最近、感度が高いひと、現実と本当に向き合っているひとたちはみんな、「専門家」という立場から降りようとしているように、僕には見えます。

それよりも、みんな、ひとだよね、と。

これはきっと専門家だったひとたちの単なる謙遜とかではなく、むしろ、社会の構造変化に対する、かなり切実な反応なんだろうなあと思います。

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この点、過去十数年、SNSやインターネット、そしてコロナ禍なども重なって、「専門家」があれよあれよと祀り上げられてきました。

その余波として、金融でも政治でも、専門家たちが好き勝手に語っているように見えてしまう場面も一気に増えた。

そして皮肉なことに、そんな専門家たちの良かれと思った発言が、世間の中で分断を生み、諸問題の根源になってしまった。

そんな空気が、いま確実にあるような気がします。

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そこに、さらにAIが入ってきた。

専門家的知識というのは、ロジックを積み上げて「正しい回答」へ収束していく仕事だとするならば、この領域でAIに勝つことはもうむずかしいわけです。

「今からエンジニアになるなんて」みたいな感覚と同じで、「今から専門家になるなんて」という空気も、きっとあるんだと思います。

その結果として、あちこちで見かける「人間回帰宣言」。僕には、あれが流行ではなく、必然に見えます。

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で、この話に関連して、最近ずっと考えていることがあります。

それは、正しすぎるがゆえに、正しくない現象に対して、世界全体で一斉に辟易している状態が、まさに今なんだろうなあと。

思うに「正しくない」主張には2パターンあるはずで。

ひとつは、純粋に正しくない、単純に間違っている場合。
そして、もうひとつは、正しすぎるがゆえに、正しくない場合。

後者の主張は正しいがゆえに、「それは正しくない」と反論されると、より一層正しい方向に舵を切ってしまう。

結果としてますます”正しすぎる方向”に煮詰まっていき、より正しくなくなってしまうジレンマがあるよなあと思う。

正しさが自己増殖して現実から完全に浮いていってしまう。これがまさに専門家のジレンマだなあと。もちろん、左派寄りの活動家なんかによく見られる構造でもおあります。

正しさの強度が増すほど、現実の人間の手触りから離れていく。それが今の政治や選挙なんかにも、見事に反映されている。

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じゃあそんな正しすぎる意見であっても、みんなでちゃんと実行すれば、理想としての世界が実現するのかと言えば、どう考えてもそうじゃないわけで。

また、そもそもそんなこと自体も実行なんてできない。

必ず、「感情的には納得行かないんだよ!」ってひとたちがあらわれてしまうわけです。


つまり人間、そんなロジックだけで行動しているわけじゃないということが、AI時代にドンドンあらわになりつつあるよなあと思います。

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そうなってくると、最近ずっと同じことを書き続けている気がしますが、AI時代は、ほんとうに人間的魅力で戦うしかない。

そのような人間的魅力を大切にする人同士でちゃんと集い合う以外に、良い社会は築けない。

ほぼ日の糸井さんは、「優しくていい人、そして頼りになる」が大事な要素だと挙げていたけれど、これはほんとうにそうで。

Wasei Salonなり言い換えれば、それはまさに「敬意と配慮と親切心、そして礼儀」。

なにより「仁義礼智信」みたいな話でもある。つまり、孔子の時代からなんにも変わってない。

仁:他者を思いやる心
義:道理にかなった正しさ(私利私欲に寄らない)
礼:敬意と礼節
智:善悪を判断する知恵
信:誠実さ、信頼


ほんとうにこれらの要素に尽きるなあと思う。2500年以上前に、AI時代の答えがもう出ちゃっているなあと思います。

あまりにも古臭いと思われるかもしれないし、左翼の人たちからは「封建的だ!」と嫌われることも間違いないけれど、でも僕はほんとうにそう思う。

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あと、この文脈で、すごく象徴的だなと思ったやり取りがあります。

糸井さんがこの条件の話をしていた際に、たとえ話として「立ち退き」の話をしていました。

僕なりに要約をしてみると、大きいビルを建てるとき、立ち退きが必要になる。ここでAIだったら何を言うのか。「相場より多く払う」とか「より良い条件に住み替えさせる」とか、つまり、“条件の最適化”を提示するわけですよね。

でも、立ち退かされる側は「そういうことじゃねえよ!」って思うわけです。

そして、ここから先は、条件じゃない。論理じゃない。情愛でしか動かない領域なんだと思います。

糸井さんが言う「そこからは詩なんですよ」という結論も、まさにそうなんだろうなと。

詳しくはぜひ、こちらの対談記事を実際に読んでみてください。


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AIが提示する「条件」や「論理」じゃない、むしろ情愛にこそ、人の心は動かされる。

で、僕が最近観続けている、寅さんはその重要性をほんとうにずっと一貫して描きつづけているなと思います。

69年から第1作目が公開されたシリーズです。つまり、学生紛争の最中につくられた映画でもあるわけです。

学生運動当時のインテリ的な存在とは対局で、まさに「優しくていい人、そして頼りになる」アイコニックな存在が寅さん。

以前、映画という「真っ赤なウソ」の話を書いたことがありますが、寅さんは、絶対に「リアル」には存在しない架空の人間なのだけれど、それゆえに、あまりにも力強い「リアリティ」がそこには描かれているなあと思います。

フィクションだからこそ、日本的な「真善美(誠・愛・調和)」をもろに体現している存在が描かれているなと思うのです。


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また、昨日観た第42作目「男はつらいよ ぼくの伯父さん」もすごく良い作品でした。

こちらは平成元年に公開された映画なのですが、最初は赤ちゃんだった寅さんの甥っ子の満男が、42作目ではもう、19歳の浪人生になっています。

そして、十代の若さゆえに、感情が前のめりになって、とある行為をしでかしてしまう。

そして、世間一般的にも、そして親や祖父母からも愚かな行為をしている呆れられてしまうような場面に、追い込まれてしまうわけです。

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そして終いには、まるで世間を代弁するかのようにして、「正しすぎる」論理において叱りつけてくる高校教師が登場する。

自分が正しい側であると一ミリも疑わない「べき論」を語るそんな高校教師に対して、渡世人、つまりヤクザの寅さんが、ちゃんと先生に対して筋を通して、その場の礼節をわきまえながらも、ビシッと反論するシーンが描かれていました。

「満男は、何も間違っていることはしていません」と語る。

あの姿だよなあと思ったのです。満男だけでなく、観客も、一緒に救われる感覚がある。自然と涙が溢れてくる。

そこに、論理もクソもあったもんじゃないんです。でも間違いなく、寅さんのほうが正しい、と思ってしまう。

それは正しすぎないから、というか完全に正しくないからこそ、正しいという状態なんですよね。

よくも悪くも、ここにしか、人間は帰ってこられないのだろうなと同時に強く思わされます。

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あまり、押し付けがましくなりたくないので、これまでハッキリと言及してこなかったのですが、

ただ一方で、そろそろ信じて欲しいのだけれど、いまを生きるのに何の役に立たないものなんかを、僕が観たり読んだり、するわけがないじゃないですか。

暇つぶしなんてしている余裕なんてない。人生、そんなに長くない。

毎日毎日、集団の道からはハズれては、ずっとソレを探し続けていてアンテナを貼りまくって、もう誰も見向きもしなくなったような道端に落ちている古典なんかも拾っては確認作業を繰り返し、そのなかでやっと出会った、これこそが2026年を生き抜くための教科書だと思っているもの、それが寅さんです。

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いちばんこの時代において、現実的で有効な教科書だと思っているから、必死で寅さんを履修している感覚が僕の中にはあります。

以前もご紹介した中村天風の言葉にあるように「人間の真の幸福は、真善美(誠・愛・調和)から成り立っており、それはいつの時代も変わらない宇宙の真理だ」と。

誰もそうとは思わないだろうけれど。寅さんこそ、そんな「誠・愛・調和」が描かれた隠れた現代の教養映画だなあとかなり真剣に思っています。

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また、同時並行で観ている、小津安二郎の映画群なんかも、「家族とはなにか」をずっと描いてくれている。

こちらも人類普遍の、人間同士の共同体の話を、なんとか目に見える形で伝わるようにと手を変え品を変え、ずっと同じことを描こうとしてくれている。

だからこそ、それらを観ながら誰かがちゃんと受け継いで現代的にアップデートしていかないといけないよなと思います。

なぜなら、もうどちらも、今のテレビでは絶対に放送できない内容ですから。

どちらの作品も「エログロ暴力」は一切描かれていないけれど、現代の倫理では決して許されないものとなってしまったわけです。

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でも寅さんも小津安二郎も、指さしてくれている月、それは一切間違っていないわけです。

少なくとも僕はそう思う。

だったら、それを現代にアップデートしていきたいですし、そんな主張だけではなくて、生きる共同体をつくっていかないといけないよなあと思う。

それがこのWasei Salonという場において、やりたいことのひとつ。

縦の系譜を継ぎながら、現代にあった形で、生きる共同体として結実させたい。

それがきっと、それぞれに人間回帰宣言をしたひとたち同士で集い合い、誰が偉いわけでもなく、共に手を差し伸べ合うコミュニティなんだろうなとも思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。