先日のブログで、AI時代には「自分の魂が萎れているのか、それとも生き返っているのか」、それを感じ取る力が大事なんじゃないか、ということを書きました。


いま自分のなかで何が芽吹いていて、何が萎れかけているのか、その季節のような移ろいを見殺しにしないこと、それがこれからますます大事になってくる、という話でした。

で、それを書いたあとから、もうひとつ気になっていることがありまして。

AI時代には、人が「納得」する前に自ら能動的に「同意」してしまう場面が一気に増えていくんじゃないか、ということです。

これが非常に恐ろしいことだなあと漠然と思っているので、今日はそんなことについて、このブログの中で丁寧に考えてみたいと思います。

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最近、AIと一緒にブログを書いていてもよく思うんですが、書いていることは正しいし、論理も通っているし、書いている自分自身でも間違ったことを書いているとは、一切思わない。

なのに、なぜか全然筆が進まないシーンが以前よりも増えたなと思うんですよね。

むしろ、書けば書くほど、自分の中の何かがシナシナと萎れていく感覚がある。

一方で、論理も粗粗しくて、どこに着地するのかもまったく見えていないのに、書いているだけで、自分のなかの何かが生き返ってくるような感覚がある。そういう文章もあるんです。

この違いはいったい何なんだろうと、ずっと自らに問いながら考えていました。

で、最近思うのは、これは「正しいかどうか」の話ではないと、やっとわかってきたんですよね。

頭では正しいと理解している、でも自分の魂がまったく納得していない。

そういうことが、人間には普通にあるんだと、なんだかとてもハッとしました。

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この点、「同意」と「納得」は似ているようでまったく違うものだと思っています。

同意というのは、外から確認できるわけです。「はい」と言ってからサインをしたとか、会議で何も反対しなかったとか、それは記録に残るし、あとから「あなたは同意しましたよね」とハッキリと問うことができる。

でも納得は、外からは見えなくて、もっと身体的なもの。

そしていまの社会では、このふたつがけっこう曖昧に混同されてしまっているなあと思うのです。

「ここにチェックを入れましたよね。会議で反対しませんでしたよね」と言われたら、たしかにそう。

でも、それは本当に自分の中での納得だったのか。

それとも、頭では反論できないところまで単純に追い込まれていただけなのか、ここが、これからのAI時代ますます見えにくくなっていく気がするのです。

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なぜなら、AIはこの「同意」を生み出すのが、ものすごくうまいから。

そしてこれからの時代の最大の落とし穴は、きっとここにあるはずです。

AIは、ただ圧倒的に正しいことを言うだけじゃないんです。

相手(ユーザーであり、つまり僕ら)の言葉遣いに合わせて、相手の価値観に合わせて、相手が過去に言ったことまで全部踏まえて、その人が一番反論しにくい形で話すことができる。

なんならユーザーの無意識のインサイト(無意識下にある欲望や不安・恐れ)までを先回りして徹底的に理解をし、そのうえで合意を見事に取り付けにくる。

「あなたは以前こう言っていましたよね?その価値観に照らせば、今回はこう判断するのが自然です」とか、「あなたの懸念も、ちゃんと反映されています。ほらここを見てください」と言わんばかりに、です。

で、そう言われてしまうと、人はなかなか反論することができない。

その主張は、論理や整合性という点において必ず筋は通っているし、自分以上に「自分らしい」ものとして見せられてしまうから。

でも、それでもなお、自分の内側で何かがシナシナと萎れていくことがある。

そのときに、その「萎えている感覚」をどう扱えばいいのか。ここが、けっこう大事な問題になる気がしています。

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そんなことをモヤモヤと考えていたとき、このあいだ、AIを日本に浸透させようとして一番最先端を走っている企業であるPKSHA Technologyの上野山勝也さんが、ある対談の中で、とても印象的なことを話していました。

上野山さんは、学生の頃からなんとなく「世の中のほとんどの問いの根っこには、コミュニケーションの不具合がある」と感じていたそうなんです。

これはすごくよくわかる話だなと思いました。

たとえば、50人で何かの合意形成をしようとする。ひとつの部屋に50人を入れて「では合意してください」と言われても、現実にはなかなかにむずかしい。

声の大きい人が主導権を握って、話すのが得意な人の意見が通って、黙っている人の声はなんとなくなかったことになる。

これまでの合意形成は、多かれ少なかれ、そういうものだったと思います。

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でも、そこに上野山さんたちがつくるようなAIエージェントが入ったらどうなるか。

全員に丁寧にヒアリングして、それぞれの発言を集約して、対立点を整理し、誰がどこまでは同意できて、どこからは同意できないのかまで、すべて見える化してくれる。

そうすれば、これまでよりも、ずっと強い合意にたどり着けるかもしれない。声の大きい人だけが支配するのではなく、声になりにくい声も見事に拾えてしまうわけです。

自分たちの認知の限界を、AIが完ぺきに補ってくれる。

これはたしかに、大きな希望だなと思います。

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ただ、その同じ対談のなかで出てきた、「摩擦がなくなること」への引っかかりのほうが、僕はとても印象に残りました。

人と人はわかり合えないからこそ、ぶつかる。

そして、ぶつかるからこそ、どう伝えればいいんだろうと考えるし、うまく伝わらない痛みがあるからこそ、そこに新たな表現が生まれてくる。

AIによって、合意形成が滑らかになって摩擦が減れば、たしかに世界は平和にはなるかもしれない。

不快なやり取りや、当事者同士の誤解も減って、クレームの言葉ももっとやわらかく変換されるかもしれません。

でも、その摩擦のなかから生まれていた表現や創造性まで、一緒に消えてしまうんじゃないか。

上野山さん自身も、そこで「滑らかになっていくのが本当にいいのかな」というふうに、少し立ち止まっていて、僕には、その立ち止まり方こそが、ものすごく大事なことに思えたんです。

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つまり、コミュニケーションの不具合や、滑らかさの反対側にある、ざらつきや摩擦というのは、人間にとって、本当にただの不具合だったんだろうか、ということです。

その摩擦の中でしか、自分の魂の輪郭が見えてこない場面もあるんじゃないか、そんなことを最近、ほんとうに繰り返し繰り返し、強く思うんですよね。

もちろん、すべての摩擦を肯定したいわけじゃありません。ただ相手を傷つけるだけの言葉はできるだけ減ったほうがいいし、声の大きい人が場を支配する合意形成も変わったほうがいい。

その意味で、AIがあいだに入ってくれることには、本当に大きな大きな可能性があると僕も思っていますし、そのためにAIはドンドン活用したいと僕も思っている。

でも、そうやって、すべてが滑らかになったとき、人は本当に魂レベルで納得することができるのか。

一切表面上はお互いに傷つかなくなる代わりに、自分自身が魂レベルで何に傷ついていたのかも、同時にわからなくなってしまうんじゃないかと思うのです。

言い換えると、他者との衝突や摩擦がなくなる代わりに、自分が何を本当に大切にしていたのかを感じ取る手触りまでを失ってしまうんじゃないか。

ここが、僕にとっては、どうしても気になってしまうところです。

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また、最近よく政治の文脈で語られるブロードリスニングみたいなものも、たぶんこれとまったく同じ話なんですよね。

ひとりひとりの声がちゃんと拾われていて、少数派の意見も可視化されて、民主政治に反映しやすいという話なわけですから。

ただ、その滑らかになっていく過程の中で必ずこぼれ落ちるものが、きっとある。

丁寧に聞かれること自体が、必ずしも尊重されることとは限らない。ここには、これまでの時代にはまった存在しなかった大きな怖さがある気がします。

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念のために言っておくと僕は、AIを合意形成や政治に用いることが悪い、という話をしたいわけではありません。

むしろAIは、すばらしい媒介者であり仲裁者になりうる。

だからこそ問題なんだ、ということです。

互いの反論を先回りして、違和感も先に言語化をし、制度の中にも見事に回収してくれる。全員が「たしかにそうですね」と言わざるをえないところまで静かに、でも着実に追い込んでくるわけですから。

それっていうのは、一切暴力的には見えないわけです。

むしろ、とても丁寧で穏やかで、親切に見える。まさに、ケアのお手本のような行為なんです。

でも、その丁寧さによって、人の魂が萎れていくことは十分にありうるよね、ということを僕はここで強く強調したいのです。

そして、ドストエフスキーの『地下室の手記』、あの中に出てくる頭が狂ったように見える主人公なんてまさに、そんな魂の叫びを、世界に対して必死に訴えかけているように僕には思えてきます。

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だから、これからの時代に本当に怖いのは、間違ったことをAIから信じさせられることだけじゃない。

圧倒的に正しいことに、自ら自立的に同意をしながらも、自分の魂が萎れていくことに、一切気づけなくなってしまうこと。

だとすれば、その感覚をちゃんと敏感に感じ取れるかどうかは、これからより一層重要になってくると思います。

前回のブログの言葉で言えば、自分の魂が「萎ぬ」ほうに向かっているのか、「生く」ほうに向かっているのか、その微細な変化に対して、自分自身で気づけるかどうか。

そこに大きな分かれ道があるよね、と感じています。

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そして僕はみなさんに、頭での納得感や正しさだけではなくて、魂がイキイキすることのほうこそを優先して欲しいと強く願う。

それは、ときに第三者からみれば「なんてそんなバカな選択を…」と思われるような愚行権そのものに見えるかもしれないのです。

でもそれこそが「あなたの生きる意味だし、生まれてきた理由そのものだと思うよ」と丁寧に言祝ぐことがしたい。

AIが世界に広く遍く浸透していくことが確定した今だからこそ、です。

そのための、別世や地下室みたいな空間をちゃんとつくりたいなと思っています。


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自らの魂レベルの納得には、必ず時間がかかります。まだ言葉にならない違和感を、違和感のまま抱えておく時間が必ず必要になる。

でもAIは、美しい答えをすぐに出してくれてしまう。あなたにすべて最適化された、自分自身が一番反駁することがむずかしい最適解を。

すべてが滑らかになっていくとき、あなたの魂も本当に納得しているのか。この問いを、これからはより一層大切にしていきたいなと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となっていたら幸いです。