ライター・編集者の三浦 希です。こんにちは。久方ぶりにWasei Salonへ戻ってまいりました。みなさんお元気ですか。元気でなくとも、健やかであったらいいなぁと感じます。

長らくお待たせしました。第二弾でございます。「長らくお待たせしました」という言葉は、編集(第一読者)としてこの原稿を待ってくれていた鳥井さん、長田くん、若月くんに対して。加筆修正の提案をしてくださったにも関わらず「うるせえ! 黙っとけ!」と言ってしまい、ごめんなさい。すみませんでした。それを優しく受け止めてくれて、ありがとうございました。

そしてまた、これは、彼らと等しくこの連載を楽しみに待ってくれていた、あなたに向けた言葉です。長らくお待たせしました。ありがとうございます。

前回の半分実家暮らし日記『「救いたい」だなんて、おこがましいんじゃない? 』  を、たくさんの方が読んでくださったと聞きました。ありがとうございます。とってもうれしいです。お待ちくださっていることでしょう。やっと新たな幕が開きます。

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さて、さて。始めます。今回のタイトルは『「ときどき思い起こすもの」から「いつも思うもの」へ。』としました。

感の良いあなたはお気づきでしょうか。僕が感受しうる、地元(北海道日高郡)や地元の町の存在が、そのアイデンティティ(“地元” 像)をキッパリと変えてしまったのです。

東京に出てきたのは、大学を卒業したタイミングでした。北海道にて20年以上(小学校、中学校、高校、予備校、大学)もの時間を過ごした私。2023年7月現在30歳の私にとっては、実に2/3以上もの期間を、北海道で過ごしてきました。その手前として、いざ、東京へ。

東京にて過ごしてきた、およそ10年間。今も気持ちは変わりませんが、まさしく、夢のようであったのです。東京。およそ会いたい人がいれば、きっとすぐにでも、なんならば当日にでも、会うことができる。訪れてみたい場所が、地続きの格好で存在している。同じ距離で、同じ空を見ている。買いたい服、食べたい飯、ほとんど全てを手に入れられる。

夢でした。夢が、鮮やかに叶いました。金こそ無かったけれど。夢は金で買えないんだ、と気づきました。でも、夢の「中にいること」はできるんだ、と気づきました。

その間、僕が東京の煌びやかな街並みとそのあり方に夢をみている間、自身にとっての “地元” という存在は、蚊帳の外にあったのです。これは、言葉の綾でもなんでもありません。事実として、僕にとっての “地元” は、強烈なリアリティ(現実として、リアルとしての実態)を保ちながらも、明らかなる「ときどき思い起こすもの」になっていました。

そりゃそうです。夢の中にいる間は、どこへだって行けますから。夢にまでみた東京。TOKYO。トーキョー。光り輝いてはさんざめく銀座の街、絵に描いたようなバンドマンだらけの高円寺、小汚い居酒屋。嗅いだことがない程いい匂いのする服屋 in 青山、とんでもなくドデカい東京駅、Google検索でしか見たことのない真っ赤な東京タワー。僕は、夢の中にいました。そこにいたくて、いました。

それでもなお、ときどき、思い出すんです。会社の金でタクシーに乗った時。中目黒の街に立ち並ぶ、キラキラ輝くビルを見上げた時。「お父さんお母さんにも見せてやりたいなぁ」って。大した金もないのに「お父さんお母さんを東京に連れてきてやりたいなぁ」って。ときどき、思い起こしていました。

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僕が勝手ながらに夢をみている間、その切れ目にて、ノスタルジアと酒匂に浸りながらも想起していた “地元”。もちろん、アレなのです。「東京には夢があって、地元には現実しかない!!!」と声高に言いたいわけでは、ないのです。

今、30歳になりました。お父さんが死んでしまいました。昨年の冬。お母さんは、脚が悪いながらも、家にひとりぼっちです。つい先ほど(2023年7月30日 15:45)、母からこんな連絡がきました。

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うじ虫も、ヘルパーも、ステーション(北海道では「ゴミ捨て場」を「(ゴミ)ステーション」と呼ぶ)も、現実なのです。とんでもない現実です。うじ虫がわいている。うじ虫がわく、現実なのです。

僕は、今も、夢の中にいる。夢の中にいます。決してそれは、良い匂いとは言えそうにない昆布と潮の匂いにまみれた町でなく。婦人服屋と電気屋と交番と役場と消防署と病院と焼肉屋と小さいスナックがあるだけの、寂れた町でなく。そんなものでは、なく。そんなものではありません。少なくとも、うじ虫はいないはずです。煌びやかな夢の中に。

「そんなもの」と呼ぶのは、なかなかのことです。少なからず「ときどき思い起こすもの」であった地元の町をそう呼ぶのは、正直、少しばかりは気が引けます。ときどきでも、愛しているからです。ときどき、ドキドキしているからです。あの臭すぎる夏の海を。酒を飲むところもほとんどねえ町を思い起こしては、ドキドキしています。

地元に住むお母さんが、家族が、ひいてはその町が、「いつも思うもの」になりました。「思い起こすこと」は無くなりました。いつも頭のど真ん中に存在するようになったからです。僕の “地元” が。クソですよ。本当に。正直、戻りたくありません。僕はまだまだ夢の中にいたい。夢の中にいるべき人間だと思う。東京は楽しいよ。めちゃくちゃ楽しいよ。地元は? 僕は、楽しくないと思う。

お父さん、なんで死んじゃったんだよ。心からそう思います。僕は逃げたかったんです。海風、潮の匂いなんか、好きでもなんでもないんだよ。早く出たくてたまらなかったんだから。中学卒業を目前、札幌の高校を選んだのも、ただただ「地元を出たかったから」なんだから。

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愛憎、憎むまでとは言わないが、僕は “地元” が嫌いでした。これは本当です。嫌い「でした」と書いたが、今どう思っているかは、夢、泡の中です。「いつも思うもの」としての “地元” が、日高郡は、僕にとって皮肉なまでにビビッドな色で輝いているのです。ここでひとつ、言葉を選ばず言わせてもらいます。楽しいだけじゃねえって。地元の町は。

以上。それでも、僕は、地元と東京、現実と夢の間を、自らなりにそれぞれ半分ずつ、サバイブしていこうと思います。楽しくない町と、楽しくてたまらない街。どちらにしたって、いつも思っている町。街。

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