理想的な状況を思い描くのは簡単。

でも、それを実際に実行してしまったら、途端に立ち行かなくなる。

だから、みんなそれを実行しようとはしない。

そんなことって、この世の中にはたくさんあると思います。

でも果たして、それは本当にそうなのでしょうか。それが最近の僕の疑問です。

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というのも、最近聴き終えたオーディオブック『ブラジャーで天下を取った男    ワコール創業者・塚本幸一』という本のなかに、「相互信頼の経営」という話が出てきたからです。

このお話が、本当におもしろかった。

ワコール創業者の塚本幸一は、会社を作ってから13年経った昭和37年(1962年)に、社内に向かって以下のような4つの宣言を出したらしいです。

一、    遅刻早退私用外出のすべてを社員の自由精神に委ね、これを給料とも、人事考課とも結びつけない。

二、    工場作業関係者の給料制度を販売会社の社員と同じ制度とする。但し、販売会社は高卒以上採用であるので、工場の中卒採用者は高卒者の年齢に至る三年間は日給制度とするが、三年たてば自動的に月給制度に切り替える事とする。

三、    工場作業者と一般事務者との女子の服装は作業の関係上、別のものを支給していたが、これを統一する。

四、    労働組合の正式の文書による要求はこれを一〇〇パーセント自動的に受け入れる。


引用元:


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これを社内に発表しようと幹部に相談したとっころ、そんなキレイゴトは実現するわけがないと、社内の幹部の人間からも鼻で笑われたそう。

そんなことをしてしまったら、会社が潰れるのがオチだと。チャレンジする前から完全に否定されたようなんですよね。

でも、どうしてもやってみたかった塚本幸一、社長自らが社員ひとりひとりに自ら説明してまわるなら、試してみても構わないと幹部の方々にも、渋々納得してもらったようです。

そして2ヵ月間かかって実際に、社内で数名ごとに社員を呼び出して、実際にそれを行い、この宣言を、文字どおり実践してみたそうです。

そうしたら、この経営方針が実行される日がきた当日の朝、遅刻早退自由になったはずなのに、遅れたらいけないというのでタクシーで駆け付け、門まで走ってくる者が出てきたとのこと。

つまり、会社が潰れるどころか、むしろそのことによって会社の相互信頼が高まったのだと。

それ以来、ワコールではこの相互信頼の経営というのが社是の一つにもなっているようで、創業者なき今もコーポレートサイトにしっかりと「相互信頼」の文字が載っていました。

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で、この話を聴きながら、これだよなあと僕は心の底から膝を打ちました。

この「相互信頼」をいかにして復興していくのかが、それが今とっても大事なことのように僕は思います。

僕がこのWasei Salonという空間内で、実際に構築・復興していきたいことも、まさにこの相互信頼の復興なんですよね。

そのために毎日毎日、何千文字もブログを書き続け、そして、それを毎日Voicyを使って、自らの声でも、みなさんに直接語りかけているような気がしています。

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これは、先日のアドバイザーの話にも非常に近いと思っています。悪いのは、アドバイザーという立場よりも、利己的にテイクする姿勢のほう。


だとすれば、利己的には振る舞わないことが何よりも大切で。そうすれば本来、人々はちゃんと互いに互いの「得意」を持ち寄って助け合うことができるはずなんです。

そのための理念や思想、価値観を創業者は日々語り続ける必要がある。

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これも、きっとWasei Salonが掲げている「はたらくを問い続ける」という話に近いのかもしれません。

何を語るかよりも、常に語り続けるという「状態」や「循環」のほうが何よりも大事。一度、うまくいって統一できたからって、そこでやめちゃダメなんです。

先日の「葬送のフリーレン」の読書会のあとのブログにも書いたように、そうすると、その統一された解釈を歪めて解釈しをして、利己的な行動に走る人は必ず出てくる。



これは人間の組織である以上、仕方のないことです。

何度統一したって、必ずそうやって「クワス算」のようなことを主張してくるひとは一定数出てくる。それは言語(の解釈)とは、そもそもそういうものだから。

「統一できた!」という認識自体がきっと誤りであり、偽りであり、幻想なんですよね。

そして、そんなひとたちを眺めながら、自分たちが正義であると信じて疑わない側の人間は、彼らを「非常識」だと糾弾して、そんな彼らを排除するために武力行使をせざるを得なくなるというような状況になる。

でもそれは、明確に違うと僕は思います。

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彼らには彼らなりに、そうやって目の前の出来事を解釈しなくちゃいけなくなった止むに止まれぬ理由があったはずで。

誰も好き好んで悪になったり、鬼になったりするわけじゃない。だから、何度でも何度でも繰り返し、語りかける必要がある。

もし、何かたったひとつでも正しいあり方のようなものがあるとすれば、それをやめない、続ける姿勢だと僕は思います。逆に言うと、それ以外に、客観的に”正しい統一”状態というのは存在しないんだろうなあと。

つまり、共に訂正し続けることであり、そのために語り続けること、それを諦めなかった一瞬にだけ、ふと宿ってくれる「何か」があるんだと思うんですよね。それが問い続けるということにもつながっていく。

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こんなことを書いているのも、先日スタートさせた「イケウチオーガニックさんのタオル」のポイント交換企画を経て割りとビックリしている、というのも大きいです。

始める前までは結構ずっとビクビクしていました。

「これを始めてしまっても大丈夫なのか、こんな無茶なことをしたら、しばらくは毎日もやししか食べられない日々が続いてしまうんじゃないのかなあ…」って考えもしました。

でも最悪、本当にたとえ毎日もやししか食べられなくなったとしても、起こることはそれぐらいで。

だったら、みなさんにイケウチさんのタオルを体感してもらうことのほうが大事だと思って、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、この普通に考えたら成立しえないポイント交換企画を始めてみました。

実際のところは、想像以上にみなさんが利他的に振る舞い、ちゃんとバランスを取りながら申し込んでくださっている。それが本当にありがたいことだなあと。

(とはいえ、繰り返しますが、本当に遠慮せずに申し込んでください!)

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きっと、今日のこの話は「奪い合えば足りぬ、分け合えば余る」の話そのもの。

理想的な「相互信頼」はきっと、今からでも僕らは築けるはず。ここを僕は諦めたくはないという話でもあります。

「到底、そんなことはできるわけがない」と鼻で笑われるようなことも、そうすれば実現できるかもしれないわけだから。

チャレンジする前から、「こうだったらいいのになあ」という共同体やコミュニティのありたい姿を僕は絶対に諦めたくありません。

そしてこのチャレンジ自体に既に価値があるとも信じています。言い換えると、必ず次につながるバトンになるとも思っている。

実際に、いまこうやって僕自身が、ワコール創業者・塚本幸一の「相互信頼」の経営という概念自体に強く感化されているように、です。

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もちろん、これを美しい話としてフィクションで描こうとすることも一つの方法だと思います。

それはそれで、本当に役に立つものでもあるわけだから。ある種、その幻想を描いてくれるひとがいないと、目指すべき先さえもわからない。

でも、表現力が乏しい僕は、その理想的だと思われる幻想をちゃんと先人たちからの贈与として受け取って、現実のものにする責務がある。自ら挑戦してみる責務が。

だとすれば、どれだけ小さくても、小さな現実としてつくり出す。

きっと僕の役割というのは、フィクションでもなく、現実のものとしてこの世にソレを顕現させること。そしてこれというのは、本当にみなさんの日々の協力があってこそ、少しずつでも着実に実現できていることでもあると思っています。

いつも本当にどうもありがとうございます。改めてこの場で感謝を伝えたいですし、これからもどうぞよろしくお願いします。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。