先日ご紹介した、オーディオブック大賞2024で文芸部門の大賞をとった『汝、星のごとく』のオーディオブックを昨日聴き終えました。



小説『流浪の月』を書かれた凪良ゆうさんによる、愛媛県今治市を舞台にした恋愛小説。高校生から34歳までの男女の成長物語でもある。

『流浪の月』に続き、今回もなかなかに凄まじい物語となっていました。

今このタイミングで聴くことができて、本当に良かったなあと感じたので、今日はこの作品の感想を少し、このブログにも書き残しておきたいなと思います。


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さて、冒頭から余談なのですが、自分が過去に強く影響を受けた物語の、同じ作者の方の新しい物語を読むと何が作家本人にとって、ずっと通底しているメッセージなのかが伝わってきて、また違ったおもしろさがあるなあと思います。

最近だと、岡山県高梁市にある吹屋の古民家宿、そして、IKEUCHI ORGANICさんのオープンハウスも、どちらも2回目だったからこそ得られた発見があった。

気になるものほど、異なる角度からの2回目を味わったほうが良いなあと改めて強く思わされる体験を最近立て続けに感じています。

今回の小説もまさにそう。

前作と今作の共通点と相違点、そんな比較が自然と生まれてくるからなのだと思います。

問いが立つ瞬間でもあるし、ずっと思考の棚にあったわからないことが、ふと答えらしきものに到達できる瞬間でもある。

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で、話を『汝、星のごとく』の作品に戻すと、今作は「正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく」と掲げられた作品であり、風光明媚な瀬戸内、愛媛県今治市の島に育った男女の恋愛物語です。

公式のあらすじには「ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長をしていく、生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語」とあります。

まさに、そのような物語となっていて岡山県から今治市まで車で移動し、その島々を渡ってきた直後に聴いたからこそ、余計に刺さるものがあったなあと感じます。

これも、オーディオブックの楽しみ方のひとつだと感じます。

現地で小説を聴くことで、擬似的に物語の中に飛び込んだ感覚になれる。

確かにこの景色の中で行われている物語だと思えると、一気にそこにリアリティが立ち上がる。

今回は、島の閉塞感が本当に見事に描かれている作品になっていたなあと思います。それがオーディオブックのオーディオドラマ仕立てになっていると余計にグッと来るものがありました。

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このなんとも言えない閉塞感の描き方は、前回の『流浪の月』もそうだった。

あちらは長野県松本が舞台となっていました。

僕は『流浪の月』を松本の市内を散歩しながらずっと聴いたのだけれども、松本特有の閉塞感が見事に描かれていて、この閉塞感を描くのに、あの松本の四方を山に囲まれた盆地の地形はものすごく理想的な街だなあと思ったことを、昨日のように思い出します。

いるだけでも少し息苦しさを感じてしまい、好きな街だけれど長居はしたくないと感じるような街。

そして、その次の作品の舞台に選ばれたのが瀬戸内の島だったというのは、なんだか個人的にはとても納得感があるなあと。

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じゃあ、そのようなわかりやすい島や陸の孤島のような場所に生きていないと、今回の物語が楽しめないのかと言えば、決してそうではないと思います。

僕ら日本人は、どこまでいっても「島の中」に生きている。

たとえば僕の出身地は北海道函館市であり、近くの大都市である札幌までは、車で5時間弱かかるような陸の孤島のような場所です。

そして北海道自体だって、俯瞰的な目線で見れば大きな島。そして日本列島自体も、大きな島国。

多かれ少なかれ僕らは、島国根性の中で生きていて、その中で生まれる世間のしがらみの中で生きているし、生きざるを得ない。

世間の息苦しさとそこから生まれる人間関係の泥沼感に、誰もが絡め取られて生きている。凪良ゆうさんは、その言葉にならないような絶望感を描くのが本当にお上手だなあと感じます。

だからこそ、本作も2023年の本屋大賞を獲得したり、オーディオブック大賞を受賞したりと、多くの日本の読者にに共感されやすい物語でもあるのだと思います。

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本作は、いわゆる社会派的な部分も多く、近年話題の女性の生きづらさも描いています。

それと同時に、母親の存在が両者ともにグズグズ。こんな母親のようにはなりたくないという絶望も見事に描かれている。でも自分が大人になっていく過程で、社会的な生きづらさを同様に抱えるようになると、自然と母親のようになってしまうという負の連鎖みたいなものも、見事に描かれている。

ただ、凪良ゆうさんの場合、そこに完全に絶望してしまうわけではなく、一筋の希望を見出す物語でもあるんですよね。

今回も、そんなどうしようもない母親たちに育てられたドン底の高校生カップルが、どん底のシーンのタイミングで北原先生という「世間とはまた異なる優しさ」を持ち合わせている「大人」に出会う。

僕は、やはりこの登場人物に対して強く惹かれてしまいました。

アメリカの作家、レイモンド・チャンドラーは『プレイバック』という小説の中で「男は強くなければ生きてはいけない。しかし、優しくなければ生きていく資格がない」と書いたそうですが、本当にそのとおりだなあと思わされます。

このような表現は現代において嫌われがちな言葉でもあるとは思いつつも、”父性”が持つ優しさってあるよなあと思います。

北原先生という男性キャラクターが持つ優しさは、とても参考になる生き方や考え方だなあと感じました。

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さらにその北原先生の文脈から生まれてくる「互助会」という概念も、非常に印象的でした。

これはネタバレになってしまうので、詳しくは語らないように気をつけますが、「生きづらい世の中で、共に手を組みましょう」という近年頻繁に描かれるような描写は、やっぱり今回の作品の中にも健在していた。

この息苦しく生きにくい島国の閉塞感の中にも希望を見出そうとする、新しい家族の形。つまりは、コミュニティの新たな形を模索している作品でもあるんですよね。

そもそも「家族」とは何か、という根本的な問いを投げかけている作品にもなっています。

だから、僕にもここまで深く刺さったのだと思います。ただの恋愛小説ではこんなに惹かれることはなかったはず。

コミュニティ的なセーフティネットの話でもあるし、その中で個人がどのような選択肢を能動的に選び取るか、という話でもある。

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世間が認めるような「普通」の家族ではないけれど、でも家族や共同体の本来の趣旨目的に立ち返ったときに、こちらが家族の本質だろう、と自然と思わせてくれるような物語。

そんな心の安らぎや救いのようなものを、見事に描いてくれている作品になっていると思います。

現代の若い人たちを中心に、このような新しい互助会や「セーフティネットのような家族」の存在自体が救いの物語になっていると感じられるのは、決して偶然ではないと強く思います。

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北原先生が本編の中で「自由なんてない。何に群れるかを選ぶ自由があるだけ。それは言い換えれば、どの不自由に繋がれるかを選べる自由があるだけ」というような趣旨の言葉を語っていて、これも本当にそのとおりだなあと思いました。

とても絶望的な話に思えるけれど、そこには明らかな希望も同時にあるなと思います。

自由を追い求めると自然と不自由に陥っていくジレンマ。でも見方を変えれば、どのような不自由(コミュニティ)に所属するかを選べる自由も、人には必ずある。

そこに一筋の希望を見出しながら、本当の意味で自分が追い求める「自由」を獲得していくこと。

「政治」のような大きなものに対して常に不平不満を述べ立てて、自分が生まれ育った町や生みの親を恨み続けることは誰にでもできる。

でも、この作品を読んでいると、それでも自己の決断、そしてその自己の決断を自らで受けれていく過程、その問い続ける過程のひとつひとつが、本当に大切だなあと思わせてくれるなあと思います。

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最後に、今回の作品もまたオトバンクさんのオーディオドラマ仕立てが本当に素晴らしい完成度でとても感動してしまいました。

この作品は、AmazonのAudibleでもオーディオブック形式で配信されていますが、オトバンクさんのほうが声優さんの数も圧倒的で、完成度も凄まじいものになっているので、ぜひオトバンクさんがつくられた作品のほうで、聴いてみて欲しいなと思います。


いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。