最近、AI活用の話を見ていると、みんなまず「自分をどうAI化するか」を考えるんだなと感じます。
自分の能力を拡張したい、自分の分身が欲しい。もしくは、優秀な秘書や部下のような存在を、何人分でも持ちたい。
その感覚自体は、よくわかる。
僕だって、面倒な作業を肩代わりしてくれたり、考えの整理を手伝ってくれたり、自分の代わりに先回りしてくれる存在がいたら助かるし、実際にそうやってAIを活用している。
AIにそういう期待を寄せてしまうのは、かなり自然な願望だと思います。
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ただ一方で、最近その手の話を見聞きするたびに、ひとつだけ違和感を感じる。
みんな、自分のAI化ばかり考えているけれど、合理性だけで考えるなら、本当にAI化したほうが得なのは、自分ではなく、自分を支えてくれている有能な顔のある「仲間」のほうなんじゃないか、と。
つまり、合理性だけで考えるなら、本当にAI化したほうが得なのは「自分自身」ではなくて、自分を現に支えてくれている有能な顔と名前のある「仲間」のほうなんじゃないか、ということです。
自分の思考をコピーするより、まわりで支えてくれる役割を複製できたほうが、組織としてははるかに強い。
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少し嫌な言い方になるけれど、実際のチームや共同体って、自分ひとりの能力だけで成り立っているわけではないですよね。
むしろ、そういう自分のできないことを、上手に補佐して補ってくれている人たちのほうが全体への効き目が大きいことは、案外多い気がします。
しかも今のAIは、かなりその方向のことができるようになってきている。顔のある人間は、その性格や成果、ありとあらゆる実際のデータが既に出揃っているわけだから。
本当に役に立つ「AI〇〇さん」は当然のようにそのデータから作成できる。
そしてそのAI化された〇〇さんは、文句も言わないし、眠りもしないし、評価も求めない。必要なのは電力だけ。
そう考えると、「自分をAI化する」よりも、「仲間の役割をAI化する」ほうが、合理性だけでいえばずっと自然な最適解に見えてきます。
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ここで、頭の中に浮かんだのが、ルフィと麦わらの一味のことでした。
もしルフィが、麦わらの一味に人件費を払っている経営者のような立場だったとすると、そのとき、ルフィは自分の分身であるAIルフィを作るより、AIナミ、AIゾロ、AIサンジを作れたほうが、合理性だけでいえば圧倒的に動きやすいはずです。
もし彼らの機能が高精度でAIで再現できるなら、船はかなり安定して進むことは間違いない。
自分を複製するより、周囲の役割を代替できたほうが、組織としては強い。これは、感情を抜きにして見れば、かなり冷静で自然な計算です。
ただ、この想像をした瞬間に、どうしても嫌な感じが残りますよね。
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じゃあ、なぜ嫌なのか。ここがAI時代に僕らが考えるべき重要な問いが、眠っているような気がします。
ナミは、航海士という機能だけではない。ゾロは、剣が強いだけではない。サンジは、料理担当という役割だけではない。
もっと言えば、怒り方とか、癖とか、面倒くささとか、妙なこだわりとか、失敗とか、すれ違いとか、そういう本筋からするとノイズに見える部分まで含めて、その人だったはずです。
にもかかわらず、合理性の視点に立った瞬間、それらは「なくてもよいノイズ」に見えてしまう。
残るのは、代替可能な「役割」だけです。
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ここで思い出すのが、以前このブログにも書いた、「人は本当は共同性を求めているのに、それを直接目指すと薄っぺらくなる」という話です。
人はたぶん、本当は良い人間関係や居場所や、深い「共同性」を求めている。
でも、それを最初からそれを正面の目標にしてしまうと、なぜかうまくいかない。
むしろ何かしらの目的に向かって本気で進むなかで、その副産物としてしか、濃い共同性は立ち上がってこない。
仕事でも、部活でも、旅でも、コミュニティでもそうだと思います。
「仲良くなろうね」を直接掲げるより、同じ目的に向かって、時にぶつかり、時にすれ違いながら進むなかで、あとから関係が深くなっていくことのほうが多い。
この僕らが求めているのは真の共同性に到達するためにこそ、目的性を経由しなければいけないという感覚自体は、いまもかなり真実だと思っています。
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ただ、今回AIのことを考えていて、もうひとつ別のねじれがあることに気づいたんですよね。
それは、真の共同性はたしかに目的性を経由しないと深まらないのだけれど、その目的性を担う他者が、置き換え可能な機能に見えてしまった瞬間、そもそも共同性が立ち上がる条件そのものが変わってしまうのではないか、ということです。
これはかなり厄介な話です。
共同性だけを直接目指してもダメ。
でも、目的性だけを合理化してもダメ、なのかもしれない。
言い換えれば、
共同性を直接求めても薄くなる。しかし目的性を最適化しすぎても、共同性が生まれる土台そのものが壊れてしまう。
そんな両側から挟まれた場所に、いま僕らは立っている。
この妙な板挟み状態の苦しさが、今のAI時代の空気そのものなんじゃないかと思うのです。
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しかもこの話は、以前書いた「AI時代に、希少価値が増していく友情」の話ともかなりつながっています。
あのとき僕は、最適化された関係よりも、長い時間や歴史やズレを含んだ「物語的な関係」のほうが、これからは価値を持つのではないかと書きました。
今回の話は、まさにその延長線上にあります。
仲間を役割ごとに分解し、もっとも効率よく代替できる存在として見るとき、失われるのは単なる人情ではない。
その人と共に過ごしてきた時間や、うまく説明できない信頼や、何度も繰り返してきた失敗や修復、そういう関係の物語そのものが痩せていく、なかったものになってしまう。
それよりも、この人は一体何の役に立つか。
そういう目で人を見るようになった瞬間に、相手は「この人」ではなく、「交換可能な役割」になってしまう。
でも、本当に仲間ってそういうものだったのだろうか、と。
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ここでさらに思い出すのが、もっと前に書いた、「余人をもって代えがたい」という認識が、なぜ人に多幸感をもたらすのか、という話です。
あのとき僕は、相手を余人をもって代えがたい存在として丁寧に言葉にし、それをなんとか相手に対して伝えようと苦心している瞬間に、不思議な多幸感が自分の側にあるという話を書きました。
なぜそんなことが起きるのか。
いま振り返ると、それは単に相手を褒めているからではなかったのだと思います。
相手を「絶対の他」として認めること。
つまり、私の思いどおりに吸収したり、同化したり、役割で回収したりできない存在として認めること。
その差異を差異のまま抱えながら、それでも言葉を尽くして互いに結び合おうとすること。
そのときにはじめて、人間は幸福感を感じるし、相手だけじゃなく、「自分自身」も知ることができる。
ここは重要な点なので繰り返しますが、他者との応答を通じてしか立ち上がってこない「自分」というものが、たしかにあるのだと思います。
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ここまで来ると、今回の違和感の正体も少しずつ見えてくる。
仲間をAIで代替することが怖いのは、単に関係性が冷たくなるからではないのかもしれない。
こちらが相手を「余人をもって代えがたい存在」として認め、そこに言葉を尽くし、応答し、苦心しながら結び合う。
そういう過程を通してしか立ち上がらない「自分自身」の一部までを、失っていってしまう感じがあるからです。
つまり、失われるのは共同性だけではない。他者を通じて自分を知る経路そのものが、少しずつ消え失せていく。
そこが、いちばん怖いところなのかもしれません。
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これは、ある種のテセウスの船みたいな話だなとも思います。
もちろん厳密には違う。今回問いたいのは、部品を入れ替えたあと、それが同じ船かどうかという古典的な問題そのものではありません。
ただ、機能は保たれている。航海もできている。
見た目には、すべてがうまく回っている。なんなら夜間も常時稼働できて、生産性は二倍に増えて、周囲からは称賛される。
それでも、何か別のものになってしまっている気がする。
しかもAIによって立ち現れてきているのは、物の同一性ではなく、関係の同一性の話なんです。
AIナミによって、ナミの役割が果たされていれば、それはナミなのか。ゾロもサンジも同様です。
もっと言えば、海賊王という目的に向かってさえ船が進んでいれば、それだけで「麦わらの一味」と呼べるのか。
ここが、どうしても引っかかるところなわけですよね。
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どんな目的を持つかだけではなく、その目的を「誰と担うのか」が、たぶん同じくらい大事なんです。
そして、その「誰か」が、代替可能な機能にまで還元された瞬間、共同性も、物語も、そして余人をもって代えがたい存在と出会うことから生まれる歓びも、同じようには立ち上がらなくなるのかもしれない。
逆に言えば、その誰かが余人を持って代えがたい存在になった瞬間に、共同性も物語性も、そこから生まれる歓びもすべて満たされるものに変わっていく。オセロがひっくり返るように。
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AIの話は、一見すると便利さや生産性の話に見えるけれど、ここまで考えてくると、最後に問われているのは、もっともっと別のことなのだと思う。
結局、この話は自分自身は一体「誰と生きたいのか」という問いに戻ってくるのだと思います。
しかもそれは、ただ「人間関係は大事だよね」と言えば済むような、キレイな話でもない。
他者を「絶対の他」の存在として認めて、そのうえで自分にとって不都合やネガティブな状況を経由しないとたどり着けない場所があるということですから。
ものすごく本当は面倒くさいし、本来的に、だるい話なんです。
でもそこでこそ本当の意味での「自分自身」を発見できるということなんでしょうね。
これからのAI時代に、非常に大事な視点だと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/03/17 14:46
