「世間を震撼させるような事件やスキャンダルが起こると、そちらにチャンネルが合ってしまう。」

以前、ラジオ番組の中で聴いて、とても印象に残っているお話です。

ベストセラー作家の方々でも、そうやってYou Tubeを漁ったりネットサーフィンをしたりしてしまうんだなあと。今でもなんだか妙に印象に残っています。

ではなぜ、あまり好ましくないと思っているものであっても、そこにチャンネルが合ってしまうのでしょうか。

自分にも非常に身に覚えがある話なので、今日はそんな問いを考えつつ、どうすれば意図的にチャンネルをズラすことができるのかについても、合わせて考えてみたいと思います。

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この点、コンテンツ製作者側は、いま世間の人々のチャンネルはどこに合っているのかを常に分析しています。

その波長に合わせていまみんなが興味関心を抱いているものを紹介・解説しながら、現代人のチャンネルに合わせたコンテンツをひたすら量産していくわけです。

そこでうまく視聴者とチャンネルを合わせることができた人々は、視聴者側から「これも解説してください!」という要望が大量に集まってくるようにもなる。

そうやって、お互いにどんどん波長を合わせる行動を取り始めていくわけですよね。

では、なぜそんなことをするのかと言えば、養老孟司さんが言うように、そこにバイアスが存在すれば、単純に学習速度が速まるからなのでしょう。
見たい景色をお互いに見せ合うことができれば、それがたとえ陰謀論めいたものであっても構わない。「それな」というチャンネルと波長の合ったキャッチボールが、気持ちの良いテンポで進んでしまうこと自体に、夢中になっていってしまう。

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そのことに気づくことができれば、マーケティングを常に繰り返して、現代人の波長やチャンネルに合わせてくるYou Tubeやスマホゲームに、現代人がドハマリしてしまうことは本当に仕方のないことだと思います。

まずは、その事実から認めていきたい。

多くのひとが似たような環境下で仕事をし、似たようなSNSを眺め、似たような食事をし、似たようなサブスク動画を見続けていれば、お互いにチャンネルが合っていくのは至極当然のことなのだと思います。

そして、「提供者側に波長が合わせられてしまう」というこの状況は、これからより一層加速してくはずです。

なぜなら、視聴履歴や利用履歴など、ウェアラブル端末の普及なども含めて、私たちの波長は常に分析・吸収されて、最適化され続けるからです。

その中で、少しずつでも意図的に私のチャンネルをずらしていく作業、その波を自ら断ち切っていくことは本当に大事なことだなあと思います。

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ここで話は少し逸れるのですが、最近、ドストエフスキーの『罪と罰』を上・中・下巻すべてオーディオブックで聴き終えました。

この経験を通していま強く思うのは、この長編作品を聴き終えることができたのは「僕自身が圧倒的に暇だったから」というのは、ものすごく大きな要因だったなと思います。

20代のころのように毎日必死で働いていて、まわりの波長にも常に合わせなければいけないタイミングだったら、絶対にこの古典作品を聴き通すことはできなかった。

すぐに、もっと自分の波長に合うものに逃げていたように思います。でも、『罪と罰』を聴いているあいだは、意識的に「今・ここ・私」 からズレることができた。

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何かと妙に波長が合ってしまい、チャンネルが噛み合ってしまっているなあと思ったら、まずはその自分の状態に対して自覚的になりたい。

もちろん、それが自分にとって魅力的なものだったら、対象と私の中で生まれるハーモニーを楽しみ続けることは全然アリだと思います。

しかし、魅力的ではないと感じているのにも関わらず、ズルズルと付き合い続けることは精神衛生上にもあまりよろしくない。少しずつで構わないから、ズラしてみようと試みること。

一番手っ取り早くリセットできる方法は、旅をしたり、引っ越ししたりしてしまうことだと思います。

いつもとは違う時間や空気が流れる場所に実際に訪れてみて、素直にその場に身を委ねてみる。

でも、そこまで大げさではなくとも、普段の帰り道を少しだけ変えてみるとか、普段ならウーバーイーツを頼んでしまうタイミングで外に出て外食してみるとか、普段ならNetflixを観てしまうタイミングで、窓から外を眺めてみるとか。

本当に日常における些細なことでも、いつもとは違うペースを作り出せば、自分のチャンネルは少しずつズレていくかと思います。

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以前このブログでご紹介した世阿弥の言葉、「花」なんてない。あるのは「時」との関係性だけ。

であるならば、自らの「時」をどうやって合わせていくのか。

「時間」という概念自体がそもそも人工物であることを考えれば、それは人間の力によって変容させることができるのも間違いないはずです。

だとすれば、私が欲している本当の「時」を迎えにいくことは、とても大事なことだと感じます。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。