昨夜、Wasei Salonの中で「なぜ悪口は存在し続けるのか?」という対話会イベントが開催されました。

https://wasei.salon/events/271eeeb35fc8

悪口はなぜ起きるのか、こちら側が褒めているつもりでも、相手には悪口として捉えられてしまう理由は?という問いから始まったのですが、それは以前、このブログにも書いたように「お互いの言語ゲームが異なるから」だと僕は思っています。

相手がプレイしているゲームと、自分がプレイしているゲームの「バフとデバフ」が大きく異なる。ゆえに、これは直接「傷とケア」の問題にもつながっていく。

ただ、ここで非常に厄介なことは、そのようなズレを悪用するひとたちがいることなんですよね。

多様性によって価値観が十人十色になっていく中で、バフとデバフが行き違うことは致し方ない。もうそれは避けて通れない。

ただ、だからそれがわかった上で、それを逆手にとってハックをする。

具体的には、こちらも以前書きましたが、特にインターネットの世界においては批評を明確に悪意を持って弄ぶひとたちがいて、自分たちの利己的な売上や、PVにさえつながればよいと考えているひとたちも非常に多いわけです。

そして、さらに厄介なことに、そういった人々は一体どこにつっこみどころが生まれるのか、それをちゃんと理解していて、そのためには誰のどんな嗜虐性を攻撃の対象にすると、より一層読者の興味関心を刺激できるかも緻密に計算して行動をしている。

このような態度が、本当に一番邪悪だなと思います。


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で、話をもとに戻すと、もはや僕らは、意図せず相手の地雷を踏むことは避けられない。

それが嫌なら、昭和のような一つの価値観に染め上げてしまうしかない。みんなが同じ言語ゲーム、少なくともメインカルチャーとサブカルチャー、そのヒエラルキーを誰もが理解できているような世界にしなければいけない。

でも、それは現代においては不可能なわけですよね。

「オタク」みたいな現象だって完全に市民権を得て、あとは陽キャと陰キャみたいなその場の適応能力のような俊敏性だけが尊ばれる世の中です。

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そうなってくると、いちばん大事なことは「相手を傷つける意図、相手の中にある傷を抉る意図はないことを、どれだけ最初から握り合えるかどうか」だと僕は思っています。

そしてここが一番重要な要素でもある。

「相手の足や地雷は踏み合うもの」という前提で、お互いに敬意と配慮と親切心を持った対話的コミュニケーションがまずは必要になる。

何度も同じ例を用いてしまいますが「北風と太陽」で言えば、太陽的に、です。

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きっと現代を生きる僕らが何よりも恐れていることは、相手から地雷を踏まれること、そして、自分がその地雷を踏み抜いてしまうことにあるのだと思います。

だから人と人とのコミュニケーションが、ドンドンお互い全身に鎧を着たような状態、ガードを固めているような状態となり全身がこわばっている状態に陥りがち。

そうなれば余計に、精神は過敏になり、いつもは気にならなかった相手の発言までが気になり始める。

僕は「それを一旦おろしませんか?」と提案することが大切だと思います。そのときに「本音を語り合え、何でも言い合え!」みたいな北風的態度だと、発言力がある人はそれで良いかも知れないけれど、普通だったら余計にガードを固める方向に向かってしまいいます。

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そうじゃなくて、ここでは決して誰も悪意をもって傷を抉るようなことはしない、だから大丈夫安心して。それをお互いに態度で示し合おう、とすること。

そこで初めて、お互いに自己開示ができるようになると思うんです。そして、その自己開示を経由することによって、初めて本心を語り合うこともできるようになる。

だとすれば、やっぱり苫野一徳さんがよく語っているようなヘーゲルの「自由の相互承認」の問題であり、相手に対して敬意を払い、その上でお互いの本音をしっかりと言える関係性を丁寧に構築するほかないかと思います。

見る人が見れば非常に面倒極まりないのだけれど、それが多様性と細分化が進む時代の要請に、ほかならないわけですよね。

もしかしたら時々お互いの足を踏むかも知れない、でもそれは決してあなたを否定しているとか、あなたのことを嫌いだとかそういう尊厳を踏みにじる態度ではない。

相手をしっかりと尊重した上で、こちらの思ってることもしっかりと相手に伝え合えるその関係性を目指している中で、起きてしまったことだから大丈夫なんだ、と。

お互いにそう思える関係性の構築が、本当に大事になってきてると思うのです。

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で、昨日の対話会の中で、僕がとてもおもしろいなと思ったのは、三浦さんのお話です。

具体的には「裸と裸でぶつかれ。そうやって本音を言い当てることがかっこいいことだったけれど、今は、ちゃんとスーツを着て、ちゃんと相手に敬意を持って対応しているのもかっこいいなと思うようになった」というお話です。

これは聞いてて、本当に面白い変化だなと感じました。

先日のAIスタートアップの話なんかにもつながりますが、昔はテレビを中心に予定調和になりすぎて、そうやって建前ばかりを守っていて、全く本音がかわされていないと思われていたから、本音をぶつけ合うヒリヒリした場所がインターネット上には求められたけれど、

でも蓋を開けてみれば、この10年でインターネット上で言いたいことを言い合い、包み隠さずに、歯に衣着せぬ物言いばかりが目立ってしまった結果、むしろ比喩的な意味でのスーツを着てお互いに「自由の相互承認」を担保したうえで、しっかりと相手の話を最後まで聞く対話の方がかっこいいという考えも生じている。

それが本当に面白いなあと。

言いたいことをひたすら言いまくれば、確かに相手に無理やり自分の本音を聞かせることもできるかもしれないし、そのような思想信条を持っている人は、相手の胸ぐらを掴んで「言いたいことがあるんだったら、はっきり言えよ!」と詰め寄るわけですが、でもそれでも言わないからこそ伝わる「何か」もある。

「親しき仲にも礼儀あり」、オブラートに包むことはまどろっこしいと感じるだろうし、ともすればそれは形式主義的で儀式的にも陥りがち。

でもそのマナーや形式を守る姿勢の中にこそ「本物の敬意が宿る」というだってあるわけですから。

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「決してあなたのことを軽んじません」そんな敬意が対話の中の小さなルールやマナーがちょっと添えられることによって、驚くほど相手に伝わるから、結果的に腹を割った話もできるようになる。

当然、いつの時代にも、そのような形式主義を批判するニューエイジがあらわれて、大人のペテンを告発する。それは仕方ない。その形式を隠れ蓑にしてあぐらをかいている大人も同時にあまりにも多いですからね。

だからいつの時代も悪口はなくならない。そしてその悪口は、一定の真理を突いているわけです。

でも、やっぱり、それでも僕はこの順序が大事だと思っています。ジェントルマン的な態度、つまりはそれが「自由の相互承認」であり「私はあなたが言う事には賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう」というあの有名なヴォルテールの名言的な態度。あなたの自由を私が保障するんだという気概。

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Wasei Salonも「相手の意見を真正面から否定しない、ひとの悪口を言わない、ちゃんと相手の話を最後まで聞く」そうすることによって、健全な議論や対話の場が生まれてくるんだろうなあと思っています。

繰り返しになりますが、当然それが形式主義的になりすぎることは良くない。そうしていれば万事OKなんでしょ、という思考停止は一番望まない態度です。

だから僕は、ひたすらこの「趣旨目的」部分から繰り返しお伝えしていて、この場において、本当に目指している先を全員で到達できるようにと周知徹底を心がけている。

そうすれば多少足を踏まれても、「大丈夫です、悪意がないことは知っている、続けてください。」「ありがとう、ごめんなさい。」というやり取りがお互いにできるようになるわけですから。

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回りくどいなあと思われるかも知れないけれど、これからの時代には、この太陽的な手順を踏まないと、本当に一番最終的に到達したいと思っている目的には決して到達できないと僕は確信しています。

あと、最後に、もっともっと根本的な本質的要素があるとすれば、とはいえ一回性の敬意や配慮や親切心にも限界はある。

そうじゃなくて、「また会いましょう」と約束を取り交わし、実際に会い続けること。

これは、過去に何度かご紹介した、東畑開人さんの「メンタルヘルスケアのアルファにしてオメガは、つまり初歩にして最終奥義は、時間をかけて何回も会うことです」という話にもつながる。


どれだけ心理的安全性が担保されている哲学対話や、グループ対話でも、1回限りだと育めないものがそこには間違いなくある。

このコミュニティはなくならない、ここにアクセスしてくれれば必ずまた会える、その「価値」は計り知れないものがあるなあと。

今回はわかり合えなかった部分もあるかもしれないけれど、次の機会にお互いが希望を託せる、問い続けること、対話的態度は常に開かれて、続いていく。

その「繋がり続けている」ということ自体が、人間の一番こころが凝り固まりやすい部分において、ガードを緩める効果、つまり太陽的な効果を生じさせるはずだと思っています。

だから僕はこれからも強い意志を持って、決して派手ではないかも知れないけれど、末永く淡々とこのコミュニティを続けていきたいなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。