私たちの“はたらく”を問い続ける対話型コミュニティWasei Salonのインタビュー企画「わたしの一歩」では、サロンメンバーが踏み出したさまざまな一歩に触れながら、その人の人生や考えについてお話を伺っています。
第11弾となる今回のお相手は、フリーで食のプランナーを行う丸山千里さん。
Wasei Salonに入った2020年春は「憧れていた食の分野で挫折し、人生ボロボロだった…」と話すまるさん。そこから約3年の月日が流れ、現在ではWasei Salonで行われた合宿のケータリング提供など、その腕前をサロン内でも発揮していただいています。
今回はそんなまるさんのストーリーに触れながら、まるさんの人生とそのなかで大切にしてきた「わたしの一歩」についてお届けします。
丸山 千里(まるやま ちさと)
鹿児島県出身、神奈川県在住。幼少期から食べることが大好きで、大学は農学部へ進学。「食が世界と自分を繋ぐこと」を実感し料理の世界を志すも、大学卒業時には株式会社KOKUYOへ就職。その後、飲食店のキッチン、中小企業の広報を経験しながら、現在はTETOTETO Inc.のスタッフ兼、フリーの食のプランナーとして活躍している。
大好きだった食を仕事へ。きっかけは大学時代の経験から
私の出身は沖永良部島で、1歳くらいで鹿児島市に引っ越しました。幼少期はずっと鹿児島で過ごし、大学で福岡へ。就職のタイミングで上京してからは、ずっと東京や神奈川などの関東で暮らしています。
大学生の頃から料理を仕事にしたい気持ちはあったんですが、まずは社会人として自立せねばという気持ちからキャンパスノートの“KOKUYO”に就職。そこではWEBマーケティング部に配属され、約2年間勤めました。
ただ、食に携わりたい気持ちが諦めきれず、飲食店のキッチンに転職したのが2018年のこと。憧れていた仕事でしたが体力的にきつい部分もあり、その後中小企業の広報に転職しています。
広報のかたわら、土日にカレー屋でバイトをしたり、ケータリングの提供をするなど「どうしたら食に関われるのか?」を模索し、今はフリーで食のプランナーをしています。
ーーずっと食への気持ちを持ちながら働いてきて、今のお仕事に辿り着いたんですね。その「食を仕事にしたい」という気持ちはどこで生まれたのでしょう?
私は4歳でラーメンを1人前食べてしまうほど、昔から食べることが大好きでした。だけど、「食べることが好き」が「料理を仕事にしたい」に変わったのは、大学時代の経験がきっかけです。
私は大学時代、農学部で果物の品種改良などを行う研究室に所属していたのですが、そのかたわらサークル活動で農家さんを訪れ、どうやって作物ができているのかを教わっていました。
農家さんの作物は、実際にマルシェで販売もしていたんですが、作物の利益ってせいぜい1つにつき+ 20〜30円。私たちはすごくかっこいい農家さんの魅力を知っているのに、「学生ががんばって売っていて偉いね」くらいの付加価値しかつけられなかったんです。
当時の私は、そんな現状に虚しさを感じ、継続的に高い価値をつけて販売するためになにが必要か?を考えました。そのとき、「料理ができたらもっと農家さんのPRができるのでは」と思ったことが、料理を仕事にしたいと思ったきっかけです。
あとは、大学で受けた「いのちの授業」も、私のなかでは大きなターニングポイント。
いのちの授業では、農業や食のこと以外に、産婦人科に行ったり、畑で植物をとってフィールドワークをしたりするんですが、そのなかで「大好きだった食が世界と私を繋げている」と気づいたことが「食を仕事にしたい」という気持ちへと繋がりました。
ーー小さい頃から好きだった「食べる」という行為が、学生時代の学びをきっかけに「仕事への思い」に繋がったんですね。大学卒業後、すぐに食の分野に進まなかったのはなにか理由があったのでしょうか?
就職活動のときから、いつかは料理を仕事にしたいと思ってたので、料理の学校へ通うか、飲食店で修行をするかは考えていました。
だけど、親に大学まで行かせてもらい、学費の支払いや仕送りもしてもらっていた手前、まずは心配をかけないように自立しようと思ったんです。
就職先を食品メーカーにしなかったのは、当時の私が大量生産の冷凍食品や調味料に疑問を持っていたから。今でこそ考えは変わりましたが、当時は小さな作り手さんが好きだったので、大企業の食品メーカーは選びませんでした。
KOKUYOを選んだのは、食の次に興味があったのが教育の分野だったから。Webマーケティングに配属になったのは、会社に入って振り分けられたのがそこだったという流れです。
ーーいろいろな経験をしながら、憧れだった料理の仕事ができているんですね。今のお仕事について、もう少し具体的に教えてもらえますか?
今はTETOTETO Inc. のスタッフの仕事のほか、フリーランスとしてレシピ開発や商品開発の仕事に携わっています。
レシピ開発というのは大きく2種類あって、一つは企業から依頼を受けて家庭で作れるレシピを考案するというもの。WebやSNSに掲載するので、料理の撮影をすることもあります。
もう一つは飲食店や工場で生産するメニューのレシピ開発。例えば、工場でつくるジャムやお菓子のレシピを作って企業に納品しています。
その他、お酒とのペアリングやケータリング、ポップアップレストランのお仕事などもしていますよ。
友達が欲しくて入ったWasei Salonで、安心して挑戦できると思えた
私がWasei Salonに入ったのは、憧れていた飲食店のキッチンの仕事をやめて、中小企業の広報として働きだしたタイミングでした。
当時は「夢を叶えるぞ!」とKOKUYOを辞め、全てを捨てたつもりで入った飲食店で挫折を経験。もう人生ボロボロだ…と思っていました。
生きていくためには働かないと…と転職をしたものの、なにかを成し遂げたいという気持ちもなく、「料理のことをしたかったのにな」という気持ちもあって、働くことに悩んでいたんです。
あとは単純に、友達が欲しかったという気持ちもありました。転職を繰り返すなかで同期がいなかったので、Wasei Salonで同世代の話せる友達が欲しかったんですよね。
ーー実際にWasei Salonに入られた後、どんな形でサロンを活用していたんですか?
はじめの頃は、まずはみなさんが開催しているイベントに参加していました。ターニングポイントになったのは、その後鳥井さんがやっていた“大人の自由研究”に参加したこと。
“大人の自由研究”が始まる少し前、私は「料理を仕事にするのを諦められない」とSNSでみつけたTETOTETO Inc.にDMを送り、人生相談をしに行ったんです。
そのなかで「飲食店に所属せず料理を仕事にしたいなら、写真もセットでできるといいかもね。」とアドバイスをもらいました。当時はその言葉をきっかけに写真の練習をしていたんですが、「これは誰かに教えてもらわないと上手くならない!」と自由研究に参加。
サロンメンバーのなつみさんに写真の撮り方を教えてもらい、その成長記録をつけていたんですが、そのなかで「ここなら安心して挑戦ができる」と思い、その後はブログを書いたり、自分でもイベントを開催したりしましたね。
Wasei Salonって、私にとって安心して挑戦できる場所でもあるし、なにかあった時に戻ってこれる場所でもあるんです。なにかを始めてみたいけど外の世界ではまだ怖い…と思うことも、Wasei Salonでは挑戦ができる。
今でこそサロン内での活動は減ってしまいましたが、「あぁもう疲れたよ〜」と思った夜に、ベットのなかでみんなのタイムラインを見て、気持ちを復活させています。
ーー安心して挑戦ができ、戻ってこれる場所でもあるってとても素敵ですね。Wasei Salonのなかで、まるさんにとって思い出深いエピソードってありますか?
私が「料理を仕事にするのを諦めきれない…」とブログを書いていた頃、サロンメンバーの数名がコメントをくれたことがあったんです。
そのコメントは、まるで私が将来料理を仕事にするのが決まっているかのような文面で、それを見た時、「もう1回失敗したし無理だよな」と思っていた気持ちが、なぜか「またできるかもしれない」に変わりました。あの出来事は今考えても、とても思い出深いものですね。
憧れていた食の仕事へ。葛藤と喜び、そしてこれからのこと
ここ半年くらいは、悩んでいる暇もないくらい、本当に楽しくやらせてもらっています。だけど正直、2022年の3月くらいまではいろんなことに悩んでいましたね。
例えばフリーになりたての頃って、「あなたはなにができるの?」「なにがしたい人なの?」って聞かれることがすごく多いんです。
だけど、私は完全な自由演技をするのではなく、少し制限があるなかで解を探すのが得意なタイプ。だからこそ「なにがしたいの?」と言われても、「なにがして欲しいんですか?要望に合わせてやりますよ」と困っていました。
今でこそ「これが私の得意なこと」と言えるようになり、その悩みは解決したんですが、他にもフリーのプランナーとして「ずっと必要とされるにはどうしたらいいのか」と悩んでいました。
取引先に対して、いつ契約を切られてしまうかわからない寂しさはあったし、それでも自分の責任は自分でとるしかないという心許なさもあったりして。
ーーそこを乗り越えたきっかけは?
4月に秋田でポップアップレストランをやったんですが、そこでの気づきがいいきっかけになりましたね。
あの経験は「自分の料理をレストランで出して食べてもらう」という一度諦めた夢が、違う形で叶ったと思えた瞬間でした。
すごく満足いくクオリティだったかというと、まだまだ成長の余地はある。だけど、「あの頃無理だと思って諦めたことが、気づいたら別の形で叶うこともあるんだ」と思えた時、「これから先もそういう瞬間っていっぱいあるんだろうな」なんて、なんだか勇気が出たんです。
ずっと必要とされるかわからないという点は、信頼関係ができたことが一つの安心材料になっていますね。TETOTETOのボスとは途中喧嘩をしたこともあるんですが、そうやって重ねた時間が今、安心や信頼に繋がっています。
ーーでは反対に、今のお仕事をするうえでの喜びや楽しさっていかがでしょうか?
それでいうと食のことをずっと考えていられるのが本当に嬉しくて、もうずっと喜びに満ち溢れていますね。
学生時代、マルシェで「料理ができたらもっと農家さんのPRができるのに」と悩んでいたことが、今は実際に農家さんの食材を使って商品開発やレシピ開発ができている。
自分が出せる技が増えてきたと実感すると、なんかこう…あの時思い描いたものに近づけているなと感じるんです。
ーーこれからは、食を通じてどんなことをやっていきたいですか?
今年はお酒とのペアリングを多くやらせてもらったので、来年はそこから一歩広げて、ノンアルコール飲料とのペアリング、香りのペアリングなどに挑戦できたらと思っています。あとは、生まれた鹿児島に、料理の力で貢献したいという気持ちもありますね。
加えて、これまでの発信を通じて「丸山千里は料理の人」というイメージはつけられたと思うので、これからは「なぜ私は料理をしているのか」「料理をしながらなにを考えているのか」という思想も発信できたらいいなと思っています。
一歩を踏み出す時に触れてきたものと、踏み出したいあなたに伝えたいこと
うーん、なんだろうな。
それでいうと、一つは「ノート」かなと思います。
私って結構昔から、なにか悩んだことや困りごとがあると、やりたいことリスト100とかをノートに書き出すんです。書くことで自分の考えていることが整理され、それを3年後くらいに見直すとめちゃくちゃ叶っていることに気づいたりするので、わたしの一歩を踏み出す時「ノート」には触れていると思います。
あともう一つは「SNS」。
Wasei Salonのなかで書いたブログもそうだし、そこでもらったコメントもそう。TETOTETOのご夫婦に送ったDMも大きなターニングポイントだったし、2022年はTwitterで焼酎の仕事がしたいと言ったことをきっかけに、実際にそれが仕事になったという流れもあります。
だから、本当にSNSには助けられているし、今の私に繋がっていますね。
ーーまるさんにとって、わたしの一歩を踏み出す時、それを表に出すかどうかは別として、「書き出す」ということが重要なポイントになっているんですね。では最後に、この記事を読んでいる読者さんに一言メッセージをお願いします。
一つは、「あなたが思っているより世界は優しいよ」ということですね。
なにかをしようとする時って、「こんなこと言ったらどう思われるんだろう?こう思われはしないだろうか?」なんて考えて、“言えない、進めない、行動できない”ってあると思うんです。
だけど、実際にやってみると1回で判断されることってほぼなかった。むしろ行動したことを祝福してくれる人のほうが多く、「世界は思っていたよりも優しい」とわかったことで、私は行動することが怖くなくなりました。
あとは、私が飲食店を辞めた頃って「行動した先の結果は成功か失敗の二択だ!」みたいに思っていたんです。
だけどWasei Salonで自由研究に取り組んだり、ブログを書いているうちに、人生ってずっと“検証”だなと思うことがあって…。
もちろん、人を傷つけたり、誰かに本当に迷惑をかけるレベルの失敗はしないようにしなきゃいけない。だけど行動した先になにかがあったとして、そこで道が閉ざされるわけじゃないんです。
「これはすごくうまくいったね」「これはなんか違ったね」「じゃあ次はこっちを試してみようかな」って失敗しながら試していかないと、成功や正解は知り得ない。
私自身、この1年で失敗だと思っていたことがむだじゃなかったと気づく場面が何度もありました。だから、みんなも失敗だ成功だと考えず、検証するつもりでいろいろとやってみると、チャレンジが楽しくなるんじゃないかなと思います。
編集後記
インタビューの中でお話しされていた、まるさんが働き方に悩みながらつけていたブログ記事。実は筆者も以前から、Wasei Salon内で拝見していたものだった。ブログの文面から、まっすぐで、真面目で、優しさのなかにも芯のある女性を感じていたまるさんだったが、今回実際に取材をさせていただいたことで、その強さを感じる瞬間が幾度もあった。
働き方に悩み、挑戦し、挫折し、それでもまた自分の想いへ立ち返っていく姿。そして、そこから導き出されるヒントは、今やりたいことをまだ仕事にできていない多くの人にとって、勇気となるお話だったのではないだろうか。
日頃、大成功したスターや起業家の強いストーリーばかりが目に触れてしまう現代において、こうしてまるさんのストーリーをお届けできることを嬉しく思うと共に、この記事が誰かの一歩に繋がればと願う。
執筆:蓑口あずさ
「想いを出そう、世界へ。思い出そう、大切なこと。」をキーワードに、取材ライティングやSNS運用をお仕事とし活動しています。これからの働き方や暮らしをみつめ、2022年からは家を持たずに生活中です。
・ポートフォリオ:https://note.com/azusanpo/n/nccc9278da8fd
写真:菊村 夏水
フォトグラファー・ライターとして活動。「在るがまま」のその人を写真や文章で伝えるのが得意です。地元、埼玉浦和付近の魅力を発信するWebメディア「うらみち」を企画・運営しています。
・HP : https://natsumikikumura.com
▶︎丸山 千里さん各種SNS
・Instagram:https://www.instagram.com/maru.ch_/
・twitter:https://twitter.com/chi__coco
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