先週末、こんなツイートをしてみました。


初心者に広く読まれることを目指すと、すぐに「図解で解説」や「猿でもわかる〜」のようなわかりやすい形で展開されてしまいがち。

でも、いま世間が求めているのは「わかりやすい」ことだけではなく、「バカにされない」ことなんだと思うのです。

つまり、初心者の自分であっても、製作者側から敬意を持って接してもらえることが強く伝わってくることがいま求められているような気がします。

なぜなら、これまでマスメディアが「どうせ視聴者は難しいものなんて理解できない」とずっとバカにしてきたから。そしてそんな下心が、SNSによってすべて筒抜けになってしまった。

一方で「知識人」と呼ばれる人たちも、すぐに初心者を置き去りにしようとしてしまいます。前提知識を共有していない人間は、そもそも自分たちの対象読者ではない、と。こっちも木で鼻をくくったような態度で、なんだかモヤモヤさせられてしまいます。

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この点、ヒラクさんは「発酵」の世界をちゃんと理解できていない僕らを、バカにしているわけでもなく、置いていくわけでもない。

「最初は少しわかりにくいかもしれないけれど、ついてきてくれたらきっと面白い世界を見せられるはずだよ!」という約束をしてくれる。

この約束の確らしさが「敬意」であって、みんながヒラクさんの語る発酵の世界についていきたくなる理由だと思います。

マスメディアの「おまえらはこれで満足するんだろう」という態度は、それがどれだけわかりやすかったとしても、どうしてもバカにされた気分になりますし、

知識人の「おもしろいかどうかは知らん。おまえの読解力次第だから、このおもしろさを理解したかったら勉強してこい」という態度も、勉強しない自分を棚にあげてあえて言うと、鼻についてウザいだけだったりする。

いま、裾野を広げるために本当に必要なことは、この受け手への敬意しかありません。難しいものをカンタンにすればいいというわけでは決してない。

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だからこそ、僕は何度だって「敬意」の話をしたいと思います。

世界に「愛情」が増えることが正義だと思っているひとは世の中に多いですが、愛情が増えることで憎しみや争いも必ず同時に生まれてしまう。

でも、敬意だけはそうじゃない。敬意で憎しみや争いは生まれません。その総量はいくらでも増やすことができる、ゼロサムゲームにはならないのです。

参照:「目の前の相手に敬意を示す」という文化をつくりたい。

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フランス革命以降に生まれた「自由、平等、博愛」というキーワードは、絶対に世界から失っちゃいけないものだと思うけれど、一方で、その歪みもあらわになってきたタイミングが今だと思います。

3つの要素だけでは到達できない世界に直面しているなあと日々実感します。

そもそも「博愛」しなきゃいけないと思うからモヤモヤするし、対立してしまう。目の前の相手に敬意を持とうという発想だけで、本来は十分なのではないでしょうか。

これは、河合隼雄さんの言う「非個人的関係性」にも、とてもよく似ている。


参照:理解したフリ、共感したフリ、そんな日本的な常識から離れられる場所。 

そこに個人的な感情なんて一切差し挟まなくていい。「あなたは余人を持って代えがたい」と行動を通して伝えるだけでいい。

非常にドライでクールな考え方だと思われてしまうかもしれないけれど、本来はそれだけで十分。

それさえ態度で示すことができれば、この世界に存在している意味を自分自身の力でひとは発見し、自ら理解することができるはずなのだから。

いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。