモヤモヤを解消できずに過ごしていたのですが、美術系の大学を目指す予備校に通ったときに初めて「ここが自分の居場所だ」と思えた感覚があって。そこにいる生徒は周りの目を気にせずに、目を輝かせてものづくりに打ち込んでいました。そうした背景もあって美大に通うことになり、なんだかんだでこれまでずっとWEBの世界でものづくりに関わり続けています。
ーー美大では何を学ばれていたのですか?
グラフィックデザインです。ポスターやパッケージなどの平面的なデザインを学んでいました。その後、就職活動中にどうしたら自分のメッセージを込めて社会に関わっていけるかを考えたときに、憧れもあった広告やデザインの分野を選びました。そうして新卒でWEB領域のデザイナー、その次の二社目では広告業界のWEBや映像を制作する会社で働くことができました。
ーー順調なスタートを切られたんですね。
ただ、葛藤はありました。広告では実際の事実から誇張したり、見る人をすこし騙したりする側面もあったので、このものづくりにすこし疑問も持ち始めていました。たとえ業界内で権威のある賞を獲ったとしても、翌年には狭い業界から外の人は誰も覚えていなくて、同時に寂しさも感じていました。
もうすこし世の中のためになっている実感が得られる仕事をしたいと思い、3年間ほど働いたのちに直接お客さんとやり取りをしながらクリエイティブを制作するWEBの会社に転職しました。その働き方の変化はものすごく転機だったというか、こういう仕事が自分に合ってるんだと気づきました。
ーーどういう部分が合っていたのですか?
宿を運営されている方や農家を営んでいる方など、地域や街に根ざして自営業をされている方の仕事が多かったのですが、ダイレクトにお客さんの商売自体に人生が懸かっていました。世の中に対して「こういうものを作って届けたい」という欲望が溢れていて、それを成し遂げようとする人って、輝いている一面もありつつ苦労されているじゃないですか。
その壁を突破するためにWEBサイトが必要だという状況だったので、すごくやりがいがあり、自分自身も本気で取り組むことができました。こういう風に仕事を続けていきたいと思えたんです。
ーーなるほど。仕事内容はど真ん中だったんですね。
そうですね。トレンドに乗ることで伸びてきたWEB界隈なので仕方ないのですが、自社と関わるお客さんの事業を短期的に回そうとする会社のあり方に、徐々に違和感を覚え始めたんです。子どもが生まれて父親になったことで考え方が変わり、事業とも人とも、より中長期的に関わっていきたい気持ちが強くなりました。
そうして、4社目の会社に転職しました。日本国内でトップレベルのクオリティを誇る会社であり、金額や利益も大きかったので、中長期的にお客さんと関わりながらものづくりにこだわる余裕があると思ったんです。
ただ、実際に働いてみると色々と大変でした。自分たちが作りたいものに100%の力を注げる人たちばかりで、長時間の残業も厭わない。すごくいい方たちだったのですが、自分とは搭載しているエンジンが違っていました。自分はもうすこしプライベートの時間も必要だし、家庭での時間も大事にしたかったんだと気づきました。
ーーそして、今回の転職に至ったんですね。
そうですね。自分にとって、いいコミュニティだと感じる会社に転職することができましたね。
「いいコミュニティで働く」ということ
ーー現在はどんな会社で働かれているのですか?
しまうまプリントというフォトブックや記念日のアルバムの製造・販売を自社で行っている会社で、アプリやWEBサービスのディレクターを務めています。その中で、今回の転職で最も大切にしていたのは、自分にとっていいコミュニティかどうかでした。
ーー会社がいいコミュニティかどうか?
コミュニティって、その場にいる人たちの人格で形成されているものだと思いますし、人格であり美学とも言えると思っています。その点、自分が大事にするのは嘘をつかないことと問いを立ててしっかりと検証していくこと。
今の会社は子どものためのサービスを作ってていることもあって穏やかな人が多いですし、みなさん自社のサービスを好きな人が多い。自社サービスの会社は初めてなのですが、中長期的に向き合っていく子育てのような感覚なのかもしれません。
また、頼まれていなくても自ら考えてサービスを良くする創意工夫をしていたり、仕事を8時間で切り上げてしっかりと子育てしていたり、自分に似た環境の人がたくさんいて、すごく心地がいいんです。
ーー仕事内容や収入面、会社の方向性などではなく、コミュニティという側面で会社を選ぶのは新鮮に感じました。
これまでは自己成長や収入、自己実現などを大切にしていました。ただ、お金や成長に関しては、20代の頃にある程度満足したんだと思います。自己実現の部分も、4社目の会社で働いたことで、会社に求めることとしては最上位の価値観ではないことがわかりました。
ーーいいコミュニティで働くことで、はっちーさん自身に変化はありましたか?
これまで、自己実現を会社に託しすぎていたことに気づきました。今の会社に入ってから、誰かが作り上げたサービスに携わっている実感さえあればある程度、満足できるんだなって。そもそも自分は「これをやりたい」という欲求がそこまで強くないのだと思います。
でも、誰かの挑戦をサポートすることに関わりたいという気持ちは強い。そして時々、会社でというより個人として何かをしたい欲求が湧いてくることもありました。なので転職してから、ブランドづくりをお手伝いする「八々(やや)」という個人での活動を始めたんです。
個人の活動「八々」を始めて
ーー八々にはどういった意味が?
何気ない日常を「やや」よくする。「やや」と思わず小さな驚きが漏れてしまうような、日々を優しく彩るメッセージをお届けする。そんな意味を込めて、名付けました。
八々を始めた背景にはWasei Salonの影響もあります。メンバーの中には、個人の活動を通じて世の中に価値を届けている方がいて、純粋に憧れるんですよね。やっぱり、自分自身の活動をされている方はすごく立派で、かっこいい。このままだと、自分はどうやっても「会社の中で言われたことはできるけど……」という人間で終わってしまうのではと思っていました。
ーー八々ではどんな活動をされているのですか?
個人で活動されている方に向けて、そのブランドがどうあるべきかの構想を一緒に描き、それらを手紙に認めてメッセージを送る「Brand Letter」を届けています。
前職では、1. ブランドがどうあるべきかをヒアリングし構想を描いたうえで、2. WEBサイトというアウトプットで実現する。その二輪で、サービスを提供していました。一般的にWEBサイトの制作は後半の「作ることは、しっかりとやりますけど」というスタイルなので、前半のこうしたブランドを練るところから一緒に制作していくことの価値は本当に素晴らしいものだと感じていたんです。
ーーはっちーさんにとって、ブランドとはどういうものなんですか?
一般的にはブランドは他人から認知されて、形成されるものだと思います。ファッションでも芸能人でも、ブランドという塊の単位で知られていますよね。ただ、自分個人としては、「こういう姿でありたい」と理想を願い、そこに向かってもがいている過程もブランドだと捉えています。だから、その理想に近づいていく行為をしっかりと形にして、実現できるように手助けしたいんです。
とは言え一般的に、そうしたブランドコンサルティングは100万〜1000万円の費用がかかるので、一流企業しか発注できません。それなら料金は自分がすこし満足する限りでいいから、個人の方に向けてやってみたい。今まで自分が作るしかできなかったところを補完できる上に、制作が終わったら「さようなら」ではない関係性を築けるのではと「Brand Letter」を始めました。
ーー個人の活動を始めると、自己実現の欲求は満たされて生活や会社とのバランスは良くなっていくものですか?
そうですね。おそらく、自分のモチベーションの根本は「人に必要とされたい」なんです。ものづくりの領域においては、それはオリジナリティーですよね。「あなたにしか作れないから、あなたにお願いしたい」っていうのを言われ続けたいという欲求があります。
それを会社ではやっぱり100%は満たせない。というよりこちらが求めすぎてしまうと、どんどんこじれる気がするんですよ。「なんで、評価してくれないんだ」「なんで、このサービスの仕事をやらなきゃいけないんだ」となってしまう。家庭の話でも言えると思いますが、誰かに求めすぎるのは違う。
ですが、個人の活動を始めると、欲求が直接にじみ出ていくからか小さくても何かが動き出すんです。たとえば、カメラマンをしている友人から連絡があり、WEBサイトを作りつつ一緒に今後のブランドの活動を相談したいと声をかけてもらえました。また、Wasei SalonのメンバーからBrand Letterをきっかけに、「ホームページのリニューアルをお願いできますか?」とお声がけくださり、まさしく現在進行形で動いています。
これらは自分にとって、とても理想的なんです。会社を主語にするのではなく個人で想いを持って活動を始めてみたら、精神的にすごく健康的になれた感覚があります。
「わたしの一歩」を踏み出すときに触れたいもの
ーー最後に伺いたいのですが、はっちーさんが「わたしの一歩」を踏み出すときに触れたいものはなんでしょう?
3社目を退職するとき、この選択が正解かわからずに、苦しんだ時期がありました。その際にWasei Salonで話を聴いてもらったのですが、本当に今でもそのときの向き合い方や言葉に救われているんです。
だから、もし一歩を踏み出すことに迷っているなら、自分の苦しさや「正解じゃないかもしれない」と感じるものを安心して出せる人たちの言葉は絶対に信じたほうがいいと思っています。
ーー自分の中にあるものを言葉にして、誰かに見せること大事ですよね。
そうですね。ただ、自分の弱い部分を見せて心を許すことになりますので、場所と人は選んだほうがいいですし、それが自分にとってはWasei Salonというコミュニティだったんだなと今でも思っています。
ーーはっちーさんにとってWasei Salonは入会して5年も経ちますし、信じられる場になっているということですよね。その背景を伺えますか?
今まで退会しようと明確に思ったことが、不思議とないんですよね。特にWasei Salonがあってよかったと感じたのは、コロナが流行り始めた頃や自分自身が転職を考えているときなど、明確に答えがないときです。
そうした答えのない状況で世の中と自分なりの答えがズレていたときに、自分の考えを出せる場ってあまりなくて。Wasei Salonで出すと「その考えもあるよね」と個々人の意見を尊重してくれるので、とても救われるんです。
子どもの頃の話にも通じるのですが、自分しか持っていない問いがあったときに、それを出して、ちゃんと話を聴いてくれるって素晴らしいことだと思うんですよね。すごくありがたいことで、仲間がいる感覚を実感できますし、その体験を誰かに返したくて八々の活動をしている気もします。
ーー自分だけの問いを共有できる喜び、とても共感しました。また、自分自身も個人の活動の準備中ですごく刺激をもらえました。今日は素敵なお話を、ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。久しぶりにお話できて、楽しかったです。
編集後記
「これまで、自己実現を会社に託しすぎていた」という言葉を聞いたとき、綺麗に言語化してもらえた感覚がありました。自身の中で強いこだわりが生まれる部分を会社に求めても組織の都合で満たされないことは多くの人が経験されていると思いますし、僕自身も心当たりがありました。
ただ、はっちーさんは決して諦めていない姿が印象的でした。働く会社を変えながら自身の欲求を満たせる術を模索し、現在も会社では一旦求めないという選択をとりながら、個人の活動を通じて挑戦を続けています。だからこそ、重みを伴って筆者に届き、この言葉を中心にはっちーさんの仕事観を書きたいと感じたのだと思います。年を重ねながらも自分自身の欲求や違和感には正直でありたいと、刺激をもらえたはっちーさんの一歩でした。
文章:張本 舜奎
撮影:菊村 夏水
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